中澤さんの風景画
- 2017.03.31 Friday
- 23:59
愛宕グループの中澤さんの風景画。
画面の一部を省略して透明感のある作品になっていますね。まだ途中ですが構図もシンプルで格好いいですね。
愛宕グループの中澤さんの風景画。
画面の一部を省略して透明感のある作品になっていますね。まだ途中ですが構図もシンプルで格好いいですね。
アートムーヴ2007「具象の未来へ」で岩国のぼくたちともお馴染みの画家・堀研さんの個展が東京銀座の日動画廊ではじまります。「大地の鼓動」と副題をつけて開催されるこの個展は広島市立大学芸術学部を退官されて4年、7年ぶりの大きな発表。
激しくもはかない自然界の一瞬一瞬を描きとった作品には、この作家が一貫して見つめ追いかけている「人の生」の姿が潜んでいる。今回は新たに取り組んだ「瀧」「流れ」を中心に40号から150号までの新作で構成するとあります。
4月11日(火)−4月24日(月)
午前10時ー午後7時まで(日曜は休廊)
日動画廊(東京都中央区銀座5−3−16(tel.03−3571−2553)
岩国の5月21日、ポップでパワフルな演劇集団「劇団どくんご」の全国ツアー公演があります。劇団どくんごは自前のテント劇場で全国を旅している知る人ぞ知る鹿児島を拠点にするユニークな劇団です。
いうまでもなく「黒テント」「赤テント」で一世を風靡したこのスタイル。自前のテントを全国数十箇所の公園や神社などに建て、演劇公演をしているのです。
おそらく、テレビで見かけることもないので岩国では馴染みもないかもしれませんが、じつは現場で生きるそういう人たちが全国には沢山います。
この機会にぜひぜひ彼らの演劇、彼らの芝居、生き方にふれてみましょう。きっと、フレッシュで大きな勇気を置土産にしてくれると思います。
5月21日sunは岩国市麻里布第三公園(通称ハト公園)に集合
時間は19時から・・・こう期待だ
予約券:2500円 中高生1300円 小学生500円
問い合わせ:090-3590-8113(あいら)
心配された天気も快晴となって水西書院で行われたワークショップと手づくり民芸フェスタは朝から大盛況。多くの人がつめかけて賑わった。
わが教室の児童クラスにきている村田陽菜(小2)の折り紙も完売というからすごい。
若い人たちの企画はとにかく集客力がある。SNSで気軽に呼びかけお祭り気分で参加している感じがいいのかもしれない。
お知らせ、広報、取材もなかったので、おそらく口コミでの集客と思われるが頑張ってつづけて欲しいものである。
むらつかの野菜と果物。地元の新鮮な野菜がいっぱい。春キャベツがおいしそうだったなあ。
今年は葉ワサビを見逃した。残念。
ネーブルオレンジが格安だったが、いちごと林檎を買うことに・・・
結果的には買い物カゴ二つ。段ボールで持ちかえった。
ここでは公共施設の管理のあり方について考えてみたい。
岩国市は数年前におこなわれた住民投票の結果が「否」であっても地域振興と財政保障とひきかえに軍事基地の増強をすすめている。このことは他の自治体とちがって米兵による犯罪や騒音被害だけでなく軍事戦略上の大きなリスクをともない基地負担とひきかえに国から多くの補助金を受けていて財政的には比較的めぐまれているともいわれてきた。
新庁舎建設の経緯に象徴されるように現在進行中の超高級米軍住宅や岩国米軍スタジアムなどのスポーツ施設の建設だけでなく、他の多くの施設にもこの資金が過剰なまでに投じられている。だが、そういう施設の管理や運営面についてはお粗末なかぎりでいっこうに改善のきざしさえない状態にある。
この間は久しぶりに駅前で食事することになって出かけてみると、われわれがかつて親しんだ小商いの店は様変わりしていてさびれたものだった。考えてみれば、大手企業の撤退で多くの雇用が失われたことだけでなく若者の県外流出による人口減少とともに映画館も喫茶店も書店でさえ消え失せてしまった。あるのはコンビニと居酒屋にファミレスとスーパーだけとなった。旺盛をきわめたパチンコ店でさえ最近はかなり低調になっている気がするのだが…。
このままでは現在建設中のJR岩国駅でさえ駅舎は新しくなっても人がいないという問題は残りつづけるだろう。
(外から見ればこのように3ヶ所の施錠部分に丁寧に貼り付けられている)
さて、話はそのこととも多少は関係するかもしれないが、われわれが使用させていただいているサンライフ岩国という中高年のための施設が吉香公園内にある。一時期は「鵜飼い振興会(株)」がその施設の管理運営をしたこともあるのだが、数年前の鵜飼い舟の事故のこともあって現状ではふたたび岩国市の管轄下におかれている。(窓口は知らないけれど)
子ども10人くらいのクラスで絵や工作をして、時間が余れば外に出てカンケリやケイドロ、野球などをして異年齢の子どもたちと一緒に遊んでいる。当初、ここで一緒に絵を描いて遊んだ子どもたちが40歳をすぎているので、かれこれもう30年以上になるというわけだ。(株)鵜飼い振興会の管理下にあるころは何の問題もなくこれまで楽しく利用させていただいたのだが、実は最近になっていきなりこのようなハリガミが貼りつけられていて、一方的にここからの出入りが禁止されて困っている。
ご覧のとおり、だれが見ても公園内の安全で美しい環境に恵まれ出入り可能なように設計され室内外を仕切る壁や窓とはちがう通路としての機能を持っている。
(隣接する吉香茶室でお茶会があるときはここから仕出し弁当や荷物を入れる)
一体どういうつもりか知らないけれど、利用者の意向を無視して一方的に禁止する権利がどこにあるかと不思議でならない。
この施設を管理している職員の人は定年退職後の年金受給までの期間限定でアルバイト雇用(数日の交代制)されていると推察するが、ハローワークで紹介されたというより間違いなく公的職場から天下ってきたと思われる。
この施設の管理者個人の価値観や美意識という感覚的なちがいもあるけれど、業務内容をどのように説明され理解しているのか知らないが管理という美名のもとに一方的に禁止する傾向がある。
つまり、元気で遊ぶ子どもたちを一方的に禁じることが立派な仕事と思いちがいをしている気がするのだ。彼らにとって好都合なのはそのようにして利用者を制限することなのだろうか。
当方はこの施設の開設当初から30年以上も利用していて彼らの知らない経緯も知っているというのに彼らは一方的に不勉強のまま禁じることだけをする。仕事とは何かと一度でも考えたことがあるのかと疑いたくなるのだ。残念ながら市の職員にはこのように管理が目的化しているタイプが他の部署にも多い気もする。永年、文化活動にかかわってきた者からみてこのような弊害はいたるところにあるのも事実である。
実は、この施設には今はなくなってしまったけれどトレーニングルームがあった。筋力トレーニングマシーンがそろっていて開設当初はぼくもこの近くに住んでいたこともあってよく利用させていただいた。だが、専門のトレーナーはいなかった。専門トレーナーのいないこういう施設は逆に大変危険なもので利用者が大けがをすることもよくある。つまり、格好良い施設は建設されても安心して利用できるためのスタッフが揃わないという問題があった。
だから、その体制の不備を克服するため講習を受けた人のみが利用できるように毎月講習会が開かれていたのだが、危険性は残ったままでそのうち利用者もいなくなったのかいつの間にか撤去され今は多目的室として卓球などに利用されている。
このように職業訓練室とかトレーニングルームなどの施設はあってもトレーナーや職業訓練できる人材がいないということや利用制度のことまで考えられていないし考えようとしないことが岩国市の施設には多すぎるのだ。
たとえば、職業訓練室には当初から簡単な工具がそろえてあったが、出入り禁止の紙を貼り付けるだけでなくここの職員はその実態がどうなってるか調査したことが一度でもあるだろうか。現状からみてあるわけがない。その工具も一方的に自由に使えないように施錠されるようにもなったこともある。
工具というものは消耗品で使えばだんだん摩耗するし古くなるものである。怪我もしやすい。それでも使用料金だけはそのままの条件で変わらないし新しい工具の補充もできないというのは納得できない。また、一部の電動工具がいつの間にか消失している事実もある。今ではその事実を知る人はいないかもしれないがそれこそ管理責任が問われる大きな問題と云っていい、ぼくはそう思う。
子どもが少し騒いだくらいで出入り禁止の貼り紙をするくらいなら、工具をそろえるか掃除をするかトレーナーの勉強をするかして利用サービスの向上に少しは役に立てるくらいの仕事がどうしてできないのかと思う。
つまりは、人口減少も著しく利用者も少なくなっているのだから危機意識をもって少しは気持ちよく利用してもらえるように配慮して欲しいのである。けっして、アルバイトだからというつまらん言い訳は聞きたくなのだ。
些細な問題のようにみえるけれど、こういうトラブルはほかの利用者との間にもあってそのことで利用をやめる残念なケースもある。衰退する岩国の将来を担う元気な子どもの活動につまらん個人的な感覚を押し付け不必要な制限を加えるべきではない。
かりに、双方の感覚や言い分に多少の相違があったとしても30年を振り返ってみればよく分かる。子どもの声はかん高く、出入りすれば多少は部屋が汚れることもあるが掃除すればいいだけのことではないか。みんな元気な良い子どもたちで取り立てて問題視することはないと思うのは保護者も一致した意見だと思う。
東日本大震災・福一原発事故から6年、次世代とともに今あらためてこの二冊の絵本『およぐひと』(長谷川集平著、エルくらぶ)、『希望の牧場』(森絵都作、吉田尚令絵、岩崎書店)を読んでみよう。
『およぐひと』(長谷川集平著、エルくらぶ)
『希望の牧場』(森絵都作 吉田尚令絵 岩崎書店)
二冊の絵本を読んで震災のこと、復興のこと、原発のこと、再稼働のことも考えてみよう。
わが家のサンゴジュに主のようになってとまっているこのヒヨドリ。
かわいい他のメジロやビタキを追い立てるので最近はこれらの鳥はあまり見かけなくなった。
それでも二羽のハトとスズメたちはまき餌を求めてやってくる。
スズメの習性を見ているととてもおもしろい。一羽が飛び立つとつられるように他のみんなが飛び立っていく。
やがて、また餌場にやって来ては飽きもせずこれを数回くりかえす。
ハトもスズメもヒヨドリに遠慮することはない。
パンク侍、斬られて候(町田康著、角川文庫)
天才・町田康を証明するに相応しい名著といえる本編『パンク侍、斬られて候』、それは本当に見事というほかない。
シュールリアリズムの奇才、あのサルバドール・ダリでさえびっくりするほどのパラドックスは時代めいた言葉や気の利いた設定からして時代小説のように受け取れるかもしれないが、じつは現代社会が抱えた問題を浮き彫りにするきわめて現代的な小説といえるのだ。
物語は江戸時代。街道沿いの茶店に腰かけていた一人の牢人が、そこにいた盲目の娘を連れた巡礼の老人を「ずばっ」と斬り捨てるところからはじまり、その後どういういきさつでか目が見えるようになったその娘(ろん)に竹ベラで刺され仇討ちされるまでを描いたものである。だが、その展開たるや奇想天外。まさしく、町田ワールドそのものであり自前のパラドックスが炸裂することになる。
居合わせた黒和藩士長岡主馬に理由を問われた掛十之進なる牢人は、老人がこの地に恐るべき災難をもたらす「腹ふり党」の一員であることを察して事前にそれを防止したのだと告げた。
「腹ふり党」とは何か、といえば本当にバカバカしいまでに滑稽な新興宗教のようなものなのだが、「腹ふり」を行うことによって人々は真正世界へ脱出できると説くのである。赤瀬川原平のあの“缶詰のラベル”のように、彼らはこの世界はじつに巨大な条虫の胎内にあってこの世界で起こることすべてが無意味であるという。すなわち、彼らの願いは条虫の胎外、真実・真正の世界への脱出であり、その脱出口はただひとつ条虫の肛門だというからこれはたまらなくシュール。うたがう人はイメージしてみるといい。
「腹ふり」とは一種の舞踊で、足を開いて立って、やや腰を落とす。両手を左右に伸ばして腹を左右に激しく揺すぶる。首を前後左右にがくがくさせ、目を閉じて「ああ」とか「うーん」などと呻く。これを集団で行うというから本当にすごいのだ。また、腹ふり修行の途中で死ぬことを「おへど」というから、オウム真理教の「ポア」が想起される。おそらくはこの前代未聞の事件が意識されることもこの小説の軸になっているといえそうだ。
掛十之進は黒和藩に召し抱えられ流行するとふれまわった「腹ふり党」勢力を抑え込むよう画策するが藩内の複雑な事情もあって、人語を喋る猿のひきいる猿軍団とともに暴動・暴徒化した「腹ふり党」の元幹部もはや教祖となった凶暴な茶山半郎らと闘う構図となっている。こんな展開とても説明できるものではない。
とにかく奇想天外、偏執狂的でパラドクシカルな展開の中にも現代を風刺した鋭い問いを織り交ぜているところがおもしろいのだ。
「あなたがたは権力者を恐れますか。恐れる必要はありません。もし領主、僧、主人、代官、家主、庄屋、親方、親分があなたがたを迫害してもあなたがたは恐れる必要はありません。なぜなら、彼らがあなたがたを迫害した瞬間、おへどとして虚空に排出されるからです。祝いなさい。振りなさい」
「うおお」群衆が再度、歓声を上げると同時に、どんどんどんどんどんどんどんどん。どんどんどんどんどんどんどんどん。太鼓の拍子が切迫、人々は狂ったように腹をふりはじめた。こうなると勢いは止まらない。(本文p200)
茶山半郎の掛け声とともに民衆はバカになった勢いで街をめちゃくちゃにするのだ。このように発想と展開の自在性とともにやはり文体のリズムと圧倒的な筆力がすごい。それは本当にほんとうに見事なのであります。
建設中の岩国米軍スタジアム。
米軍再編にともない防衛施設庁の関連予算で高級米軍住宅とともに建設されている野球、陸上競技、ソフトボール、テニスなどのスポーツ施設だ。
やや遅れ気味というがやっとその姿を現してきた。おかげで周辺道路は膨大な工事車両の土埃でいっぱい。
さてこの施設、施設庁はいまだに明らかにしていないが市民も使用できる管理体制ができるのか・・・
沖縄の負担軽減と市議会議長は云うが再編を巡る住民投票結果は無視され、軍事的戦略的リスクもオープンにはされていない。
騒音や犯罪による被害は云うまでもないが、岩国は敵国から間違いなくピンポイントで標的とされているはず。