いま、模索中
- 2020.01.25 Saturday
- 20:05
何かを求めていま模索中、、、
それが何かはわからない。わからないから楽しみでもあるし、辛いところでもある。
F
O
受験生もいよいよラストスパートの段階にかかった。最期のムチを入れよう。そして栄光の《合格》を勝ちとろうではないか!
何かを求めていま模索中、、、
それが何かはわからない。わからないから楽しみでもあるし、辛いところでもある。
F
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受験生もいよいよラストスパートの段階にかかった。最期のムチを入れよう。そして栄光の《合格》を勝ちとろうではないか!
ミコ小1
自画像を描くミコ
ユウ小1
ナオ小3
ツム小3
ハル小5
ココナ小1のケーキ これいいね。
おもしろ自画像のでき上がりです。
やや硬さがありますが力強い作品になっています。
マスクをかけた自画像は意外にあそべるかもなぁ。うそだとおもったら想像してみるといいそれだけでも楽しいぞ。たとえば、大きなタラコ唇やタバコをくわえている大きな唇の絵があったら楽しいしチャックの絵でもおもしろい。
もっとおもしろいアイディアはないかなぁ《おもしろマスク》のアイディアが。
ホント、今度マジでやってみるかなぁそういうの。
翌日の22日は朝9時半から入選作品の中から各賞の選出がはじまった。審査員に与えられた票がつぎつぎと投じられ観客も各自で確認しながら整理され配置された作品をみてまわる。
ようやく一段落して集計されると票の投じられた作品が32点となりこの時点で佳作賞以上が確定した。そして、佳作賞以上の作品が一堂に集められいったん白紙にもどされてから再度あらためて票が投じられることになった。
ここで複数以上の票が入った作品を優先しながらこの中から優秀賞以上を決めることになった。今年はこの時点で審査員各自の評価の基準や推薦の根拠が説明され活発な議論があった。たとえば、素材のことやコンセプトと方法論のあり方、技術的なことや問題意識までいろいろな視点で議論されたがなんとなくもどかしさもあった。
個人的にはそういう論議をつき抜けたこの作品がぼくはおもしろかったな。
岩国でもこんなことをよくやるモノ好きなおっちゃんがいるけれど、美術作品としてキッチュを武器に堂々とはれ舞台におどりでた感じで圧倒的だ。
たしかに切り口にへんな写真がはり付けてあるのはいただけなかったが、、、。
この床と壁の組み作品もどこかユーモラスなおもしろさを引きずりながらアイロニーを込めて美術館の制度的な条件に切り込んだ快作だ。
だが、ここで彫刻であるべきかどうかで評価は分かれる。審査員の岩崎さんは彫刻であってほしいから壁面の作品を取り除いてクリヤーなところで勝負してほしいとした。
だが、この作者はおそらく従来の彫刻の概念を超えた展開を望むから、ひな壇としての台座や額縁を否定したいというメッセージをこめたインスタレーションを考えたのではないか。彫刻としておもしろいしユーモラスな広がりもある。
この3点セットの組み作品も窓のスペースがきいていて個人的にはおもしろいと思った。聞くところによるとこの作者、この場所を好んで設定しているらしい。
ところでわが教室の面々、今年こそはとかなりの力作を持ちこんでトライしたのだが結果はノッコン、やや肩すかしを食らった感じ。
その中でも初出品の安永福美さん、昨年の審査会のようすを見物していたしかなりの本気モードになっていただけあって「ひふみちゃん(習作)」「ひふみちゃん」の2作が入選し、習作の方が佳作賞になったのは幸運であった。昨年、優秀賞となった藤本スミさんは「三倉岳」と「岩国の楠」の2点のうち「岩国の楠」が入選。玉井康子の「里の日なか」が昨年につづき入選となった。
というわけで昨年と今年、最近の県美展のようすをうかがうことになったが全体的にやや小ぶりになっているように思えたのはどういうことだろう。ここにも社会や経済的な状況のうつり変わりの影響があるように思える。以前はかなりの物量を投じた作品がありもう少し活気もあったように思うのだが・・・。
いうなればフォーマルな感じの閉鎖的な作品より、限界芸術ともいうべき大衆の思いと感覚でそのまま美術のはれ舞台に持ち出されてきたような作品やいわゆる素朴派、漫画アニメ、キッチュ感覚の作品が、それこそアメリカのネオダダの視点やピカソらが持ちだしたアフリカ文化、最近のアジア美術、あるいはシュールもそういう類のムーヴメントといえるかもしれないがある意味で傾向として取り上げられているようすが見受けられる。
今日は県美展の審査会。ややおくれて会場につくと審査はもうはじまっていた。あとで聞くと9時半からスタートしたらしい。
しばらく見ているとわが教室の玉井、小方、安永、安奈と続けざまにくり出されてきた。この時点(一次審査)で玉井の2点、小方の1点、安永の2点が残ったが、午後からの二次審査で玉井の「里の日なか」安永の「ひふみちゃん(習作)」と「ひふみちゃん」の入選が確定しあとは残念ながら選外となった。
ぼくが会場につく前にすでに一次通過していた中村、浜桐、藤本がくり出され、藤本の「岩国の楠」の入選が確定した。また、藤本の「三倉岳」も一次を浜桐の「 Look at me!」中村の「おかめひょっとこ」とともに通過していたのだが、残念ながら午後からの二次審査で3つともアウトとなった。
わが教室の面々は昨年目立って好成績ではあったが、冷静に考えてみれば結果を素直に受け入れて精進するほかないと考えるのが妥当ともいえるだろう。
だが、自作と向き合い進むべき方向性にまちがいはない。ブレることなく前を向いて頑張ろうではないか、、、、な‼
美術館をあとにしてぼくは久しぶりに彫刻家・田中米吉さんのアトリエを訪ねてみることにした。助手の沼さんにも会ってみたかったのだがあいにくアトリエには誰もいなかった。
懐かしい作品のまわりをうろうろしながら誰か帰ってこないかと少し待っていたのだが結局ひきあげることにして湯田の宿へ。
米吉さんのアトリエは静かにたたずんでいて空は抜けるように青かった。
センター試験国語に、原民喜「翳」が出題されたと聞いて、問題をといてみた。受験時代に国語の問題を解くのが心底嫌だった感覚がよみがえった。受験国語では、文学を「読む」という態度を捨てて、設問者の意図を「読む」ことに徹しなければならない。本当に嫌だった。(中島岳志のツイートより)
今日から今年で最後の大学入試センター試験という名の試験がはじまった。次年度からは共通テストとなるらしいが記述式やら文科大臣の《身の丈》発言で混迷している。
この時期になるとどういうわけか決まって寒波がきて当日は寒い日となる。関東では雪というから本当に雪国の受験生はたいへんだ。10点くらいのハンディをもらって丁度いいくらいじゃないか、などとついつい思ってしまう。
わが教室の高校生も受けているのだが出来たかな、といつものことながら気になってくる。
昨日と今日はこの試験にそなえていつもの実技の勉強は休みにしたのだが学科試験も頑張ってほしいものである。
学科がおわれば実技の特訓がまっているが、これをのりこえて受験生は成長する。それは宿命的な壁なのかも知れない。
大きなお皿にお菓子がいっぱい。心菜ちゃんの作品、こりぁ楽しい絵になりそうだ。
次の教室で完成だな!
5年生のハルさんの教え方がとても良かった。陽菜せんせいは折り紙の教え方もうまい。
がらっぱちでいい加減なところもあるが気の効いたところもあり優しい性格の不思議な子だ。
今日はカガミと睨めっこして自画像を描いたのだがこれも次の教室で仕上げることになっている。
饗宴
Look at me!
おかめひょっとこ
だるま
今津川と楠
紅葉谷の風景
ひふみちゃん(習作)
ひふみちゃん
三倉岳
岩国の楠
安奈のSWEETS
SWEETS MEMORY
MY FAVORITE CAR
里の日なか
里の夕ぐれ
鐘を鳴らす猫
ラッパを吹く猫
笛を吹く猫
よーし、これでだいたい出揃ったかな。
今日は錦帯橋の河原で《とんど祭り》があった。
少し早めに着いたので車の中で大相撲をみていたら、結びの一番で遠藤が白鵬に勝って大騒ぎになった。先場所の取組みでは白鵬のエルボーで問題となったが「反則ではない」と開き直る横綱にエルボーをかましてほしいと思っていたら遠藤は正当な技ありで勝った。
痛快な気分で車から降りて近づいて行くといきなり花火があがった。どうやら火入れの合図らしかった。
例年どおり、神事や市長らの挨拶があって7時頃火入れとなり一気に炎が燃え上がった。
ぼくたちは持って行ったお飾りやお札を火中に放りこんでからしばらくして《ぜんざい》をいただくことになった。むかしはお神酒も一緒にふるまわれたものだったが最近ではそうもいかなくなったようだ。
ぼくが育った山代の地域では《とんど》の準備は子どもたちがすることになっていた。川原に芯棒となる5メートルくらいの柱を立てて焚きつけにちょうど良い和紙の原料となる楮やミツマタの皮をとったキガラを持ち寄り、流木やみんなで山から拾い集めた小枝や竹を切り出したものを組んで完成させた。
それから、「火入れ》は7時と決め込んで夕飯までの時間を石組みなどして自分たちの場所(陣地)をつくるのも楽しみの一つだった。
日が暮れて鏡開きした餅やコオリ餅アンコ餅などをもち寄り《とんど》の火で出来たオキをとってそれを焼いて食べた。アワ餅やヨモギ餅もあったような気もするが神事のことはあまり知らなかった。
ただ、非日常の祭り事をおもしろがっていたのかも知れない。ぼくにとって《とんど》の原体験はそのようなものだった気がする。