ヒロシマ70

  • 2015.05.30 Saturday
  • 17:44
img053 (480x640).jpg

この展覧会は“ヒロシマ70”と称して開催される『入野忠芳・香川龍介・田谷行平』展ということになる。被爆経験のある3人の洋画家によるもので、戦後50年を機に行われた企画展『ヒロシマ50』(1995年)、さらにその10年後に行われた『ヒロシマ60−消失と生成』(2005年)につづく展覧会ということになる。
戦後広島の抽象絵画の中核的存在で、今回は2013年に逝去された入野忠芳の遺作を中心にその遺志を継承すべく香川、田谷両氏は新作を発表し本展に挑むとし、並々ならぬ意気込みを感じさせます。

会期は6月4日ー7月12日(開館時間10:00−17:00)、泉美術館第1・第2展示室にて行われます。入場無料。
なお、6月4日は10時半の開会式につづき11時からエントランスホールで
寺本泰輔、香川龍介、田谷行平の三氏による講演会「ヒロシマを語る」があります。


 

言葉と身体

  • 2015.05.30 Saturday
  • 10:39
ダウンロード (3).jpg
『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』(内田樹・高橋源一郎著 ロッキングオン)


本書は季刊誌SIGHTに掲載された連載対談をまとめたもので、震災前に刊行された『沈む日本を愛せますか?』の続編ということらしい。震災前のものを含む6回の対談に加えて本編のための“語り下ろし”となる「総括対談」をいれて再構成・再編集したものとある。
『どんどん沈む日本を それでも愛せますか?』(内田樹 高橋源一郎、ロッキング・オン)とは何ともやるせないタイトルであるが、今日この国が抱えている社会的病理ともいえる厄介な問題を包括的にみつめながら語り合う刺激的な内容となっている。
ともに大学教授で教育者としての立ち位置を共有するとともに、文学と思想、哲学と実践、さらに言葉と身体といった視点で、日本列島を横断するように語りつくす対談集ともいえる。ナビゲーターは渋谷陽一という意表をついたところも気が利いている。

震災復興に際して、東大の御厨貴教授は3.11を境にして震災前と震災後という言い方で決定的にちがう日本のあり方をめざして復興を実現しなければいけない、と当時の菅政権に提言した。だが、いま振り返ってみても現実は何にひとつ変わってはいないし復興もままならないという印象が強い。
民主党から自民党に政権が移行しても統治システムも意識も変わろうとはしていない。それどころか安倍政権になって、国民の意識を3.11から切り離すように官邸主導でオリンピック招致や経済政策を進める一方、憲法改正へと大きく舵を切ろうとしている。

全編を通じて印象に残ったのは「身体性」という言葉である。武道家でもある内田氏がこれまで自明のことのようにいい続けてきた「身体性」の欠如は現代社会が直面するこの国の病理と直結していることが随所に感じられたように思う。けだし、安倍晋三の言葉の軽さとアンダーコントロールという欺瞞性がそのことを見事に証明しているとも思う。

印象的だったのは高橋氏が紹介する「原発をつくらせない」「沈む日本で楽しく生きる」ことを実践している山口県上関町にある祝島の人々の生き方である。30年間原発反対運動が続いているこの島は映画『祝の島』(纐纈あや監督作品)『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督作品)でも知られ、人口485人のうち65歳以上が70%を占めるという。
男は漁業、女は農業、補償金はいらない。さらに養老院がいらない生活システムと民主主義、空疎な成長論もいらないオルタナティブで生き生きとした暮らしぶりだというのもおもしろい。このことはむしろ原発問題というよりも、日本の未来の話として高齢化社会、シュリンクしていく社会をどうすればいいかと考えるとき、祝島の人々の実践はロールモデルとして示唆的であるというわけだ。もしかして小説のモデルになるのかも・・・。

赤瀬川原平の『芸術原論展』に行ったばかりということもあるかもしれないが、60年代から今日までさわやかに駆け抜けたスーパスターのまなざしが本書の読後にクロスした。

赤瀬川原平の芸術原論展

  • 2015.05.23 Saturday
  • 18:37
img047 (452x640).jpg

広島市現代美術館で開催されている『赤瀬川原平の芸術原論展』へ行ってきた。赤瀬川原平と云えば、説明するまでもなく60年代から今日を駆け抜けた前衛芸術のスーパースターであり、エッセイストでもあり芥川賞作家でもありとてもひと言では説明できない多彩な顔をもつさわやかな巨人である。
昨年末、町田市文学館で行われた『赤瀬川原平と尾辻克彦展』をみる機会があり、惜しまれながら他界され美術界文学界に大きなショックを与えたこの人の展覧会を楽しみにしていたのである。
世代的にはぼくとはかなり違っていて直接この作家の影響を受けることはなかったのだが、彼らがやった60年代の活動や作風、その社会的な影響を考えたとき、美術の可能性とおもしろさについて大いに刺激を受け意識するようになった。


img049 (447x640).jpg

展覧会は60年代のネオダダ・オルガナイザーズ結成からハイレッドセンターの活動や読売アンパンでの発表を可能な限り紹介するものになっている。
同時に特筆されるべきは「千円札事件」、彼が描いた千円札紙幣が偽造、ねつ造という犯罪行為にあたるとして問われた法廷での闘いは大きな社会問題として取りあげられ、法廷での大展覧会となったことはこの作家の存在行為そのものが一大パフォーマンスとなったということであった。

赤瀬川は何かを表現したり、一から創造したりすることよりも、卓越した観察眼と思考力を駆使して、平凡な事物や常識をほんの少しズラし、転倒させることことを好み、そうすることで見慣れた日常を、ユーモアに満ちた新鮮な作品へと変える。《模型千円札》《宇宙の缶詰》《トマソン芸術》《老人力》《首都圏清掃整理促進運動》《路上観察》《櫻画法》《現代考シリーズ》《お座敷》などの作品にみられる独特のまなざしはこのズラしと転倒の方法論によってあみ出されたと云っていい。


img051 (452x640).jpg

その独創的な作品は日本の現代美術史においてゆるぎない地位を築くとともに、多方面にわたるユニークな活動は稀有な存在として今も刺激的であり輝いている。
梱包作品の《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》《不在の部屋》やゴムの作品⦅ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)》などのオブジェならともかく、イベントやパフォーマンスのような「直接的な行為」をともなう活動は多彩な資料や当時の記録写真によって多面的に展観するほかはない。
だが、裁判での押収物件や判決文までも美術作品と同列に展示される展覧会もきわめて珍しく、赤瀬川原平という稀有な才能とその生きざまを示すユニークなも展覧会となっている。


img050 (445x640).jpg

会期は今月末まで。
澱んだ眼のウロコを剥ぎ取り、精神をリフレッシュさせてくれる『赤瀬川原平の芸術原論展』(広島市現代美術館)へどうぞ行ってみてください。



 

渡辺和馬さんの新作

  • 2015.05.20 Wednesday
  • 15:07
KC3Q0002.jpg

渡辺和馬さんの新作(10号、油彩)
パーキンソン病で細かなタッチが不得手でこすり付けるように描いていく特徴があります。
この特徴を固有のスタイルとして独自の画風ができないかと模索しています。
最近では水面に映った虚像と実像が入り混じったモチーフを描いていましたが、これは山の風景です。
若いころから山登りに親しんできたことが山を描く動機づけになっているのかもしれません。
筆も洗いにくいのでやや濁り加減の色彩も独自のスタイルとなっています。
85歳にして知的好奇心が旺盛でコンサートや絵画を楽しんでいます。

普段は徒然なるままに
PCにむかいて、うつりゆく株価の変動に没頭していてときどき奥さんに怒られることもありますが、この作品は素晴らしい出来ばえなので紹介します。

 

ともだちってだれのこと?

  • 2015.05.15 Friday
  • 20:54
51EEegvdVcL._SX258_BO1,204,203,200_.jpg
『ともだちってだれのこと?』(岩瀬成子・作 中沢美帆・絵 佼成出版)

岩瀬成子の新刊、絵本『ともだちってだれのこと?』が佼成出版から好評発売中!


まっても、まっても、
テンは やってきません。
ネズミは かんがえました。
「ともだちって、
ぼくのことじゃないのかもしれない」
しばらくして ネズミは
なくのを やめると、
「よし」と いって、たちあがりました。


だいすき
だから おもいがすれちがう
岩瀬成子の独特の世界
ゆれうごく動物たちの気もち
その心のひだを
鮮烈に描きだす
話題の一冊『ともだちってだれのこと?』
手にとって
どうぞお楽しみください


ほのぼのとした暖かさ
子どもたちへの贈り物
中沢美帆さんのやさしい絵

そっと
案内してくれます。




 

ことしのGW

  • 2015.05.10 Sunday
  • 16:03
img046.jpg

今年は5月の連休といっても特別おもしろいことは何もなかったような・・・。
それでも29日は大島町の内田樹さんの講演、3日憲法記念日は9条の会主催の東海大学法科大学院教授の永山茂樹さんの講演、とおもしろ講演会を立て続けに聴講することができた。5日は土生のアトリエでバーベキューパーティー、幸いなことに天候に恵まれ滞りなく宴会はできた。後は例年通り庭の手入れと草引きと決まっている。
子どもが小さい頃は山へ行ったりといろいろ計画したものだが還暦を過ぎると身体を休めたくなる。何となく疲れが取れなくなっている感じは皆さん同じだという。

憲法記念日、ぼくらが永山先生の講演を聞いている頃、岩国基地では日米友好親善デーと称して軍用機やアクロバット飛行が行われたようだがこの日は天候が悪かった。朝から小雨が降り続き、空はどんよりとしていて垂直に上がるアクロバット飛行は見えにくかった。前日の予行飛行の空は青かったし見栄えもそれなりに良かったのだが、それでも20万人近い観衆を集めるというから不思議。何がおもしろいのかと不思議でならないのだ。
イベント終了後、ぞろぞろと帰っていく人々の手には基地で買ったのかお土産のピザを抱えている。

それはともかく今年の永山先生の講演は「安倍内閣の軍事法」について詳しい資料もあって分かりやすい内容だった。だが、どういうわけか比較的若い人の姿はなかった。
講演メッセージとして『いま、安倍内閣は、自衛隊法をはじめとする軍事法制を改悪して、日本を「戦争できる国」にしようとしています。戦争をできない国・しない国であるために、どのような法律をつくらせてはならないかを学びましょう』と呼びかけている。


おもえば安倍政権のいう積極的平和主義という考え方は、どうみてもぼくには理解できないしいまも分からない。つまり、米国と一緒に軍事行動すること、それを積極的にすることがどうして平和主義なのか誰も理解できないと思うからである。アメリカがそんなに正しいのかと考えてみるといい。
これまでも圧倒的な軍事力を背景に自国の価値観を押し付けようとしてきたし今もそうしようと思っている。でも、新しい戦争のスタイルともいえるイスラム過激派のテロとの戦いはこれまでのような国民国家間の戦争とはちがって終わりのない戦い(テロ戦争)になる。
安倍内閣の戦争法整備は対中国や対朝鮮というよりもそういうテロ戦争に自ら挑む愚行としか思えない。米国政府の要請(圧力)なのか、安倍現政権の短絡的な愚行なのかどうしてこのような事態になったのか分からないが、戦争はこのような無知からはじまるのかもしれない。
何としても阻止したいものだが、現政権を打倒してもこの動きは簡単にはおさまらないというからなおさら不気味なのである。



 

島のむらマルシェの「内田樹講演会」

  • 2015.05.01 Friday
  • 18:36
img045.jpg

4月29日、大島町文化センターで行われた“島のむらマルシェ”主催による内田樹さん(神戸女学院大学名誉教授で武道家、思想家)の講演「地方で生きる。―これからの社会の描き方―」を聴講。予てから内田氏の著作やブログにふれるたびに、理路整然としたその論調には同意できる確かなものを感じていたし楽しみにしていたのだ。
とりわけ最近のブログでアップされていた能楽の観世流機関紙むけだったか能楽と仏教と武道を横断する身体論に関する論考は印象的だった。思弁的パラダイムといいながら興味深いその言説には説得力がありおもわず鈴木大拙の『日本的霊性』を読まされる羽目になったが、身体でリズムをとるような身振りで講演される内容は歯切れも良かった。ぼくと一つちがいの同世代ということもあって、多方面にわたって今もっともビビッドに発言できる知識人のひとりとして身近に感じていたのである。
ぼくらが若い頃はサルトルやポンティー、ハイデッガーやフッサールといった実存主義的な形而上学が気になったものでレヴィ・ストロースやラカンといった構造主義も徐々に浸透してきた感じだったが、氏はその頃エマニエル・レヴィナスを研究され日本にレヴィナスを紹介した第一人者ということも最近になって分かってきたのである。実はそのことを息子から教えられたのだが、聞いたこともないレヴィナスのことなど恥ずかしながらぼくは何も知らなかった。さっそく、2冊買い込んでみたものの未だ机に置いたままである。
どの著作だったか忘れてしまったけれど中沢新一との対談ではお二人とも実践を通して思索を遂行する思想家という点で共通項があると思っていた。震災前の高橋源一郎との対談を含む最近の著書でも“言葉と身体性”について語られていたし、おそらく内田氏にとって身体を通して大地と思想を体現することは自明のこととして実践されているのだと思う。
 
講演では教育問題からとりわけ宇沢弘文の社会的共通資本という考え方について明解な分析と的確な理路を説くことになった。おもわず教育問題に熱が入りその危うい現状に対して憂いとも憤りとも思える感情がこもったが、都市部から田舎への移住を志す若者の「地方回帰」という全国的な動向を考えることを旨とする本講演の軌道に自然に入ったように思えた。
とりわけ食糧を生産する農業や漁業といった第一次産業の特性について、市場経済との折り合いの難しさを強調された。つまり、農業や漁業といった一次産業は経済という文化活動を考える時間軸の幅や数値化の問題とは馴染まないことを力説し、新しい市場や経済活動のあり方として主催者“島のむらマルシェ”の実践と可能性を応援したいと結んだ。
10数年前、Ⅿ21プロジェクトと称して精神風土をつくることを最強のアートと考え、山口県東部地域における地域づくりを考えるための各種アートプロジェクトに取り組んできたぼくたちの実践とも重なるとも思っている。大島町の“島のむらマルシェ”の取り組みと活動に注目していきたいものである。

会場はおそらく200人を超えていたと思うけれどさすがに熱気の感じられるたいへん貴重な講演となった。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2015 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM