含蓄のある新たな西行伝

  • 2019.05.29 Wednesday
  • 19:30

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『西行』(白洲正子著 新潮文庫)

 

ねがわくば花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

 

平安末期の世を生き、出家人として方々を旅しながら多くの歌を残し伝説化された歌聖・西行。多くの謎に満ちた西行の足跡を辿りながら著者独自の西行像に迫る論考はさすがに説得力がある。

とりわけ、西行の残した多くの歌からこの謎めいた人物像を探ることは容易であるはずはない。それゆえに明恵上人を書き上げた後に西行にとりかかるまでに十数年の歳月を要したことも肯けるというもの。それも推敲とか執筆に費やしたというよりもむしろ躊躇いのような悶々とした時間を過ごしただけとの言葉もイメージできるからおもしろい。

おもえば、詞書と歌による表現形式で世界と向きあい自身に対峙する修行(試み)は自然との同化による自己消滅こそが解脱への到達ということだったのだろうか。

 

風になびく冨士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬわが思ひかな

 

いつとなき思ひは富士の煙にて 折臥す床や浮島が原

 

いうなれば、このように自然に対峙し宇宙と同化する境地こそが西行の即身成仏の思想とみることができる。人間味あふれるこの思ひこそ西行の魅力であり不確かさであり謎ともいえる所以といえるのではないか。

それにしても芭蕉や山頭火、李白や杜甫にしても、どうして方々を旅するのだろうと不思議に思えてくるのだが、その足跡を追体験しながら随筆をまとめる作業とは執筆者独自の創造の世界として経験されるほかない。

福田和也は解説でそのことにふれ、白洲氏の文章は、何にも似ていない。西行を語ることは、歌について語ることであり、仏教について語ることであり、旅を語ることであり、山河を語ることであり、日本人の魂と祈りを語ることであった。としている。

また、『明恵伝』の記述をめぐる虚実にふれて、瞬時に世の虚妄にかかわる認識に通底させて、西行の姿を追い、見つめる読者の目を、西行が「虚空の如き心」で世界を見ていた認識と一致させてしまう文章の動きは、批評と呼ぶのすらさかしらに思われる程で、流暢な運びのうちに視界を転換し、「虚」と「実」の間に広がる、生々しい歌の在処を照らしだす。そのとき白洲正子の文章の中に西行が現れる、という。

個人的には残念ながらそこまで読み切ることはできないけれど、ディスクールとしては納得できるし、含蓄のある新たな西行伝ということもできるだろう。

 

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり

 

おのづから花なき年の春もあらば 何につけてか日を暮らすべき

 

待賢門院への思い、この濃密な息苦しさ、官能へと、花へと、身をさらす西行。

本著は西行とともに旅を楽しむことも、多くの謎とともに数奇のあり様を探ることも、想像力をかき立てられる傑出した一冊であることはまちがいない。

山椒の実とどくだみ

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 10:33

 

山椒の実

 

 

どくだみの花

 

サンライズクリーンセンター(ゴミ焼却場)

  • 2019.05.27 Monday
  • 14:30

 

米軍岩国基地の艦載機部隊のF35やF18が飛び交う木工団地の一角にできた新しいゴミ焼却場。

 


いつもはこんな調子だが、この日は訓練はなかった。


 

トランプ来日のタイミングというわけでもなかろうが、庭の選定ゴミをもっていた時はどういう訳か飛行訓練はなく静かなものだった。

でも、昨日も一昨日も夜の11時を過ぎても飛行訓練があり基地の騒音は止まなかった。

 

 

ひとりの釣り人が呑気に糸を垂らしていた。

 

 

 

戦争と保守派の変遷 

  • 2019.05.26 Sunday
  • 15:14

保守と大東亜戦争(中島岳志著 集英社新書)

 

いつの頃から大東亜戦争をアジア開放のための聖戦とみなし、戦前の日本の姿に積極的な意義をとなえ賛美する立場を《保守》とするようになったか。そもそも、《保守》とはいったい何なのか?

本著は戦前の日本において保守の論客たちがどのような発言をしてきたかを詳細に辿ることから歴史を解明し、今日への問いを見出そうとする著者の立場を示すものである。

 

ここでは冒頭、1930年代の昭和維新を掲げたテロによるクーデターの《ファッショ的革新性》そのものに保守思想とは相入れない矛盾があることを指摘し、《大東亜共栄圏》や《八紘一宇》という超国家主義的構想も容認できないとしている。

著者は保守の定義として、基本的考え方をエドマンド・バーグがとなえたフランス革命批判にあるという。

フランス革命を支えた左翼的な思想は、理性の力によって進歩した社会を構築できる、平等が実現したユートピア社会をつくり上げることができる、というものだ。つまり、人間の《理性の無謬性》を前提として合理的な正しさに基づく社会改造を行えば、理想とする社会を実現できるという発想を共有している。

これに対して、バーグをはじめ保守思想家は懐疑主義的な人間観を共有する。人間は不完全な存在であり、道徳的にも能力的にも過ちを犯しやすくエゴや嫉妬、怨嗟の念からも自由になることはできないし欲望を捨てることもない。 すなわち、人間にとって普遍的なのは《理性の無謬》ではなく《理性の誤謬》だとしたうえで、保守は理性を否定するのではないとも強調する。

一見、矛盾の論理にみえるかもしれないけれど真に理性的な人間は理性の限界を理性的に把握するのだとし、個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出そうとするのだという。それは伝統、慣習、良識であり、歴史の風雪に耐えてきた《社会的経験知》だとし、この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度であるという。

 

戦前、保守の論客たちは軍国主義に抵抗し批判の論陣を張っていた。第一章から第二章にかけては戦争へいたる過程とその抵抗について、竹山道雄、田中美知太郎、猪木正道、河合栄治郎、福田恒存ら保守の論客たちの発言と行動に詳細な言及を企てる。

とりわけ、この国の戦前から戦後を通じて共通する行動原理として革新的変貌のあり方それ自体に、左翼・右翼または進歩的平和主義を問わず本質的に同質のものを読み解く論考は興味深いところでありきわめて刺激的といえる。

第三章では保守の論客・池島信平、山本七平、会田雄次の実体験とその言動を通して、当時の帝国陸軍をはじめ日本の軍国化と侵略の実態を詳細に記述している。

 

会田は戦後を『虚妄の時代』と呼び、断罪しました。戦後民主主義は、高邁な理想によって支えられたのではなく、極めて功利的な処世術として展開してきたとみなしました。彼はそこに「いやらしい現実的臭気」を嗅ぎつけました。(本文p212)

 

このことはつまり、戦前と戦後は同根の存在であり〜(略)〜戦前の「皇道や神国日本」というイデオロギーに飛びついた人間こそ、戦後の西洋ヒューマニズムの偽善に飛びついた人間に他ならない。会田はその一連の人間たちを鋭く批判することで、保守の論理へと接近したという。

 

戦中派保守の論客たちが次々に鬼籍し世代交代していく中で、第三章では戦争に至るプロセスを主体的に体験していない世代が保守論壇の中核を担うようになるが、戦中派として孤軍奮闘する歴史学者林健太郎の主張とそれへの反論、とりわけ田中正明、伊藤陽夫、小堀桂一郎らとの大東亜戦争の正当性をめぐる論争は詳細に示されていて読み応えがある。

中村榮との論争では世代間のギャップによる歴史認識との差異、最終章では猪木正道の言動をとりあげここでも軍国主義と戦後の空想的変輪主義の同質性に言及する。

 

つまり、戦争賛美が保守なのではない。

本著はいま一度、戦争をめぐる保守派の変遷をみつめ、本来の保守的人間観に立ち返って戦争に至ったプロセス、思想的背景を吟味する必要性を説く渾身の一冊といえる。

 

風景画に挑戦だ!

  • 2019.05.25 Saturday
  • 10:51

 

 

 

楠の新緑がたいへんきれいです。

スミさん、ふたたび楠木の大作に挑戦することに・・・。

来月から山本さんも加わり活気がでそうです。

みなさん、大きな画面でのびのび描けて気持ちよさそうですね。

 

ドクンゴ/誓いはスカーレット

  • 2019.05.23 Thursday
  • 19:29

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大入りとなった今年のドクンゴ。

あんなテント小屋に103人というからよく入ったもんだなあ。天気も最高で今回も気持ち良く楽しめました。

 

 

 

 

 

この日は高校生たちの美術教室を休みにしてみんなで表現の多様性について考えよう、などといってテント芝居を楽しむことになった。

テレビでみる劇場の芝居とは一味ちがう演劇にふれる機会もないのでちょうど良かった。

この芝居、11月まで全国行脚が続くというからかなりの長丁場だ。こんな生き方している人たちがたくさんいることも知って欲しいのでそれも良かった。

ドクンゴの芝居は楽しい。小さな子どもたちも抵抗なくかぶりつきでみている光景もおもしろかったなぁ。

テレビでみかけるお笑いコントでもなく、かた苦しい不条理劇ともちがうエンターテイメントな構成が大人気なのかもしれない。破茶滅茶にみえるが本当に洗練されていると感心する。

 

打上げで西日本ツアーをプロモートしている外山さんに聞くと、やはりリハーサルは何回かやっているらしい。特に全員参加の場面はかなり繰り返すという。そりゃそうだろうなぁ、、、

2017年の時に参加していた「みやさんは?」と聞くと、もともと彼女は他の劇団員であのツアーに参加していたらしい。居心地がよかったのかけっこう長居していたとのこと。

今回の中にも一番若い役者の彼女も他の劇団から参加しているしそういうケースはよくあるけど、どういう訳かみんなドクンゴにくるんだよね(?)とのことだった。

わが教室のメンバーもけっこう来ていたなぁ。よかった良かった。

大宮もツアーにはいっているので向こうの友だちにもいっておくかぁ・・・

 

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うの花

  • 2019.05.23 Thursday
  • 16:35

 

裏山に咲いたうの花。うの花にホトトギスかぁ。

童謡『夏は来ぬ』の歌詞からすると5月から初夏にかけて咲く花ということになるなぁ。

卯の花の 匂う垣根に 

時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて

忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 

永遠の徹さん

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 13:42

ジャン・サスポータス&齋藤徹デュオパフォーマンス?.JPG

 

コントラバス奏者の斎藤徹さんが5月18日11時36分に永眠されました。

岩国のぼくたちともながいお付き合いになりますが謹んでご冥福をお祈りいたします。

FBなどで病状がかなり厳しくなってきていることは察していましたが、何ともいいようのない深い悲しみと喪失感がひろがっています。

徹さんとの出会いはかれこれ20年近くも前になりますが、広島の友人黒田敬子さんの紹介だったと思います。小さな会場でおこなったソロコンサートがはじまりでした。

そのときに聴いたコントラバヘアンドの衝撃はぼくにとってはかなり強烈なものでした。

即興ならではの独特の奏法、独特の旋律と音、それは不思議な広がりと大きなスケールを感じさせるきわめて印象深いものでした。

その後、ミッシェル・ドネダ、チョン・チュルギ、徹のトリオライブをシンフォニア岩国でおこないました。そのときの演奏はアルバム『ペイガンヒム』の一曲目におさめられています。ベースとパーカッションのリズムに合わせミッシェルの独特のソプラノサックスが重なり、《祝祭性》を感じさせるその音とリズムはぼくたちの意識の底に眠っている記憶を呼び覚ますような不思議な音楽でした。

 

このような経緯を経て、アートムーヴ2003岩国「表現の成り立ち」という企画に参加していただき、現代美術の5人の作家とともに会場でのコンサートをおこないシンポジウムにも参加していただきました。とりわけ、錦帯橋の架け替えによる解体材料(橋板40枚)と錦川の石を並べたぼくの作品「流れ」の上での演奏は今でもその光景が目に焼き付いて記憶されています。

行政と一体となった地域づくりを考える各種プロジェクトの一環としておこなわれたフォーラム2006岩国ジャン・サスポータス&斎藤徹DUOパフォーマンス岩国公演は衝撃的で圧倒する夢の競演でした。とりわけ、「地から」という後半のプログラムは今でも語り草となっています。

さらに、アートムーヴ2007岩国「具象の未来へ」ではアーティスト小林裕児さんとのライヴペインティングに参加。

この間、広島でもたびたび黒田さん企画のコンサートにも駆けつけ、ミッシェルや娘の真妃ちゃんらとの打ち上げに割り込ませていただきました。徹さんはいつもにこにこしていてその人柄も音楽と同じ大きなスケールを感じさせる不思議な存在でした。

 

ライブドローイングパフォーマンス?2010セッションハウス.JPG

 

東京の神楽坂でおこなった2010年の個展では、最終日ぼくの作品でお遊びドローイングのような投げ銭ライヴの演奏をしたことも今は楽しい思い出となってしまいました。また、その会期中に東中野のポレポレ座でおこなった能楽師久田舜一郎さんとのライヴにもお招きいただき堪能したことを覚えています。

その神楽坂で奥さんの玲子さん、徹さん、朋(マルメロ)さんとお会いし、後のオペリータにつながる話をしたような気がします。

四谷区民ホールでおこなわれた1ステージのパルパル「ユーラシアン・エコ―ズ第二章」公演は本当に夢のような共演で画期的な舞台となりました。それはまさしく《宴》のようでもあり、徹さんのいう《捧げもの》のようでもあり、時空を超えた演奏が繰り広げられました。

「うたがないのにこれはうたじゃないのか」と、おもわず徹さんとやりとりしたことがありました。

偶然にも映画監督テオ・アンゲルプロスの作品に興味をもっていたぼくたちとも話は盛り上がりましたが、徹さんは強烈なテオのファンで「永遠と一日」をイメージした楽曲もありました。旅先ではいつも2、3枚テオのDVDをもっていくともおっしゃっていました。

 

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フォーラム2013岩国「オペリータうたをさがして」岩国公演は最終公演として2014年の新年早々1月17日におこなわれ、その「永遠と一日」も組み込まれています。作家乾千恵さんとの「千恵の輪トリオ」であたためられた《甦りのうた》を軸にしたオペリータは少々アクシデントもありましたが松本泰子さん、さとうじゅんこさん2人のソプラノにおなじみのジャンさん、喜多直毅さん、オリビエ・マヌーリさん、斎藤朋さん、乾千恵さんが集結、斎藤さんの願いとも希望ともいえる画期的な舞台となりました。

「いま、ここ、わたし」と考え続けてこられた斎藤さんは3.11の被災地を訪ねた際、この場に必要なのは演奏じゃなく《うた》だと気づいた、とその動機についてお聞きしたように思います。

フォーラム2015岩国「うたをさがしてトリオ」岩国公演は喜多直毅さん、さとうじゅんこさん、徹のトリオで公演されました。このとき、徹さんの体重が激減していてみんなを驚かせましたが、糖尿病の治療で30キロ近く落としたと聞いていました。打ち上げの食事も会話も楽しくできたように思います。オペリータ以後も「うたをさがしてトリオ」として上演をくりかえしたとあってさすがに成熟度を感じさせるものでした。

その後、身体的ハンディをもつ人たちとの共演で可能性を開き、病と闘いながらも益々クリアーになっていく凄まじい活動には、限られた命の時間との競争のようでもあり無念さの入り混じった覚悟が伝わってくるようで、ぼくは「なんて強い人なんだろう」と驚嘆させられたり呆れたり心配したりしていました。

2018年の三月、広島のギャラリー交差611でおこなわれた黒田さんの回顧展でのコンサートが徹さんとの最期でした。かなり病状も進んでいて辛そうでしたが記憶に残る素晴らしい歌と演奏でした。

 

おもえば、ソロコンサートからはじまり各種企画を経て斎藤徹のスケールを感じてきましたが、それは大自然にどっかりと根をおろした巨木のイメージです。

「何処へ行ってしまうのか」とお聞きしたこともありましたが、変化しているように錯覚するのはただ年輪を重ねて信じられないくらい大きくなっているからと思えるようになってきました。つまり、「いま、ここ、わたし」とくりかえし根を張りながら途方もない年輪を重ねてきたと云うべきかもしれません。ぼくはそう思います。

徹さんは自ら「すばらしい友だちに出会う天才」だとおっしゃっていました。そのことは「友だちと友だちを出会わせる天才」だったことにもなります。

徹さんが示してくれた音楽の世界は永遠に多くの方々に受けつがれるとぼくは思います。壮大なスケールで音楽と向きあいそれを体現してみせてくれた人、徹さんありがとう。

 

切絵重絵図

  • 2019.05.18 Saturday
  • 19:00

 

今日は折り紙を使った作品。切り絵模様の重ね絵図とでもいう重ね模様を楽しんだ。

梅雨入りまでにスケッチをしておきたいのだが、今日はあいにくの雨もよう。来週は運動会が予定されているしどうなることだろう。

 

 

残りの時間は折り紙の各自の得意技を順に教えてもらうことに・・・。

風船の折り方からはじめて、美帆ちゃん流ツルの折り方、紙飛行機、カエルと続いた。

「カエルはけっこう難しかったなあ」今度また教えてもらうことにしよう。

陽菜の教え方もたいへんわかり易く上手だった。

 

 

スクラッチ

  • 2019.05.11 Saturday
  • 17:16

子どもたちの様子はリラックス

 

子どものクラス、今日はクレヨンのスクラッチをしました。この課題は下ごしらえがた〜いへん。

部屋も汚れるのであまりやりたくないのですが線描きだけで思いがけない色の効果を楽しむことができます。

でも、なんとか仕上がってよかったーっ!

 

 

 

 

 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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