あーとランダム

現代アートを中心に活動している原田文明の公式サイトとブログ
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
# ふたりの時間とまなざし

 

『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)

 

子どものころ、頭のいい子や面白いことのできる友だちの頭の中をのぞいてみたいと思うことがよくありました。その友だちの頭とぼくのあたまを取り換えるとどんな感じ方や見え方ができるのだろう、と想像するのです。きっと、むずかしい計算問題もすらすらとできるのだろうな、などと考えるのです。

 

「カメのこうらの中に、なにがあるとおもう?」

このおはなしの中で、ときちゃんはそんなことばかり考えています。

 

さつきは4月生まれ、時ちゃんは3月生まれの小学2年生。

ときちゃんはだまっていることがおおいけれど、さつきはおしゃべりが大すき。

知っていることはなんでもはなしたがります。

「よく知ってるね」とほめられるとうれしくなるから。

でも、ある日、さつきはときちゃんから「生きていると、きのうとはちょっとだけちがっちゃっているよ」といわれて、かんがえてしまいます。

 

フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。

わたしとときちゃん、このお話しの中ではふたりの時間とまなざしは少しちがっていて、そのことがふたりにとってふしぎな感覚と感情をもたせています。もしかしたら、わたしは“いじわるをしているのかもしれない”とか、“ときちゃんみたいにしていたい”とか・・・。

おそらく、ときちゃんもしっかりもののさつきちゃんにあこがれているかもしれません。

ほどよい距離間をもつことで、心地いい友だち関係がつづけられるといえばいいのか、そういう子どもたちのようすをぼくの周りにもよくみかけることがあります。そういう子はときちゃんのように細部をみつめているのかもしれません。

著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

さて、子どもたちの読後の印象はどんなものでしょうか、楽しみですね。

|comments(0) | trackbacks(0) | 09:27 | category: インフォメーション |
# 記念セール

 

 

今日はジム・ジャームッシュの『PATERSON』をみに広島に来たらこんなことに、、、

広島カープのリーグ制覇の記念セールで街中がお祭り騒ぎとなっているではないか。

 

カップ酒のおまけ付き

 

 

古書アカデミー書店も全商品が25パーセントオフ。おもわずこんなにも、、、

目をつけた全集もあるので今度は是非とも日本一になってもらいたい。

日本一セールが楽しみだ。

|comments(0) | trackbacks(0) | 21:58 | category: インフォメーション |
# 絵画のいろは展のDM

 

絵画のいろは展のDMができました。

原田美術教室では来月、10月18日から22日まてシンフォニア岩国の企画展示ホールを全館使って『絵画のいろは展』を開催します。

 

この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30名で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。
「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。

 

2017年10月18日wedー22日sun

10:00ー18:00

シンフォニア岩国企画展示ホール

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 15:17 | category: インフォメーション |
# 大胆な仮説と確かな眼差し

516E690TwcL._SX352_BO1,204,203,200_.jpg

『山に生きる人びと』(宮本常一著 河出文庫)

 

本編『山に生きる人びと』は、民俗学者・宮本常一がその膨大な調査資料から大胆にスケッチしたこの国の民族史に関わるきわめて興味深い論考といえる。著者はあくまでも試論としてそのイメージをまとめたものとしているがきわめて説得力のある著作と云っていい。

なかんずく、“聞きとり”の天才とも云われたこの著者が附録として添えた「山と人間」におけるエッセイは、昭和36年の夏、高知から大阪までの飛行機内の上空から読み解く[山中の景観]に端を発したもので宮本常一ならではの象徴的な記述といえるだろう。

四国山中のみならず、九州の米良、椎葉、諸塚、五家荘、五木に見られる景観、とりわけ南九州にみられる八重という地名や近畿地方の吉野熊野山中の風景を読み解くなかでは、村々の大半が水田をもたず、焼畑、定畑を耕作し、その集落は山腹のやや緩傾斜面にあるという。さらに、そういう集落は各地でみられ、必ずしも川の方から谷を上がって村をひらいたものではないとしている。

 

石川県の白峰村でも白峰を中心にした一帯も焼畑耕作の盛んなところで、牛首というところから奥には水田はほとんどなく、緩傾斜地に焼畑をひらき、鍬棒づくりをして生活をたてている。ここでは焼畑をムツシといって牛首奥の山地で焼畑をしては新しい適地を求めて移動するようになったという。

つまり、長野県伊那郡坂部の熊谷家のように水田地帯から入って山中に定住しためずらしい記録や中国地方の山中は田と畑の両方をつくる例もあるけれど、定住のきわめて古かった山中の村々の場合は畑作のみに依存しているのがほとんどだとしている。

また、山に生きる山岳民のくらしにはマタギといわれる狩猟民、杓子・鍬柄大工、木地屋、鉱山師、炭焼き、木挽など、あきらかに平地民とはちがう生活の営みがあったというのだ。

 

赤坂憲雄さんの解説にもあるように本著は40年ほど前に刊行された柳田國男の『山の人生』を強く意識して書かれたものかもしれないが、本編では平地民とは異なる歴史を背負った民族が存在した可能性を問いかける宮本民俗学ならではの徹底した調査に裏づけられた大胆な仮説と確かな眼差しがある。

さらに、赤坂さんは次のようにも指摘する。古い縄文期の民俗的な文化が焼畑あるいは定畑などを中心にした農耕社会にうけつがれた一方で、水田稲作を中心にした農耕文化が天皇制国家を形成し、後々まで併行して存在しかつ対立の形をとったのではなかろうか、と。

推定であり試論とはいうものの、まちがいなく柳田國男の名著『山の人生』とともに『山に生きる人びと』も列島の民族史への最後のアプローチとして知の系譜のなかに組み込まれる著作となるだろう。

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 19:17 | category: エッセイ |
# ベルナール・ビュッフェ・・・

 

前田くんの新作(F20)、やっと完成しました。ヨーロッパか何処かの街の通りかな?

何となくベルナール・ビュッフェ、いいですよ、いいですよ、最初はコピーでいいのです。

思い切って描いているし雰囲気あるじゃないですか。

4作目でこの作品、悪くないです。

『絵画のいろは展』も近づいてきています。みなさん、ぼちぼち“ギヤチェンジ”して制作に取り掛かってくださいよDMもあがってきます。

|comments(0) | trackbacks(0) | 22:02 | category: 美術教室 |
# 県美展、さてさて結果は・・・

2017山本恵子 - コピー.JPG

 

2017浜桐 (800x364).jpg

 

なんとか仕上がった二人の作品。

上は山本恵子さん、ほとんどこのひと月でやっつけた。

下は浜桐陽子さん、こちらは半年くらいかかったのかな?よく頑張りましたね・・・・

 

二人が言うには結果は二の次で何とか完成させた達成感でほっとしているとのこと。作品は悪くないし完成させただけで手ごたえを感じているようだ。コンペというのは結果に振り回されることがあるけれどそれは良くない。

自作に向きあうこの気持ちをたいせつにしてほしいものであ〜る。

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 11:50 | category: 美術教室 |
# 聖性の考古学

img152 - コピー (2).jpg

寓話后識瑤麟

 

翌日の29日は埼玉県立近代美術館で開催中の『遠藤利克展ー聖性の考古学』(20017年7月15日ー8月31日)を観るため北浦和へ・・・。その前に北浦和駅で待ち合わせていた同級生の二人と再会。

近くのイタリアンでランチということになっていたのだ。この夏、岩国で同窓会をしたばかりでその時の話やいろいろな懐かしい話やおもしろい噂話に花が咲いた。

帰りの時間を気にしながら3時には北浦和を出ることにして一緒に展覧会を観ることになった。

 

遠藤利克の作品に接するのは久しぶりとなる。若い頃からアートドキュメント2004錦帯橋プロジェクト2004で岩国のぼくたちともお馴染みの戸谷成雄さんらと一緒に活動をしていた作家で30年以上も前にぼくはこの美術館で『FOUR DAYS IN URAWA』という彼らのグループ展も観た記憶がある。

その時も確か「水」を使った作品だったと思うが今回も大々的に「火や水」を使った圧倒的な大作ばかりだった。

 

img152 - コピー.jpg

Triebーナルチスの独房

 

img153.jpg

 

img151.jpg

 

遠藤利克は1950年生まれでぼくらと同時代の作家だが、ヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタなどの国際展に出品し、北欧と英国では巡回展を行っているほか、国内では円空賞(2009年)を受賞するなど国内外で極めて評価が高い作家の一人といえる。

とりわけ、火を使うこの作家の営為について埼玉近美のニュース「ZOCALO」では、『畏れと歓喜の先にある感覚を目指して』として遠藤の作品について解説されている。

 

略)遠藤は、彼の世代に先行したミニマリズムや「もの派」の芸術観が理性に重きを置きすぎていると考え、美術には身体経験や感情などの要素がもっと必要だと考えていました。芸術の原理を問うことを重視した先行する動きに対して、遠藤は、一方では、現代美術が退けようとしてきた神話や物語のような要素を持ち込むことで、現代美術を再び活性化しようとします。他方では、身体感覚を重視して観る人を圧倒するようなスケールの作品を制作するのですが、それは作品の物理的な大きさというものが、やはり生命の高揚と畏れの感情とを同時に感じさせるものであるからです。火の痕跡や作品のスケールによって、遠藤の作品は観るひとの身体感覚や感情にダイレクトに働きかけてきますが、それは畏怖と歓喜が一体となった感覚には、信仰にも通じるような「聖なるもの」の片鱗がる、と彫刻家が考えているからなのです。

 

きわめて興味深い論考と云っていい。

 

IMG_0612.JPG

空洞説ー薬療師の舟

 

けだし、最後に展示されている作品『空洞説=薬療師の舟』では常設のジャコモ・マンズーの『枢機卿』と不思議なことに一体化しているのも、まさしく聖なるものの現われと云えることだったのかもしれない。(垂直の柱のようなものは上部から吊り下げられているもの)

 

なお、埼玉近美では企画展『遠藤利克展―聖性の考古学』と、一週間遅れで始まる同館コレクションの特別展示『遠藤利克ー供犠の論理学』をあわせてご覧いただき、遠藤利克の世界をじっくりと堪能してほしいとしている。

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 18:05 | category: 日記 |
# アルべルト・ジャコメッティ

アルベルト・ジャコメッティ『ディエゴの胸像』.jpg

ディエゴの胸像

 

午後3時に息子と待ち合わせして六本木の国立新美術館で開催中の『ジャコメッティ展』を見ることに・・・。

「チケット買っておくからな!3時だぞ。」とメールするなり、「ごめん、今から行くので4時になる」・;%$#;。

あああ、東京ミッドタウンまで行って時間をつぶそうかと思ったが、あまりの暑さに怖気づいてしまい美術館のロビーで読みかけの本を読むことに・・・。 

   

3人の男のグループ(3人の歩く男たち).jpg             

3人の男のグループ(3人の歩く男たち)

 

アルベルト・ジャコメッティ『女=スプーン』.jpg

女=スプーン

 

ジャコメッティの展覧会はとても落ち着いた空間だった。

多くの人が詰めかけていたものの程よい緊張感に満ちた心地いい作品構成となっていた。ジャコメッティ展の規模としてはぼくがこれまで観た中では最大のものだと思った。

ブロンズ彫刻の神髄を示すこの感覚世界、やはり「彫刻っていいな」と感心させられる。

ぼくは館内をゆっくりと観ていくうちに、おもわず精神がリフレッシュしてシンプルな美しさに何か充たされている気がしている自分に気づいた。

 

6.JPG

大きな頭部

 

ゆっくりと観ているうちに息子を見失ったぼくは最後のショップの部屋に来ていた。「あれっ、もう出たのかな?」ぼくは会場を出てロビーにいるはずの息子を探したがどこにもいなかった。

「まだ中にいるのかな?」しばらく椅子に腰かけて待っていてもなかなか見当たらないし、ロッカーに預けた荷物を取りに行こうと思ったときに彼がでてきた。

「な〜んだ、まだ中で観ていたのか」というと「おもしろかった」と息子。しばらく腰かけて休みながらいろいろと展覧会の話をしてぼくらは新美術館をあとにした。

 

img148.jpg

 

「どうする?池袋あたりで飯食うか」その日は息子のアパートに宿泊する予定になっていたのだ。ぼくらは赤羽で降りて食事することになった。

35年前、ぼくが東京にいた頃とは違っていて人も多く活気があった。便利だし凄いねここ、と言いながら久しぶりに親子で飲み交わしていろいろな話をした。あっという間に10時半を過ぎた。

『酒なら俺のとこにもある」というのであとは息子の部屋で結局、2時過ぎまで飲んでいたが翌日は北浦和にいる同級生二人と約束していたのでお休みということに・・・。

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 14:15 | category: 日記 |
# 月曜日は六本木

img141.jpg

 

翌日、28日の月曜日は六本木へ・・・久しぶりに上京すると何かと忙しいのであ〜る。

六本木の国立新美術館と森美術館は火曜日が休館日となっていて月曜は開館しているのだ。

ぼくは二つの会場で行われている『サンシャワー』と称した1980年代から現在までの東南アジア現代美術展を観ることにしていた。

サンシャワーとは天気雨のことで紆余曲折の歴史を経てきた東南アジア地域を表すメタファーでもあるという。

つまり、この展覧会は時代の潮流と変動を背景に発展した東南アジアにおける1980年代以降の現代アートを9つの視点で紹介するものであり、史上最大規模の展覧会としているのも肯けるというもの・・・。

 

img142.jpg

 

人口約6億人。多民族、多言語、多宗教の東南アジア地域ではダイナミックで多様な文化が育まれてきた。特に経済発展が目覚ましい近年、この地域のアートの動向にも世界中から大きな注目が集まっているという。

確かに、会場から伝わってくる熱気のようなものには、とりわけ強いメッセージ性と個人的であれ社会や政治状況に向けたものであれ、映像を加味した複合的な表現様式が印象的だったように思う。

このような動向は日本ではアートが美術館や画廊空間のみならず都市空間や自然環境を舞台として、社会と深く結びつき地域づくりの手段として注目されていることと一致しているかに見える。

 

もはやアートの世界も欧米中心の価値観から多様な価値へと移行しグローバル化してきたと云えるのかもしれない。

 

img143.jpg

 

山口県美では審査員に福岡アジア現代美術館の後小路雅弘さんを招いたこともあり、東南アジア地域の美術の注目度は多少は分かったつもりでいたけれど、これほどの大大大規模の企画は世界中から注目されていいのではないか。

 

 

 

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 16:07 | category: 日記 |
# 東京リアルタイム

 

東京っておもしろいもので常にリアルタイムという感じが岩国から見ると何とも不思議なのだ。

新幹線で移動中、何げなくツイッターを見ているとタイムラインに憲法学者・木村草太のコメントが上がってきた。よく見ると本日、八重洲ブックセンターで『ブラック部活動』を出版したばかりの社会学者・内田良と17時から対談するとのこと。

 

銀座の画廊を4時に切りあげて移動すれば調度いいタイミングなので東京駅で降りてブックセンターの8階へ行って聞いてみると『ブラック部活動』を購入していただければ自由に入れるとのこと。

一冊買って入ってみると二人がちゃんと来ているではないか。入場者もあっという間に50人くらいいて調度いい講演となりレベルも高いしおもしろいのだ。

つまり、その辺でその時にやっているものをSNSで情報をキャチすればすぐに参加できるのだ。

こんなことは岩国では考えられないことなのである。それは其れは、実に不思議なことなのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 15:03 | category: 日記 |
Archives
Profile

DSC01147.JPG
現況2012展[シンフォニア岩国]
IMG_0136.JPG
Wall of the bamboo[2010 周東パストラルホール]

bummei HARADA 「具体絵画の断面 part4」展/2010年1月

路地プロジェクト2010/古着、メッシュ、イルミネーション/周東パストラルホール

WORK 作品 / 1992 / 185x185 cm / 合板、和紙、鉛筆、新聞ほか [現代日本美術展]

WORK 作品 / 1992 / 230x400 cm / 合板、和紙、鉛筆、新聞、染料ほか

COUPLING/1996/秋穂産御影石、コールテン鋼/山口県セミナーパーク

Art document 2004 KINTAIKYO project (総合ディレクター、アーティスト)
祈りプロジェクト/Art document 2004 KINTAIKYO project

錦帯橋の架かる錦川の中流に美川という山間の小さな町がある。かつては川を行き来する“物資輸送の中継地”として、また一時期は“鉱山の町”として栄えた。その町で子ども時代を過ごした私はこの川で育ったといっていい。
夏は一日中、川で魚をとったり泳いだりして遊んだ。大雨の時には川は豹変し、化け物のような濁流となって恐ろしく大きな被害を残した。私が子どもの頃の冬は、まだ雪も多く降っていて、手の切れるような冷たい水の中で、和紙の原料となる楮の皮を剥いた白い材料を浸している大人たちを見ていた。川の一部は凍りつき小雪が降りつづいていた。
川の移ろいに四季を感じ、あるいはこの川と一体となっていたのかもしれない。“エンコウの話”や“かっぱ伝説”を聞かされ、川の怖さ、面白さ楽しさが原体験として身体に染みついている。
記憶の一つに、夏に行われていた“万灯(まんどう)流し”がある。当時は、わら束を円形に形づくり木の枝で三脚を立てて器を支え、たい松を燃やして川に流していたものである。儀礼的な意味としてではなく、ただ非日常的な美しさが記憶に残っている。
振り返ってみれば、この川の自然の様相も私たちの生活の営みとしての文化の「流れ」とともに変ってしまった。“祈りプロジェクト”は、そうした子ども時代の原体験が記憶の底、あるいは意識の底から起きてきたのかもしれない。それとも、これまでの「流れ」の中で失いかけていた祈りの気持ちをあらためて考えたいと願っていたのかもしれない。
平成の架け替えで、錦帯橋は2004年3月に新しく生まれ変わった。この作品は解体された錦帯橋の材料を物質として残すのではなく、錦川の流れに沿って移ろうままにつながれた水上の炎で消滅させ、生まれ変わった橋を照らしだす仕組みとなっている。
私は自らの原体験とあわせて「流れ」と「祈り」そのものに向き合い、私の現在を見つめようとしたのだろうか。それとも、炎として燃え上がる物質の消滅を見つめ精神の回復を願ったのだろうか。
眼前の流れを見つめながら・・・。 

流れ / 2003 / Art move 2003 〈IWAKUNI〉“表現の成り立ち”
Comments
原田美術教室研究生募集中
表現の可能性を考え、個性をひきだすユニークな美術教室

受験コース

このコースでは多様化する今日的な美術の状況と受験の現実をふまえて、ひとりひとりの個性を大切にし、造形美術の基礎的な取り組みから、「見る」「感じる」そして「描く」力を育てます。また、発想の展開や表現することの意義深さ面白さを深く「考える」ことを通して、柔軟で力強い造形力がつくよう親切に指導しています。

児童コース

このコースでは遊び心を大切にして、いろいろな作品の制作に取り組みます。造形美術の楽しさは、ただ作品を完成することだけではなく、つくる過程で何を感じ、また何を考えるかということ。子どもたちと一緒にその創意と可能性について考えながらしんせつに指導しています。

一般コース

文化的な営み、活力と潤いのある生活。このコースでは、はじめての人から県美展や市美展をはじめ他の美術コンクールなどで入選入賞を果たしている人、あるいは国籍・性別・年令を問わず色々な人を対象としています。内容も油彩・水彩・アクリル画と色々ですが、人と人、表現と表現のふれあう中で、テクニックだけではなく絵を描くことで何を発見できるか、ということを問いつづけています。
Mobile
qrcode
絵画のいろは展2017

2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室
DSC02345.JPG
DSC02362.JPG
この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。
DSC02287.JPG 子どもの作品が大人気
DSC02319.JPG
DSC02316.JPG  
グループ小品展2016

グループ小品展2016
2016年9月21日(水)〜9月25日(日)
主催:原田美術教室会員

この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
DSC02667 (640x479).jpg
DSC02671 (640x480).jpg
DSC02692 (640x479).jpg   
原田文明展 ドローイングインスタレーション2015

2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
DSC02436.JPG
DSC02391.JPG
DSC02396.JPG
ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。
里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」

本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。
岩瀬成子の本


こどものときちゃん(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。
517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。
DSC02741 (480x640).jpg
『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞受賞作家による感動作!
51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。
141031_1706~01.jpg 
『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化賞大賞受賞

クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞受賞
69663364.jpg
『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。
DSC01468.jpg
『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!


 『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)

大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代

基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。

偕成社から好評新刊発売中!

 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!
『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。
Search this site
Sponsored Links