アルべルト・ジャコメッティ

  • 2017.08.31 Thursday
  • 14:15

アルベルト・ジャコメッティ『ディエゴの胸像』.jpg

ディエゴの胸像

 

午後3時に息子と待ち合わせして六本木の国立新美術館で開催中の『ジャコメッティ展』を見ることに・・・。

「チケット買っておくからな!3時だぞ。」とメールするなり、「ごめん、今から行くので4時になる」・;%$#;。

あああ、東京ミッドタウンまで行って時間をつぶそうかと思ったが、あまりの暑さに怖気づいてしまい美術館のロビーで読みかけの本を読むことに・・・。 

   

3人の男のグループ(3人の歩く男たち).jpg             

3人の男のグループ(3人の歩く男たち)

 

アルベルト・ジャコメッティ『女=スプーン』.jpg

女=スプーン

 

ジャコメッティの展覧会はとても落ち着いた空間だった。

多くの人が詰めかけていたものの程よい緊張感に満ちた心地いい作品構成となっていた。ジャコメッティ展の規模としてはぼくがこれまで観た中では最大のものだと思った。

ブロンズ彫刻の神髄を示すこの感覚世界、やはり「彫刻っていいな」と感心させられる。

ぼくは館内をゆっくりと観ていくうちに、おもわず精神がリフレッシュしてシンプルな美しさに何か充たされている気がしている自分に気づいた。

 

6.JPG

大きな頭部

 

ゆっくりと観ているうちに息子を見失ったぼくは最後のショップの部屋に来ていた。「あれっ、もう出たのかな?」ぼくは会場を出てロビーにいるはずの息子を探したがどこにもいなかった。

「まだ中にいるのかな?」しばらく椅子に腰かけて待っていてもなかなか見当たらないし、ロッカーに預けた荷物を取りに行こうと思ったときに彼がでてきた。

「な〜んだ、まだ中で観ていたのか」というと「おもしろかった」と息子。しばらく腰かけて休みながらいろいろと展覧会の話をしてぼくらは新美術館をあとにした。

 

img148.jpg

 

「どうする?池袋あたりで飯食うか」その日は息子のアパートに宿泊する予定になっていたのだ。ぼくらは赤羽で降りて食事することになった。

35年前、ぼくが東京にいた頃とは違っていて人も多く活気があった。便利だし凄いねここ、と言いながら久しぶりに親子で飲み交わしていろいろな話をした。あっという間に10時半を過ぎた。

『酒なら俺のとこにもある」というのであとは息子の部屋で結局、2時過ぎまで飲んでいたが翌日は北浦和にいる同級生二人と約束していたのでお休みということに・・・。

 

月曜日は六本木

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 16:07

img141.jpg

 

翌日、28日の月曜日は六本木へ・・・久しぶりに上京すると何かと忙しいのであ〜る。

六本木の国立新美術館と森美術館は火曜日が休館日となっていて月曜は開館しているのだ。

ぼくは二つの会場で行われている『サンシャワー』と称した1980年代から現在までの東南アジア現代美術展を観ることにしていた。

サンシャワーとは天気雨のことで紆余曲折の歴史を経てきた東南アジア地域を表すメタファーでもあるという。

つまり、この展覧会は時代の潮流と変動を背景に発展した東南アジアにおける1980年代以降の現代アートを9つの視点で紹介するものであり、史上最大規模の展覧会としているのも肯けるというもの・・・。

 

img142.jpg

 

人口約6億人。多民族、多言語、多宗教の東南アジア地域ではダイナミックで多様な文化が育まれてきた。特に経済発展が目覚ましい近年、この地域のアートの動向にも世界中から大きな注目が集まっているという。

確かに、会場から伝わってくる熱気のようなものには、とりわけ強いメッセージ性と個人的であれ社会や政治状況に向けたものであれ、映像を加味した複合的な表現様式が印象的だったように思う。

このような動向は日本ではアートが美術館や画廊空間のみならず都市空間や自然環境を舞台として、社会と深く結びつき地域づくりの手段として注目されていることと一致しているかに見える。

 

もはやアートの世界も欧米中心の価値観から多様な価値へと移行しグローバル化してきたと云えるのかもしれない。

 

img143.jpg

 

山口県美では審査員に福岡アジア現代美術館の後小路雅弘さんを招いたこともあり、東南アジア地域の美術の注目度は多少は分かったつもりでいたけれど、これほどの大大大規模の企画は世界中から注目されていいのではないか。

 

 

 

 

 

東京リアルタイム

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 15:03

 

東京っておもしろいもので常にリアルタイムという感じが岩国から見ると何とも不思議なのだ。

新幹線で移動中、何げなくツイッターを見ているとタイムラインに憲法学者・木村草太のコメントが上がってきた。よく見ると本日、八重洲ブックセンターで『ブラック部活動』を出版したばかりの社会学者・内田良と17時から対談するとのこと。

 

銀座の画廊を4時に切りあげて移動すれば調度いいタイミングなので東京駅で降りてブックセンターの8階へ行って聞いてみると『ブラック部活動』を購入していただければ自由に入れるとのこと。

一冊買って入ってみると二人がちゃんと来ているではないか。入場者もあっという間に50人くらいいて調度いい講演となりレベルも高いしおもしろいのだ。

つまり、その辺でその時にやっているものをSNSで情報をキャチすればすぐに参加できるのだ。

こんなことは岩国では考えられないことなのである。それは其れは、実に不思議なことなのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅野輝一展

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 14:00

浅野 (2).jpg

 

8月27日の日曜日、久しぶりに上京して浅野輝一の個展をみた。彼とお会いしたのは2010年の神楽坂でやったぼくの個展のときだったか、新宿の飲み屋で落ち合ったように思うのだが・・・

だが、彼の実作品を拝見するのはぼくが美術文化を退会して以来だからかなりの久方ぶりとなる。ぼくらは美術文化の展覧会だけでなく他にも八島正明、小島喜八郎らとともに「リアリズムの分岐」展と称して銀座や日本橋の画廊で4人展をしていた仲間でもある。彼らとはひとまわりも若かったぼくは彼らから多大な影響をうけ計り知れないくらい色々なことを教えていただいた。

小島喜八郎は10年くらい前に残念ながら亡くなったけれど、埼玉県立近代美術館で行なわれた遺作展を観ることはできた。

年齢を重ねると誰でもそうかもしれないけれど会える時には会っておきたい、という気にさせるものである。

 

浅野.jpg

 

35年ぶりに拝見する浅野輝一の作品は当時のように傍観的で内向するイメージとはちがっていて、祈りとも願いともいえる抒情性を加味したある意味で願望のような作品になってきたように思えた。以前のように直線的でストレートな表現ではなく曲線的要素とともにポエティックな様相を示すように色彩やフォルム、画面構成において強調されてきたように感じたのはどういうことだろう。

 

Full3SizeRender.jpg

 

小学校の教員を長く勤めあげた奥さんと医者として成長した息子さんにもお会いできて、嬉しくも楽しい時間を過ごすことができて良かった。この日は最終日で4時で終了ということは分かっていたしぼくは最終4時でその画廊を切り上げた。

 

久しぶりに会う浅野輝一はやはり作家の眼をしていた。相変わらず大きな地声は健在で健康そうでもあった。偶然にもその画廊でお会いしたかつての同僚はもう現役の眼をしていなかったし正直なものだなあと感じいった。

あらためてぼくは若いころから小島喜八郎に云われてきた「研ぎ澄まされた感性の持続こそが作家生命を維持する」という言葉を思い出していた。

 

三倉岳

  • 2017.08.25 Friday
  • 13:16


最近、描き上げた徳田画伯の『三倉岳』F6号

ぶどう

  • 2017.08.22 Tuesday
  • 21:03


中澤さんの描いた『ぶどう』。なかなかしぶいです。



これはスミさんの『ぶどう』。あっけらかんとしていて独特のおもしろさがあります。



この構図より前の方がプリミティブな感じでいいですね。


子どものクラス

  • 2017.08.19 Saturday
  • 22:00



久しぶりに顔を合わせた子どものクラス。夏休みも後半に入って顔の色も結構色っぽくなっています。



今日はキュウリを並べて描いてみました。



こんなことをしている子もいます。いつの時代にも必ずいますこういうタイプ。




今日は3人がお休みでしたが秋の作品展が楽しみです。







二人の「人生ものがたり」

  • 2017.08.17 Thursday
  • 18:44

 

T01a_171602.jpg

 

風が吹けば、枯葉が落ちる。

枯葉が落ちれば、土が肥える。

土が肥えれば、果実が実る。

こつこつ、ゆっくり。

人生、フルーツ。

 

何回か繰りかえされるこの言葉。

昨日は、いま話題の映画『人生フルーツ』(伏原健之監督作品、東海テレビ制作)を広島八丁座にて鑑賞するために広島まで車を走らせる。いつもの駐車場に車を入れてPARCO辺りをぶらつくと岩国とは違って若い人が多いのにおどろく。それにおしゃれを楽しんでいる人も多い気がする。

買い物をすませて八丁座に行くと、ここにはぼくたちとほぼ同世代の人がほとんどで若い人はちらほらという感じである。

 

「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」建築家のル・コルヴィジェの言葉だ。

このドキュメント映画は、日本住宅公団のエースとして阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきた建築家津端修一さん夫妻の暮らしぶりを記録したものである。

1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指した春日井市高蔵寺ニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。

津端修一(しゅういち)さんと妻の英子(ひでこ)さんはこのニュータウンの一角に300坪の土地を購入し師となる建築家アントニン・レーモンドの自邸に倣って家を建てコツコツと雑木林を育てはじめる。

 

about_pic1.jpg 

 

二人は果物や野菜など100種類もの作物を育てる。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちている。スローライフスタイル、かつての日本の里山の暮らしぶりに回帰するのではなく、団地に住む個々の住民がゆっくりとコツコツと暮らしはじめたらどうだろう、などと想像力を働かせ考えさせるのだ。

 

maxresdefault.jpg 

 

そんな折、90を迎えた修一さんに新しい仕事がはいってくる。佐賀県伊万里市の医療法人「山のサナーレクリニック」の新しい施設「街のサナーレ・メンタルヘルス・ソリューションセンター」(敷地約2千平方メートルに木造平屋の4棟と菜園がある。訪問看護やカフェ、カウンセリング機能のある複合施設。うつ病や統合失調症を抱える人たちと健常者が共に農作業や作物の販売、接客などにあたる。)の建設計画だ。

豊かさとは何か、人が自然とともに快適に暮らすことができる環境を提言し、報酬は不要として早急にイメージをまとめる。完成されたものを与え受けとるのではなく、時間をかけて小さな苗木から育てることを提言する。

 

修一さんは畑仕事ののち、お昼寝をしてそのまま逝ってしまう。起きてこなかったのだ。

修一さんの死に顔がアップで長映しされる。不自然にも受けとれるこのシーンはきわめて印象的だ。

「修一さんに、おいしいものをもっとたくさん作ってあげればよかった」という英子さんの最後の言葉と、少し荒れた庭のシーンもいろいろなことを考えさせる。

この作品には市場経済最優先で行き詰った現在への問いが込められている、と云ってみたがここへきてむしろ老夫婦の丁寧な暮らしぶりと価値観が重く伝わってくる。

 

JF-main.jpg

 

小さな苗木は雑木林に成長し、畑では100種類もの野菜や果実が育つ。英子さんは、畑でとれた作物で修一さんに手料理をふるまう日々。彼女は「食は命」という。二人の家は30畳一間の丸太小屋。その暮らしはまるで現代の桃源郷のようでもある。二人は「年を重ねるごとに美しくなる人生にしたい」という。

やはり、この映画は二人の「人生のものがたり」というべきものかもしれない。

 

 

因みに、建築家の津端修一さんが「最後の仕事」として設計草案を手掛けたカフェや菜園を併設した施設=伊万里市二里町。

 

SAG2017032199000052_id1_20170321095029.jpg

 

SAG2017032199000052_id2_20170321095029.jpg

 

 

小学中学の同窓会

  • 2017.08.13 Sunday
  • 15:06

 

 

 

昨日は3年ぶりの小学中学の同窓会。

先ずは物故者を偲んで1分間の黙とうで冥福を祈る。

いつもは30人程度の同窓生が集結するのだが、今回はどういうわけか集まりが悪く大きく下まわった。60才代最後の同窓会なのでもう少しは期待していたのだが、健康面の不安やいろいろな事情もあってやむなしと言ったところか、、、、、。

それでも、30年ぶりとの同窓生もいて一次会は大いに盛りあがり、あっという間の2時間が過ぎてしまった。

 

ひきつづき予定通りの二次会(カラオケ)の会場へ・・・

メンバーの一人が30パーセントオフの割引券をもっていてこれには幹事としては大いに助かった。

 

 

このたびの同窓会では、各自これまでをふり返っていただきおよそ50年の経緯を聞くことができてよかった。

同窓生同士が一人ひとり語っていくのだから意外な変遷ぶりもあっておもしろく懐かしさもこみあげてくる。

「あいつ、あんなにおしゃべりだったか?」「もういい、しつこすぎる」「ぶんめい、もうやめさせろよ・・・」などなど、遠慮のない声(ヤジ)があちこちから飛び交うのもおもしろいものだ。

 

 

可笑しかったのは女子たちだけに向かって話す奴がいて「俺たちにケツ向けてこの野郎、前に出て喋れや!」などなど。

こんな調子だから、あっという間に2時間は過ぎてしまうのである。

 

最後は記念撮影でハイポーズ。次の再会を約束して一次会を締めとした。次回は4年後、ちょうど70才の古希ということで地元をはなれ宝塚市在住のNくんが関西方面でお世話することに決定・・・。これはまた楽しみなことであ〜る。

 

孫と描く

  • 2017.08.11 Friday
  • 21:28


孫のタイちゃんと描く石川さん。結構、集中してタイちゃんはおもしろい虫の絵を描きました。



calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM