三沢厚彦のANIMALS

  • 2015.01.28 Wednesday
  • 15:25
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周南市美術博物館で行われた三沢厚彦の彫刻展は子ども連れの観客でおお賑わいだった。18日の最終日ということもあったかもしれないがこの作家の人気ぶりがうかがえる好企画と云えるものだった。

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作品はANIMALSとなっていたがフォーマルな彫刻とはやや趣を異にするものだ。ポップな三沢のイメージに支配されたキャラクター彫刻と云っていいものだったが、圧倒的な存在感のあるところがおもしろい。
欲をいえばもう少し展示に工夫が欲しかった気がする。多くの子どもたちがきて楽しめることを考慮するなら作品に触れたり乗せてもらえる設定もあっていいのではないかと思う。床と同系色のテープを台座代わりに仕切ってあったのも不要だった。

まどさんの常設も同時に展示されてあったが、ほとんど違和感はなかった。
ウルトラマン企画と云い、最近の同館は子どもたちの楽しめる企画が続いている。

 

時代の気分を象徴する蹴り

  • 2015.01.27 Tuesday
  • 11:18
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蹴りたい背中(綿谷りさ著、河出文庫)

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。
 
冒頭のこの出だしに衝撃的なデビューを飾った本著のすべてが感じとれる、といえば大袈裟に聞こえるだろうか。確かにこの作品を青春小説のカテゴリーで新鮮な感覚やその特異性について論じることは可能かもしれないが、個人的にはむしろこの小説の力強さと否応なく現在(いま)を顕わにするその言語感覚に驚嘆する。
高校生の他愛のない日常を描いているに過ぎないといえばそれまでだが、圧倒的な筆力で読者をひきつけ一気読みさせる文体には誰でもこの書き手の稀有な才能と可能性を感じるだろう。
斎藤美奈子さんもそのことについて、著者の五感、とりわけ聴覚と視覚が異様に研ぎ澄まされていることに注目してほしいと解説している。ぼくはさらにその後につづけられるスタンスという言葉に注目してみたいと思う。冒頭の一文はこのようにつづけられている。
 
気怠げに見せてくれるしね。葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。
 
遠慮しておくというこのスタンス、自分を取り巻く環境や人との関係のもち方、その立ち位置について考えてみると、否応なく自ら「余り者」として振る舞う孤独なポジションを選択している。干渉されたり気づかったり周囲との関係を著しく警戒しなければ自分の存在が埋没してしまうことを恐れるように白けている。だが、一人称で語られる「私」の内面はけっして充足された気分とは云えない。現実はその逆で方向性を失ったままやり場のない感情とそれゆえに研ぎ澄まされた五感(センサー)を使って必死で自分の存在を確認しようとする状況が伝わってくる。この作品の主題はむしろそのことかもしれない、ぼくはそう思う。
無防備な「余り者」として私と共通の話題(ファッションモデル=オリチャン)をもつにな川という同級生や周囲との関係性を抵抗なく受け入れられる同級生絹代が設定され、物語は奥行きと厚みをましてテンポのいい展開をみせる。
 
タイトル『蹴りたい背中』とは研ぎ澄まされた五感で世界と向き合う私が、余り者同士でありながら盲目的にオリチャンに関心をもつにな川の無防備な姿に対して衝動的に加えた彼の背中へのひと蹴りのことだが、まぎれもなく同時代の気分を象徴的に描いたものであり文学史上の衝撃的な事件(最年少19歳で芥川賞)となったことも分かる気がする。綿谷りさ、おもしろいです。次は処女作『インストール』を読むことにしよーっと。

 

凧あげと川遊び

  • 2015.01.10 Saturday
  • 17:46

今年、はじめての子どもの教室。

いつもの凧づくりをして外に出て凧あげをする。
今日はいい天気。
やわらかい風もあって絶好の凧あげ日和だ。

 

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ダイヤ凧とグニャグニャ凧をつなげて漣ダコもやってみた。
結果は?大成功!!! 
気持ちのいい風であ〜る。
倒してあったグラウンドのネットに寝転んで凧あげをする。

一時間も余裕があったので河原で「水切り」をして遊ぶ。
悠ちゃんはおもしろい遊びをドンドン考える。
今度は石を積みあげて遊ぶことに・・・
誰が一番高く積み上げることができるか競争する。
小さな石しかなかったが6段ぐらいは積み上げた。

こんどは「おれたちの陸」をつくることに・・・

 

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石を集めて半島をつくるのだ。

 

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小石を運んでドンドン埋め立てる。
さらに5メートルくらい先に見える石のところまでつなげることにする。
足場をしっかり固めておいて石を運ぶ。
少し引いて視ていた優希ちゃんもいつの間にか本気モードに・・・
陸つづきにするのはタイヘン。
陸をつくるのも凧あげも本気になると頭は空っぽ。
何も考えていない。気分爽快そこがいい。

やっと完成。ちょうど時間となりました。

 

 

 

 

経済理論と基本的権利

  • 2015.01.04 Sunday
  • 14:53
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自動車の社会的費用(宇沢弘文著、岩波新書)

1974年に本著が出版されたことを思うと安保闘争も学生運動も終焉をむかえベトナム戦争も集結へと歩みはじめた時代状況と一致することになる。日本は高度経済成長とともに自動車産業だけでなく他の基幹産業も飛躍的な発展を遂げ、経済立国としての不動の地位を確立したかにみえた。だが、公害問題、環境破壊、都市問題、インフレーションという抜き差しならない問題に直面することになった。
そして、2011年3.11福島第一原子力発電所の事故はエネルギー問題だけでなく日本経済の根幹にかかわる象徴的な出来事となった。そういう時代の流れを背景にして、市民の基本的権利獲得をめざす立場から自動車の社会的費用を具体的に算出し、費用の内部化の方途をさぐる視点をもつ本著が出版されたことを驚きとともに称賛したいと思う。
つまり、本著は高度経済成長の只中で徹底した効率化・機械化の流れとともに、工業国として大きく舵を切ったこの国の政治的・経済的政策に対してあきらかに急ブレーキをかけるきわめて真っ当な著作であるからだ。それも高名な経済学者の著作とあればなおさらであろう。政財界の視点からみればおそらくヘンなことを云う人がいるものだと無視するか大いに煙たい存在だったに違いない。だが、その論旨はきわめて健全、理路整然としていて説得力がある。ぼくはそう思う。

本著では近代経済学の理論的支柱を新古典派の経済理論と位置づけ、自動車の社会的費用という問題を考えるとき二つの問題点があることを指摘する。つまり、新古典派は厳密に純粋な意味における分権的市場経済制度にのみ適用され、道路という社会的な資源についてはその役割を十分解明しえない理論的フレームワークをもつということ。さらに新古典派理論は人間を単に労働を提供する生産要素として捉える面が強調され、社会的・文化的・歴史的な存在であるという面が捨象されるという。したがって、自動車通行によって基本的生活が侵害され市民的自由が収奪されるという自動車の社会的費用のもっとも重要な側面に光を当てることができない、としている。

そして、自動車の社会的費用ということについて徹底分析し、人々が安全に生活する権利すなわち人権擁護という立場から社会的共通資本という概念について考察する。社会的共通資本とは便宜的に自然資源(大気、河川、土壌など)と社会資本(道路、橋、港湾など)の二種類をあげることができるが、このカテゴリーに入れることができない制度資本(司法、行政制度、管理通貨制度、金融制度など)や教育・文化、国土の保全や農業のあり方にまで及ぶ人々の生活環境を考える重要な視点(キーワード)であることを強調している。このような哲学的視野をもった経済学者が存在することを誇りに思う。
日本における自動車の普及は戦後の高度経済成長のプロセスを端的にあらわし、日本の復興を象徴的に反映するものではあるが生活環境や人間の尊厳(人権)を侵害してまで優先されていいものか、と考える。論旨はきわめて明解、著者は人権という人々の基本的権利獲得をふまえて経済理論を考える立場をつらぬいている。
このことはおそらく福田徳三の厚生経済学や原田正純の水俣学にも間違いなくリンクすることだろう。それ故に、グローバリズムという市場原理の病にとりつかれた人々の特効薬としても必見の一冊と云っていい。

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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