スイセン

  • 2018.03.25 Sunday
  • 18:32


春がきています。わが家のスイセンが咲いています。

中央の木の幹はモクレンでこちらのつぼみもかなり膨らんできています。



新しくオープンしたばかりの『ふぁむずキッチン』へ行ってみると多くの客で賑わっていました。





帰りに錦帯橋の桜をみるとチラホラ咲きはじめていますが、やはり今週の土日がピークになりそうです。




タラの芽も収穫、、、

夜の米軍キズナスタジアム

  • 2018.03.24 Saturday
  • 17:19

 

昨日だったかアトリエから帰る途中、煌々と照明が点灯していたので撮影してみた。

 

 

練習なのか、ゲームなのか分からないが人出はあまりなかった。平日でもこういう使用があるということかぁ、とおどろいた‼

 

最終日のコンサート

  • 2018.03.22 Thursday
  • 09:05

お彼岸の雨の中、昨日は広島のギャラリー交差611で行われていた友人・黒田敬子さんの回顧展に・・・。

最終日となるこの日は<クロージングコンサート>と称するコントラバス奏者・斎藤徹さんのソロコンサートがあった。会場は多くの人たちで賑わっていてとてもいい展覧会だった。

 

 

 

黒田さんの作品はその都度みてきたつもりだったが意外にもはじめてみる作品もあっておもしろかった。回顧展とはやや大袈裟な気がするなと思っていたらやっぱりあれは一つの断面を示したものじゃないかという気がした。

そう考えると回顧展となると案外むずかしいもののように思えてくる。

作品はエモーショナルな気分を軸にした抽象的な作風だがアクションが強調されたころの作品が迫力があってよかった。斎藤さんの『インヴィテイション』というCDのジャケットに使われたものがそうなのかもしれない。

 

 

会場をひとまわりするとまもなく椅子が並べられ、ちょうどいい感じのコンサート会場になった。

ワンドリンク(ぼくは車の運転があるのでウーロン茶)を頂いて定刻をやや過ぎたところでスタート、すると聞きなれた懐かしい「川の始まり」という曲の演奏がはじまった。

2014年の「オペリータうたをさがして」でお馴染みの斎藤さん作曲のあれだ。

「あれっ?少し抑えた感じなのかな?何処かもどかしさがあるのかな?」などと心配しながら聴いていると以前とも少し違った味わいがありさすがにピッタリとしてきてとても良かった。

 

 

 

久しぶりに聴く斎藤さんのソロは懐かしさもあり、たしかに回顧展のようでもあり楽しめた。先ごろ結婚したばかりの娘のMAIちゃんも長崎から駆け付けたようで同行された奥さんとも斎藤家の面々と再会でき楽しいひと時を過ごせてとてもうれしい気分。

斎藤さんは昨年のキャン治療(斎藤さんのがんのこと)から復帰をされて活動を開始されているけれど、体力の消耗と治療の後遺症に悩まされているともいわれた。それでも次々とスケジュールをこなす凄まじいエネルギーには感服するばかり・・・。ご家族の心配も大変だと思われるけれど無理をしないよう気をつけてほしいとも思う。

 

このあとも天草、沖縄とつづき、ジャンさんとともにドイツで自閉症の人たちとのWSをするとも・・・。

「沖縄7月かぁ行ってみるかな〜」などと話は大いにもりあがった。

 

 

奈緒ちゃんとその家族

  • 2018.03.19 Monday
  • 16:03

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てんかん症と知的障害をもつ少女・奈緒ちゃんとその家族を撮りつづけた人がいる。このドキュメント映画の監督兼プロデューサー・伊勢真一さんだ。伊勢さんは奈緒ちゃんの母・西村信子さんの実弟で奈緒ちゃんの叔父さんということになる。

このドキュメント映画『やさしくなあに』は1983年クランクイン、奈緒ちゃんシリーズの最新作である。

家族とは? 夫婦とは? 姉弟とは? 多くの問いを発するように「けんかしちゃいけないよ。やさしくなあにって言わなくちゃ・・・」と奈緒ちゃんはいう。

家族それぞれの思いと悩み、伊勢真一監督のまなざしは家族の現実を包み込むようなあたたかさとやさしさに溢れている。

35年にわたる『奈緒ちゃん』シリーズは、奈緒ちゃんが8歳のころから撮影されてきたもので、いわば35年間の記録ということになる。『奈緒ちゃん』『ぴぐれっと』『ありがとう』『みなみ風1・2』『やさしくなあに』と作品化され、自明のようにこの監督のライフワークとなっているのかもしれない。

 

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ぼくの教室の教え子にも3歳で髄膜炎にかかり「てんかん症」と「知的障害」をもつ子がいたけれど、今ちょうどこの映画の奈緒ちゃんと同じくらいの年齢になっているのかもしれない。

その子はお父さんの仕事の都合で宇部市に転居したのだが今でも年賀はがきで近況を教えてくれる。最近ではボーリングの全国大会などに出場して元気で頑張っているという。

2006年の国民文化祭(山口)で行われた宇部の彫刻展のとき食事に誘われ自宅を訪ねたことがあった。奈緒ちゃんの家族と同じように明るくてあたたかみのある良い感じの家族だった。

 

この映画で特に印象的なのはとにかくお母さんのパワーと奈緒ちゃんの笑顔だ。

ここでは夫婦の問題、お父さんの葛藤、奈緒ちゃんの弟・記一さんのどうにもならない深い思いや悩み、母の実弟でなければなかなか撮りづらい難しい局面でも出来るだけ忠実に丁寧に描かれていて感動的である。

2016年相模原市の障害者施設殺傷事件にふれ、奈緒ちゃんの母・信子さんが「私たちを嫌っている人もいる」と発する言葉にドキッとさせられた。その事件でも各方面から福祉のあり方についていろいろな指摘があったけれど、隔離保護の充実だけではなく障害をもつ人とともに共生・共有する社会がどのように実現されるべきかと考えさせられる。

そしてこのことは、ぼくたちの老後とも重なる切実な問題であるともいえる。

 

尚、この映画の自主上映の問い合わせは「いせフィルム」まで。

連絡先はこちら(TEL 03-3406-9455  FAX 03-3406-9460  Email:ise-film@rio.odn.ne.jp)

 

改憲論への布石

  • 2018.03.17 Saturday
  • 10:46

安倍内閣の最大の問題は、先人たちが共有してきた慣習や常識を平気で破ることである。安倍内閣は、内閣法制局長官について政権の意向に沿った人事を行い、集団的自衛権を認める解釈改憲を行った。

憲法五三条の要件を満たしているにもかかわらず、強引な解釈によって臨時国会召集要求を無視した。これらは明文化されずとも「やってはいけないこと」と認識されてきた。政治家たちは慣習への信頼を共有してきた。

 

日本国憲法はかなり短く、解釈の余地が大きい。だから、成文化されない部分は、年月をかけて確認されてきた解釈の蓄積を重視してきた。憲法の短さを不文律の合意や慣習によって補完してきたのである。

現政権は、歴史の風雪に耐えてきた解釈の体系を強引に変えてしまう。共有されてきたルールを守らない。慣習を重んじるはずの保守派が、平気で慣習をないがしろにする。過去の蓄積に対する畏敬の念を欠如させている。

 

このような政治の劣化に対応するためには、何をなすべきか。どうすれば慣習破壊の暴走を食い止められるのか。

真剣に検討しなければならないのが、「長い憲法」への漸進的移行である。これまで不文律の合意として共有してきたものを、しっかりと成文化し、明確な歯止めをかける。日本はもうその段階にきているのではないか。

 

東京新聞論壇時評に発表された中島岳志の改憲へ向けてぼくたちが考慮すべき論点としての記述がある。確かに、これは間違いなく革新保守、左派右派を問わず時間をかけてでもふまえておくべき大切な視点といえる。

教室の皆さんの最新作

  • 2018.03.14 Wednesday
  • 17:59

 

これは山本さんがこの間、描いた「花の作品」ですが、これからの展開が楽しみです。

 

 

こちらはスミさんの「白菜の絵」 迫力があってとても良いです。



 

これは川部さんの「ミカン」 背景の処理がおもしろいです。

皆さん良く頑張っていますね。

 

「作品」という曖昧な体験

  • 2018.03.06 Tuesday
  • 16:30

 

おわりの雪(ユベール・マンガレリ著、白水社)

 

ユベール・マンガレリ、すごい作家に出会ったものだ。この文体、それはまさしく驚嘆に値する。

訳者あとがきにおいて、田久保麻里さんは著者について「しんと心に沁みこむような静けさのただよう文体で描く異色の作家である。」と紹介している。「そっけないほど淡々とした、やさしい言葉でつづられる作品は、読みこむほど重みをましてゆく。」とも・・・。

さらに、マンガレリは児童文学作家として出発しているけれど、彼を「児童文学出身の作家」と呼ぶべきではない。六作を数える初期の作品が「主人公が子供だったから」という理由で児童書のシリーズに収められはしたものの、決して子供のためだけに書いていたわけではないからだ。彼の小説の魅力は、「児童小説」と「(大人むけの)一般小説」といった枠を越えたところにこそあるといえる。

確かに、田久保さんは「枠を越えたところにこそある」と強調しているのである。

この作家のまなざしは病や貧困、おそらく社会的弱者としての子どもや老人にむけられ、いうなれば不安と隣り合わせで生きるやりきれない現実を深々と雪が降るように書き続けることにあるといえる。そして、この様式とモチーフは今でも変わることなく続けられているという。

けっしてドラマチックな出来事が起きるわけでもなく、日常の限られた時空間のなかでくりかえされる単調な生活のようすが少しずつ動いていくその差異性こそが確かな意味をもってくる、というきわめて微細な心の変化に本質的なものを探りあてようとしている気がする。

 

ひところ、「児童文学とは何か」などという不毛な論議がくりかえされたこともあったけれど、本著ではそのような空しい問いへの逆行はありえない。何故ならそれは「作品」という曖昧な体験にたえうる強靭な思考とでもいうべき経験にほかならないからでもある。

つまり、重要なことはそのことを通じてはじめて「作品」はおそらく思想たりうる可能性をもつということなのである。それはもはやなんらかの思想の表現なのではなく、「思想」そのものなのだ。

換言すれば、児童文学の思想というのではなく、児童文学であろうがなかろうが彼の小説そのものが思想というべきであり、この無名の思想をぼくたちは文学といい芸術とみなそうとするのである。

ユベール・マンガレリのこの稀有な文体はまさしくそのことを実証する傑出した小説といえるだろう。

 

本著『おわりの雪』で意図されていることはおそらく「死と記憶」にあると云っていい。マンガレリはあえて不必要なディテールを曖昧にしたまま、小さな町でひっそりと生活する父と子、母の三人でくらす家族のようすをくりかえすように静かに描いている。

設定されているのは、病床の父、決められたように出かける母、養老院でお年寄りの散歩を手伝う仕事で家計を助ける子、養老院とその管理人ボルグマン、ブレシア通りにある雑貨屋のディ・ガッソという人、この限られた時空間の中でくりかえされる日常はいうまでもなくミニマリズムと抽象性を意識させる。

 

だが、ぼくたちは母が出かける場所のことも父の病気についても知らされることはなく、いつしか物語の現実と描かれた人たちの内面性に引き込まれている自分に気づくのである。まさしく、それは読書する経験の常として更新されるように否応なくこの作品の意味の厚みを考えることになるのである。

 

 

 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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