自粛要請と言われても
- 2020.03.29 Sunday
- 15:10
簡単に自粛要請されてもなぁ、何を意味するか分かっているのかな?
この間、自粛を拒否して『三島由紀夫vs東大全共闘』みたけど言葉の力というか質量が桁違いにちがっている。みんな必死で生きているし熱量がちがう、命がけで発言しているんだぜ!
朝日新聞29日付
簡単に自粛要請されてもなぁ、何を意味するか分かっているのかな?
この間、自粛を拒否して『三島由紀夫vs東大全共闘』みたけど言葉の力というか質量が桁違いにちがっている。みんな必死で生きているし熱量がちがう、命がけで発言しているんだぜ!
朝日新聞29日付
Peter Doig(ピータードイグ)《のまれる》 1990年、油彩・キャンバス、197×241cm、ヤゲオ財団蔵
日本初「ピーター・ドイグ展」
最新作までの約70点を紹介❗
2020年もっとも注目すべき展覧会の一つといわれる「ピーター・ドイグ展」。日本ではじめての個展となるこの展覧会では初期の作品から最新作までの約70点が出品されるという。
東京国立近代美術館において2月26日から6月14日の会期でおこなわれることになっていたが、コロナウイルスの感染拡大の影響で残念ながら中止されている。
ピーター・ドイグについてぼくはほとんど何も知ることはなかったし、ブリティッシュアートの新し動向についても広島市現代美術館で紹介された「イギリス現代美術は今」展以後、まったく知ることはなかった。そのときは彫刻のトニー・クラッグや絵画のリサ・ミルロイ、アンソニー・ゴームリーやアーニッシュ・カプーアもあったかもしれないがその程度だ。
ここでは「ピーター・ドイグ(1959-)は、ロマンティックかつミステリアスな風景を描く画家です。今日、世界で最も重要なアーティストのひとりと言われています。彼は、ゴーギャン、ゴッホ、マティス、ムンクといった近代画家の作品の構図やモチーフ、映画のワンシーンや広告、彼が過ごしたカナダやトリニダード・トバゴの風景など、多様なイメージを組み合わせて絵画を制作してきました。
私たちが彼の作品に不思議と魅せられるのは、誰もがどこかで見たことのあるイメージを用いながらも、見たことのない世界を見せてくれるからだと言えるでしょう。本展は、ピーター・ドイグの初期作から最新作までを紹介する待望の日本初個展です。絵画から広がる想像の旅へ、みなさんをお連れします。」とある。
とても興味深い展覧会がこういう形で中止されたのでは残念でならない。だが、ピーター・ドイグの名は覚えた。
ここに紹介し、これからも注目していきたいものである。
Yさん『そら豆』
赤い布と組み合わせて6個のそら豆を配置した静物画だが、やはりパワフルでいい感じ。
Sさん
野菜づくりが得意のスミさんは今年90になるという。飄々としていておもしろい絵です。
Nさん
少し渋めの赤になってしまったか、背後のインジゴが混ざったのかな?荒々しい筆のタッチが生きてくるといいですなぁ〜や。
Tさん
ひと月前から鉛筆デッサン中、形もある程度とらえられるようになって素材にも慣れてきました。これからもう少し精度を上げながら質感を考えていきたいものです。
ココさん
子どものクラスでは今日は久しぶりに《コラージュ》をしました。まだ、完成していない子もいるしおもしろい課題ですので次週もひきつづいてこの課題に取り組みます。
どういうわけか心菜くんが完成しています。よく頑張りました!
禁断のスクープ映像が50年の封印を解かれた! あの伝説の討論会が今、蘇る!
最近は映画をみる機会がかさなって火曜日は話題のドキュメント映画『三島由紀夫VS東大全共闘』をみるため広島へ行くことになった。
コロナウイルス感染のリスクをかかえながらもサロンシネマは比較的ゆったりとしていて、感染の心配もさほどありそうには見えなかった。
この映画は《伝説の討論会》といわれたあの三島由紀夫VS東大全共闘1000名の学生たちとの『緊迫した論理と思考の対決》を記録したものだ。
「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と学生たちは1969年5月13日、東大駒場キャンパス900番教室に集結した。
万一を想定して《楯の会》のメンバーも最前列に集結し学生らも民青の殴り込みを警戒していたが、警察の警備も断り単身で乗り込んだ三島由紀夫は最後まで余裕を見せその態度は紳士的で常に冷静だった。挑発的な学生たちにも終始丁寧な言葉の力で応じた。
この場に立ち合った当時の学生、芥正彦、橋爪大三郎、木村修たちの他にも内田樹、平野啓一郎、小熊英二、瀬月内寂聴らのコメントを織り込んだ衝撃のドキュメントだ。
翌年11月25日、三島由紀夫はあの壮絶な死を決行するのだが、この討論会には確かにその予兆を感じさせるところもあった。
以前、友人から送られてきたヘンリーミラーの三島由紀夫の死についての論考を読んだことがあった。その論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。
この映画でも話題になった『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備している三島の内面が感じとれるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。
あるいは強烈な観念論者とか狂信者などと云われるけれど、それほど究極的な心境にこのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。
若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。平野啓一郎のいうようにたしかに戦中派として生き残った者の精神的なリスクと特異な意識があったのかもしれない。
いうなれば反米愛国主義、三島由紀夫は当時でさえ極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて絶対権力者としての天皇論を主張していた。それゆえに、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。
そうだ、統治制度における人民の主体的関係性を明確にするという点では三島と全共闘はある意味で共通するものがあった。三島はそれを直感していたがゆえに余裕をもってこの討論の場に立っているようにも見えた。
最近になって読んだ『保守と大東亜戦争』『石原慎太郎:作家はなぜ政治家になったか』(中島岳志)『象徴天皇という物語』(赤坂憲雄)とヘンリーミラーの三島論などを整理しながらこのドキュメントを考えているのだが、戦中派としての立場、あるいは《楯の会》を象徴する肉体派、文化防衛論者という反小説家としての活動は何だったのか、と。また、橋川文三や福田恒存はこの作家をどう捉えていたのだろうか。
だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするところもある。事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近が昇天への欲望としてイメージされている。
行動の美学とは何か、いうなれば三島由紀夫は死をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現し完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。そのように考えてみると三島の現在はどのように考えられるのだろうか。つまりは《覚悟の行動学》といえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。このことはこの映画でも『非合法の暴力を認める」という立場を表明していることからも肯ける。
ヘンリーミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるのだ。
それにしても単身のりこんで東大全共闘の学生1000人が集結した中で、このような臨場感のある議論を実現させる双方の理性と知性にはおどろくばかりである。最近、若い人と話していてこのような議論の機会がどういうわけか消失しているように思えるのはどうしてだろうか。
いや、国会前のデモやアジ演説をみてもむしろ一人称でいい切る実態もあるし、大きなちがいや変化があるとも云えそうにない。むしろ、言葉の力を信じ互いを尊重する態度がこの映画では際立っていたように思えた。
そのことは、数日前の朝日新聞のこの映画に関する記事でも取り上げられていたように、ここではSNSやネット空間における匿名性の中で相手を罵倒する誹謗中傷とは異なり、たしかな言葉の力と対峙の論理による臨場感のある議論が成立している。
朝日新聞より
『保守と大東亜戦争』で著者・中島岳志が説くように、戦中戦後を通じて「保守とは何か」と考えるだけでも正反対の立場があり同じムジナのようにみえることも分かってきた。
知識人たちの戦後の変貌ぶりと対米従属への苛立ちに立ち向かう三島と全共闘、この映画からは思想的立場はちがっても確かに《本気で生きる者たちの熱量》が伝わってくる。それは主体性と純粋性の回復と言い換えることもできるのではないだろうか。
ここでは、他者とは何か(主体性を認める自分以外の存在)、エロチシズムは他者の主体性を認めない。解放区の時間と空間など芸術と言葉の介入など芥正彦との論議も興味深かったが、当時の刺激的な言葉と熱気が甦る瞬間を堪能できるきわめて不思議な時間でもあった。
今年は庭の木賊(トクサ)の勢いがすごいな。
木賊(トクサ)といえば百鬼園先生のノラを思う。
ノラや、お前は三月二十七日の昼間、木賊の繁みを抜けてどこへ行ってしまったのだ。
直島にある地中美術館の木賊もきれいだったなぁ・・・。安藤忠雄のコンクリートに意外にもよく合うんだなこれが。
ツツジの花芽もけっこうあるぞ。今年はけっこう凄いぞ。
玉井さんの『里の風景』10号
アンちゃん頑張っていますな。
完成。県美だめでも気にするなこのまま行け❗
山本さん(a)
山本さん(b)
スミさん
中澤さん
いつもは課題が花になると制作に時間がかかっておそくなるのだが今日はどういうわけか早く仕上がった。
3時間のところが2時間で仕上がるのだから安どうかと思うけれど、意外にも力の抜けた不思議なおもしろさがあって悪くない。
描きゃあいいってもんじゃないしやっぱ気づくことだな、おもしろさに。
ヤブツバキ わが家では主木に近い赤のヤブツバキだ。
コゴメザクラ タイミング悪く剪定したので今年はこんな調子。
モクレン 今が満開です。
アセビ 馬が酔う木といわれるが、この葉っぱを食べると毒に当たって酔うらしい。
ハル5年 背景を海にしたのか。
メグ5年 こちらは木立のある森かな?
ツム3年 どっしりしていてツムらしいな。
カエ3年 少し小さくなったのでハンカチを敷いたのが効いているぞ。
ココナ1年 最後まで頑張りましたな「よく描けています」とほめると無言のパンチ。てれくさいのかなぁ。
ユウ1年 いいけど黒いの・・・なに?
ミコ1年 大きな構図すばらしい。
はやく描けや、山登りできなくなるぞ。
お父さんの転勤で、ツムちゃんらが三原へ引っ越すので最後の記念撮影。
山登りはできなくなったが木登りができた。人間のサル化だ。
ヘンな木があったものだ。
ミコとユウ
ハルのトラが・・・
コロナ騒ぎのせいでナオとお別れできなかったが、ツムとユウたちも三原で頑張ってくださいよ。
吉川家の別邸水西書院。作家宇野千代の小説にも登場する知る人ぞ知る建物だ。
いつだったか、ここで舞踏家・芦川洋子ひきいる白桃房の公演があったなぁ。
「あれは良かった」詩人の杉本春生さんも元気だったしあの頃は活気もあった。
その後、カミさんの小説『額の中の街』だったか何かの出版記念の宴会をやった気もするな。
古いが風情のある建物でもあるしどいうにかして保存していただきたいものだ。
今日、久しぶりに立ち寄ってみた。