吉村芳生の訃報

  • 2014.01.25 Saturday
  • 17:06




仕事を終えて夜の9時頃だったかと思うけど、家に帰るといきなりカミさんから吉村君の訃報を聞かされて驚いた。「えっ、どうして?事故なのか?」と耳を疑った。「よく分からないけど、さっきテレビで報道されてびっくりした」と教えられた。

翌朝、新聞を見ると器質性肺炎という病気とあったがよく分からなかった。彼は酒もタバコもやらないし健康にはかなり気を付けていたことも知っていたので余計に信じられなかった。

詳しいことは美術館の高野さんから聞かされたが、何ともやりきれない思いと無念さが残った。

彼とはよく喧嘩もしたが、おそらく県内では一番長い付き合いとなることも分かっていた。東京にいたころからの付き合いで毎日現代展や国際展などのレセプションでよく会っていたし、なんとなく西日本の作家たちで同じテーブルについてよく話もした。版画の小山愛人や下関の前川謙一(?)もいたし、乗兼さんという“フグちょうちんの作品”の人もいた。


ぼくが東京から岩国へひきあげると、彼は当時広島に住んでいて山口と広島を行き来しながらいろんな活動をして注目されていた。ぼくが岩国に帰ってはじめての個展を市民会館でやるときは、マスコミ各社を一緒に案内してもらったこともある。

山口の現代彫刻の重鎮田中米吉さんを紹介してくれたのも吉村君だった。田中さんのアトリエは当時まだ山口駅前にあって、助手の横沼さんがドッキングの模型をつくっていた。ちょうどそのとき山口県立美術館では「香月泰男展」をやっていて、田中さんは香月との若い頃のいくつかのエピソードを話してくれた。新年の挨拶にも一緒に行って田中さん宅で一緒にごちそうにもなった。

「殿敷侃という作家がいるんだよ、会ってみるか?」というので「どんな奴だ?」と聞くと、「こんど広島のナガタ画廊で個展をやるから行ってみるといい」と言われた。

殿敷さんはそのころ点描のドローイングの作品を発表していたが、ナガタさんといちゃついていたのでぼくはあまりおもしろくなかった。吉村君もおもしろくなかったと思う。

そういうわけで、上昇志向の強い彼とはたびたび喧嘩もしたが、美術情況や周囲の作家について意見はかなり一致したし信頼もできた。

広島で具体美術の「松谷武判展」にも一緒に行ったし、その会場で松谷さんや若くして亡くなった松尾という広島の画家にも出会った。


吉村芳生が最初に脚光を浴びたのは、現代日本美術展で毎日新聞をそっくりそのまま同じ大きさの紙に描き移した鉛筆のドローイングの作品だった。

その後、銀座にあった「楡の木画廊」の個展で発表した“金網の仕事”や“ドットの風景画”も観ていたし、それを版画にしたものも観ていた。

彼が学んだ創形美術学校で教えていた松本旻も複製メディアのメカニズムそのものを踏まえて風景画を描いて注目されていた。その影響もあったかもしれないがドットを細分化していく独特の手法は色鉛筆に転じても進化し続けて狂おしいところまでに到達していった。

「プロジェクターもやってみたが、やっぱりこのやり方が一番性に合っている」とも彼が言っていたのを思いだす。

だから、彼もぼくも殿敷侃や田辺武、荒瀬景敏、山下哲郎、堀研、山根秀信らにも一定の距離をおいて独自の視点でいろいろなことを見ていたように思う。


ぼくは、『アートムーヴ2007〈岩国〉具象の未来へ』という山口県東部エリアの地域づくりを考えるアートプロジェクトに彼を誘った。当初は彼が参加する予定はなかったのだが、ぼくらが予定していた八島正明と相川桃子の参加が難しくなってから彼に参加を依頼したのだった。

ちょうど、その頃だったが山口県美展で大賞を受賞し六本木の森美術館で椹木野衣が企画した「クロッシング」という展覧会で注目されたこともあって、彼のプロジェクトへの参加は大いに話題にもなったしぼくたちにとっても有難いことだった。
「クロッシング」で彼が発表した作品“友達シリーズ”は何年も前に彼から直接聞いたことだがスランプの時期のものだった。だが、皮肉なことにその作品で再び脚光を浴びることになったというわけだ。つまり、色鉛筆に移行する前のものということになる。

ちょうど、彼自身がスランプと云っていた頃のことになるが、「俺には現代美術とか分からないし厳密に表現について考える才能もなかった」などといい、色鉛筆へ移行する動機付けをみつけようとしているように感じられたことがある。だから、そういうことはだれにもあると思うけれど、当時の彼はかなり悩んでいたのだと今になって思う。「モノクロームはつらい、精神が不安定になる」ともいっていたくらいだった。

 

アートムーヴ2007では、企画した地域住民との交流を目的とするレセプションが設定され参加するように云ったのだが、陶芸家・大和保男さんのお祝いの会があるなどと言って彼だけが参加を拒んだ。
昔からそういう勝手なところもあって「おもしろくない奴だな」ともぼくは思っていた。

それでもその会場では近況や作品についてかなりシビアな意見交換をし大いに話をした。
もう30年も前のことになるが絶交宣言をしてしばらくぼくらは音信不通の時もあったけれど、岩国で個展をするとなると彼はいつもぼくの意見を尊重して聞こうとしていたようにも思った。





2010年、山口県立美術館で企画された「吉村芳生展」で大成功したころ、ぼくは周東パストラルホールで一ヶ月のかなりまとまった個展をやっていた。美術館や画廊空間にないダイナミックなこの建築空間を生かすことができれば必ずおもしろい展覧会になると確信して臨んだ大規模なものだった。

だが、周東パストラルホールは専用の展示空間とはちがう独特の建築空間であり、作品の管理や安全性、運営システムの問題などがあって、ぼくは会場に張り付いていなければならなかった。
いまでも不思議なのだが、どういうわけかこの展覧会はまったく注目されなかったし、美術関係者もほとんど会場に来ることはなかった。そのうえ一ヶ月に及ぶロングランの展覧会だったからぼくは余計につらかったのを覚えている。

仕事の都合でぼくが留守をしていたちょうどそのタイミングで吉村君が周東パストラルホールのぼくの会場に来てくれていた。吉村芳生はそういう奴だった。

 

彼は他愛のない発見や出来事を大袈裟にいうことがあって、思わず笑いそうになることも何回かあった。
何のことはない、聞いていれば絵画空間の3次元的な奥行きのことや質感に関することに気づいたといって驚いたり、誰でも知っているようなことを真剣に話すこともあって、「こいつ、馬鹿じゃないのか」とぼくは呆れて聞いていたこともあった。

「コスモスを描いていると本当にこの世のものとは思えない心境になることがある」などと真剣に語ることがあった。とうとう彼は本当にあの世の花まで描きに行ったのかもしれない。

 

フランスでの研究を終え還暦も過ぎて「やっと絵で喰えるようになった」とも言っていたし、いよいよこれからだといった矢先の突然の訃報だった。

誰も予想できるわけがない、ただ無念さと悔しさだけが心の底からこみあげてくる。

吉村、お前の仕事のことはっきりと見届けてやるよ。だから、どうか安らかに…
のんびりとあの世の花でも描いていてくれ。



 

 

 

フォーラム2013〈岩国〉“オペリータ うたをさがして”岩国公演

  • 2014.01.18 Saturday
  • 11:00
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1月17日金曜日、フォーラム2013〈岩国〉「オペリータうたをさがして」岩国公演が終了。
コントラバスの斎藤徹さんと書家で随筆家の乾千恵さんのコンビを軸に広がった「千恵の輪」は最終公演にふさわしい見事なかたちで完結した。
集客数も当方が思っていた最低限の結果はクリアできたように思っている。
車いすのお年寄りから1才にも満たない赤ちゃんを抱いて観に来てくれた人、パーキンソン病に苦しんでいる高齢者の人もいた。



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お昼に岩国入りした面々は最終日とあってかなりの疲れが感じられたが、早速舞台担当者と打ち合わせをする。簡単な照明の仕込みを13時から頼むことにして、気分転換に錦帯橋を散策することになった。
澄み切った錦川の流れと錦帯橋の美しさに疲れも洗い流されるような気持ちのいい時間を過ごすことができた。近くのレストランで”大名ご膳”なる昼食をゆっくりと楽しんでからホテルへ移動。ぼくはスタッフとの打ち合わせでシンフォニア岩国の会場へとまわった。



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リハーサル風景


17時からリハーサルがはじまり早めのお客さんも17時半くらいからちらほらと見えてきた。感動のあまり、神戸公演から追っかけてきた神戸大の学生がいたり、京都や広島公演のスタッフがいたり、会場はとてもいい雰囲気となっていた。


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舞台はオリヴィエさんのバンドネオンのソロからはじまりジャンさんの巡礼の旅の場面へと静かに移っていく。
思いがけないアクシデントによって設定された二人のソプラノ歌手の”うた”は圧巻だった。それというのも、さとうじゅんこさんの声帯結節のアクシデントから急きょ起用され見事に代役をこなしてきた松本泰子さんに加えて、岡山公演から復活されたさとうさんが参加して二人ソプラノという豪華キャストとなっていたのだ。怪我の巧妙とはひょっとしてこのことかも…



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観衆の反応もよく舞台は観客と一体化し、生命力の回復と再生の”うた”は確かに共鳴したようにも感じ取れた。
徹さんが菩薩と守護神と称する二人のソプラノは天才的なバイオリン、コントラバス、バンドネオン、さらにジャンさんの独特のダンス表現と重複し織り込まれ、それは見事なまでに完結され素晴らしいオペリータの舞台となった。



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打ち上げ(交流会)
 

WATER STATE1

  • 2014.01.12 Sunday
  • 12:31
昨年末、1月17日(金)岩国市のシンフォニア岩国多目的ホールで行われる『オペリータ/うたをさがして』の広報と山口県美で開催中の『五百羅漢図』の鑑賞目的で山口方面へ。

Tysテレビ山口、nhk山口放送局、YCAM山口情報芸術センター、FM山口、yab山口朝日放送をまわって山口県美へと移動すると16時を少し過ぎてしまった。
帰りに周南市文化財団の西崎さんとKRY山口放送に立ち寄る予定だったがこれは後日出直すことにしてあきらめた。

偶然、鑑賞する機会をえたYCAM山口情報芸術センターで開催されている坂本龍一と高谷史郎の作品「water state1」が素晴らしかった。



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水は温度によって氷、水、水蒸気と、その様態を変える。水がつくり出す雨、雲、霧、雪、海、河、湖、滝、氷山、氷河などの自然現象は、どれをとっても、いつまで眺めていても飽きることはない。
また、この惑星の表面積のおよそ7割が水に覆われ、私たちの身体の7割が水でできており、生命の源でもある。―坂本龍一



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生命を支える根源的な物質であり、状況に応じて様々なかたちに姿を変える「水」。坂本はかねてから水に対して強い興味を示してきましたが、一方で作品のモチーフとして扱うことに困難を感じていたともいいます。しかし今回、新作の構想を進める中で、水そのものを素材とする可能性について考えを深めるようになり、YCAM InterLabが大量の水滴を自在に落下させることができる装置を開発。これによって、水が見せるさまざまな表情を、間接的に表現するのではなく、水そのものを使って表現する可能性が生まれました。
本作ではこの装置を用い、水滴と水面の複雑な変化を生み出すとともに、その様相をサウンドへと反映。視覚と聴覚の調和とコントラストが観る者に多様な記憶を喚起させていきます。

一見して落下する水の音とのコラボかと思ったが、間違いなく現象そのものと連動するようにプログラミングされたものだった。


 

坂本龍一「ART-ENVIRONMENT-LIFE」

  • 2014.01.11 Saturday
  • 16:25

YCAM10周年記念祭を総括する、坂本龍一の大規模展覧会。坂本龍一×高谷史郎の新作を含む3つのインスタレーションを同時公開

2013-11-01(金)–2014-03-02(日) 10:00〜19:00

山口情報芸術センター[YCAM]では、YCAM10周年記念祭の一環として、10周年記念祭のアーティスティック・ディレクターを務める音楽家の坂本龍一の展覧会「ART-ENVIRONMENT-LIFE(アート―エンヴァイロメント―ライフ)」を開催しています。

本展では、坂本とアーティストの高谷史郎が山口に滞在し、YCAM InterLabとのコラボレーションのもと制作した3つのインスタレーションが展示されています。


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私たち人類は、文明の上に成り立つ都市空間と、周囲の自然が織りなす豊穣な循環のもと、安定した日常を過ごしています。しかし、そうした日常は予期せぬ自然の猛威によって、もろくも瓦解してしまう―甚大な被害をもたらした2年前の東日本大震災は、そうした可能性と私たちが常に隣り合わせであるということを、改めて気づかせてくれたと同時に「いま、環境とは何か?」といった問いを、等身大の視点から立て直すきっかけにもなりました。

このような問いを受けて、YCAMと10 周年記念祭のアーティスティック・ディレクターを務める音楽家の坂本龍一が、未来の芸術表現のビジョンを描き出すべく策定した10周年記念祭のテーマが〈アート〉〈環境〉〈ライフ〉です。このテーマの背景には、震災以前から様々な環境/平和/社会問題について積極的に言及し、具体的な取り組みをおこなってきた坂本の「自然をより深く知ることから、これからの文明やアートが生まれるはずだ」という強い思いがあります。



 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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