小説インストール

  • 2015.02.23 Monday
  • 10:58
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『インストール』(綿矢りさ著、文春文庫)

(略)女子高生一七歳、肉体みずみずしく、良くも悪くもマスコミにもてはやされている旬の時季である。そんな短い青春の時間に何故、軽い売春行為にいそしまなければならないのか。私はどれだけ眠らなくてもへっちゃらの強い身体と、歴史上に存在する何百人もの偉人達の名をすべて記憶できる新鮮な脳ミソを持っているのだ。それだけの最高素材をこの押入れの中に閉じ込めてしまうチャット嬢になるという行為は、つまりこれこそ、私が今の大切な時期に最も切り捨てたいと思っていた“無駄”である。道の踏み外しである。こんな寄り道を気の迷いで選んだら、何者にもなれそうにない予感が確信、確定に変わってしまうことは間違いないだろう。冗談じゃないなと思った。
私、女子高生として、旬は旬なりの決断を下さねばならない。
「嫌、ですか?」
子供が目を伏せて聞いた。
「やらせていただきます」
すんなり言った。口がそう動いた。もういいや。コンピューターを見る。その中で光るエロチックな写真と、そこから広がる私の知らない世界。
おもしろそうだった。(p70)
 
これは新しい時代の到来を予感させる現象と云っていい。
本著『インストール』は子どもでも大人でもない、プロでもアマでもない、これまでのカテゴリーを爽やかに乗りこえる小説である。堀江敏行にも「回送電車とはおもしろいことを…」と思ったのだが、インストールとはおもしろいことを考えたものだ。それにしてもこれが一七歳で書き上げた処女作というから驚きである。事件である。天才あらわるである。
確かに仮想と現実といったネット時代を象徴するモチーフとか、チャット嬢とか、まさに時流を背景にする新鮮な感覚、などということよりもリアルな文学の王道を行進する完成度の高いその文体に度肝を抜かれるのだ。
 
トリックスターのような趣で登場する青木かずよし、という不思議な少年の設定もおもしろい。この小説には透明感があり滑稽さもある。そのうえ、切なくも爽やかな読後感に充たされる心地よさがある。



 

ドローイングインスタレーション2014-1

  • 2015.02.19 Thursday
  • 11:54
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bummei HARADA
ドローイングインスタレーション2014−1
紙、木炭、石、木材
120x500x30cm
2014

 

パラドックスが炸裂

  • 2015.02.19 Thursday
  • 11:41
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きれぎれ(町田康著、文春文庫)


噂にはきいていた町田康、最初に手にしたのが本著だったのだがこれが実におもしろい。

偶然にもこれが芥川賞受賞作だったということも分かって納得。こんな文体は今まで接したこともないし、それは新鮮なおどろきでもあった。とにかくこの音楽的なリズム感といい自在な発想で際限なくパラドックスの世界に突入すると、ますますその滑稽さが浮き彫りにされ嬉しくなってくるのだ。読んでいて笑えてくるほどに楽しいのである。
百鬼園先生(内田百けん)のこだわりも相当なものだが、町田康は増殖するように次々と展開されどこまでもどこまでも徹底してズレていくから凄いのである。。
次は『くっすん大黒』を読むことに決めているけど、噂にたがわず最高レベルでおもしろいと思った。

「笑いとは瞬間的な優越感である」と定義づけた人があるけれど、このパラドクシカルな展開は日常とのズレを生み、笑いを誘う。それも裕福な家庭にありながら放蕩のすべてを備えたように浪費家で夢見がちな絵描きの「俺」の趣味はランパブ通い。高校を中途でやめてランパブで出会った女・サトエと結婚するが労働が大嫌いで当然のことのように金に困るという設定。
自分より劣る絵なのに認められ成功しそのうえ自分の好きだった女・新田富子と結婚している同級生の吉原に金を借りに行く羽目になる。
ここで持ち前のパラドックスが炸裂。思いがけないきれぎれのエピソードがフル回転となるのである。この一文だけで充分イメージしていただけると思います。

…俺はおまえの恵んだ金で絵具を買い、傑作をものにしておまえのいまの地位を脅かすのだ。そうなるとおまえの自慢の美人妻はもともとが計算高い女だけにおまえを見限るよ。わはは。その後、誰の元に走るのかは云わぬが花でしょう。これをみたか。これが俺の悪意だ。光にぬめる鎌草の復讐。鎌草少将の智謀によって吉原は結果的に終わるのである。(p100)

アドリブ演奏のように自らをおとしめ「現実がなんだ、現実とは…」と問うように自分の日常を異化するのだ。だから、必然として“笑い”を生じるのかもしれない。
これは病み付きになりそうな不思議で稀有な名作と云っていい。



 

展覧会の日程が決まる

  • 2015.02.18 Wednesday
  • 17:08
個展の日程が決定!!!

原田文明展 
ドローイングインスタレーション2015
2015年12月2日wed―6日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。


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オペリータ「うたをさがして」のブックレット

  • 2015.02.12 Thursday
  • 16:45

“よみがえり”の力を喚起させ共鳴をさそう歌舞台、あのオペリータ『うたをさがして』の原作、楽譜、メッセージと東京公演のCD・DVD、岩国公演のDVD等々をまとめたブックレットが発売されました。

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オペリータ最終公演
 
2011年3月の東日本大震災と福一原発事故による未曽有の災害は、僕のそれまでの生き方を全否定されたような気がして途方にくれるばかりだった。今回のオペリータの出演者をはじめ多くの方々がいち早く「自分にできることは何か」と復興や再生への行動を起こしているというのに僕は何もできなかった。打ちひしがれたようにながい沈黙がつづいた。
2012年の秋だったか斎藤朋さんに誘われるようにケイタケイさんたちのダンスに遭遇した。その時、岩国に伝えられる重要無形民俗文化財「行波の神舞」とケイさんたちの土着的なダンスの共演で、天と地の恵みとともにある舞台芸術ができないものかと考えるようになった。だが、その計画がいろいろな問題で暗礁に乗りあげてしまい困惑していたところに、本オペリータ公演が具体化されたのだった。
オペリータ「うたをさがして」があの大震災を背景にもち、さらに被災された人に限らず多くの人々に語りかけ、よみがえりの力を喚起させ、さらに共鳴を誘う素晴らしい歌舞台となった感動を忘れることはできない。
残り物に福というけれど、最終公演となった岩国では二人のソプラノ歌手の共演となり圧倒的な歌の力をみせつけられ僕は大いに幸せだった。徹さんが菩薩と守護神と名付ける二人の共演は新たな可能性を示し、天才的なバイオリン、コントラバス、バンドネオン、ジャンさんの独特のダンス表現と重層的に織り込まれ見事なまでに完結され素晴らしい舞台となった。千恵の輪トリオに端を発し徹さんがあたためてきたオペリータならではの共鳴がここにも確認されたということかもしれない。
このような舞台芸術にふれる機会の少ない岩国市では年末年始ということもあって、オペリータそのものの説明や広報・宣伝のみならずチケット販売にも少し苦戦したけれど、本公演の観客の感想は大多数が好評で「素晴らしい」「感動した」との声がほとんどだった。

斎藤徹という音楽家の奇才ぶりにはいつも驚嘆させられるけれど、「うたをさがして」が間違いなく彼の重要なライフワークの一つとなることだけは確認できた思いがする。


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好評発売中!!

 

経済学と思想

  • 2015.02.03 Tuesday
  • 16:12
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社会的共通資本(宇沢弘文著、岩波新書)

この国が戦後の経済復興とともに近代化の峠をこえ、世界の経済大国として不動の地位を確立したと思えたとき、同時に水俣病や福一原発事故による放射能汚染に象徴される様々な公害問題や環境破壊、都市問題、インフレーションなどという抜き差しならない問題を抱え込むことになった。そのことは20数年前に刊行された名著『自動車の社会的費用』(1974年、岩波新書)にも詳しくまとめられている。そこでも重要なキーワードとして“社会的共通資本”という概念が提示され、自動車通行における道路の費用がどのように理解されるべきかと人々の基本的権利という視点で厳しく言及されている。
 
本著ではこの“社会的共通資本”について、すべての人々が豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間に魅力ある社会を持続的に維持することを可能にする社会的装置と規定し、経済理論においてどのように考えられ位置づけられるべきかを問うとともに、経済学のこれまでの変遷を分かりやすく解説し多方面から包括的に言及する。そして、社会的共通資本の考え方が経済学の歴史のなかでどのように位置づけられてきたか、さらにその目的がうまく達成でき持続可能な経済活動の条件について「農業と農村」「都市」「学校教育」「医療」「金融」「環境」に腑分けして各章で論考を企てる。
 
ぼくたちが幸福とは何か国益とは何かと考えるように、著者・宇沢弘文は先ず「ゆたかな社会とは何か」と問う。
そのことについて著者が一貫して説くのは、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズムの理想が実現される社会であるとしている。また、あたらしい時代の可能性を探ろうとするとき、社会的共通資本の問題がもっとも大きな課題として提示されなければならないと指摘。
 
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇に分けて考えられる。つまり、自然環境は、大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、沿岸湿地帯、土壌などであり、社会的インフラストラクチャーは、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどをいう。さらに、制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度を広い意味での資本と考えるのである。
 
二十世紀末、ロシア革命を経て経済学の理論的思想的考え方が、一つの政治体制として実現されたことに多くの期待がもたれたことをふまえ、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」についてふれ、資本主義的な市場経済制度を前提とする経済学において、新古典派からケインズ経済学、反ケインズ経済学等々その変遷と現代資本主義の制度や経済学の危機について分析する。
 
アメリカが生んだ偉大な経済学者ソースティン・ヴェブレンの制度主義と哲学者ジョン・デューイのリベラリズムの思想による産物とされるこの概念は、市場的基準によって支配されるものでも官僚的基準によって管理されるべきものでもなく、一人一人の市民が人間的尊厳を保ち市民的自由を最大限に享受できる社会を安定的に維持するために必要不可欠なものという思想に貫かれている。




 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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