高所作業

  • 2013.05.29 Wednesday
  • 15:19
130527_1353~02.jpg
 

三人の高所作業者たち。




130527_1353~01.jpg
 

電線にぶら下がったままの作業。曇り空にとてもきれいでしたね。





 

橋下徹へ風俗嬢の反論

  • 2013.05.22 Wednesday
  • 16:50



 

これいいね。見事に言い当てている。

マスコミもこのくらい徹底して報道して欲しいものだ。

気迫と迫力が違いますね。


橋下徹さんへ〜沖縄の風俗嬢からの




 

カリンバ

  • 2013.05.19 Sunday
  • 14:57



美術教室(子どもコース)、昨日はタンザニアの音具「カリンバ」をつくりました。
結構、いい音がしますね。






 

憲法記念日の講演

  • 2013.05.13 Monday
  • 17:22

東京ではオリンピック東京大会招致キャンペーンのポスターがあちこちで掲示されているらしい。先のロンドン大会で大活躍した選手たちの歓喜する写真とともに“この感動を次はニッポンで!”とのキャッチコピーが添えられているとのことだ。

憲法記念日に講演された詩人アーサー・ビナードさんは、次のリオデジャネイロ大会には日本選手団はあまり意欲的ではなさそうだという。多分、ボイコットするんじゃないかとまで断言した。だからといって、“…次の次はニッポンで!”というと今ひとつインパクトが弱いから電通の人たちは計算済みでそのコピーを使っていると冒頭から笑いを誘った。
 


 

米国憲法では戦争するかしないか、その決定権は議会にあるとも云われた。ところが、ベトナム戦争や湾岸戦争の開戦はいつ決定されたか誰にも分からないという。つまり、米国は憲法違反を犯してこれまで数々の戦争をしてきた。太平洋戦争だけがその例外からはずれ宣戦布告が議会で決定され第二次世界大戦に突入することになった。


その一方で国民に知らされないまま巨額の国家予算を投じて「マンハッタン計画」が進められたがこれも憲法違反だという。戦況から察するところ戦争はすでに終わっていたにもかかわらず、マンハッタン計画の正当性を演出する目的で原爆の投下が計画されたと考えるのが妥当な見方だという。



アーサー・ビナードさんは広島を訪れ「ピカドン」という言葉に出合った。核開発をする側ではなく、広島で生活する人々の側に立って核兵器や核開発の問題を考えるようになったという。
著書『さがしています』は、被爆した人によるカタリベではなく被爆した物品がカタリベとなって、持ち主や人々の生活の記憶を“さがしています”という詩と写真の結晶のような形式の絵本である。



講演終了後の打ち上げでも、核の平和利用に転ずる策動についても独自の見解を話され大いに盛り上がった。

ぼくも加藤典洋の『3.11―死に神に突き飛ばされる』を読んだばかりだったし、核の平和利用を主張した正力松太郎や中曽根康弘らの策動やアイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」政策とは別に「破壊と死滅」にさらされた人々であるが故に「祈念」という心理が起動したことの信憑性について聞いてみた。

が、アーサー・ビナードさんはそれもプロ中のプロたちが寄り集まって計画した結果だと結論づけた。彼の見解もなかなか説得力があっておもしろかった。

 

 

核燃料サイクルの放棄と原発

  • 2013.05.10 Friday
  • 10:20
130412_2238~01.jpg
『3.11―死に神に突き飛ばされる』(加藤典洋著、岩波書店)

 

本著は東日本を襲った3.11の大地震と大津波、さらに福島第一原子力発電所の事故による未曾有の災害を受けて浮き彫りにされた人々の意識や社会システムの問題などについて各誌で発言してきたもの「死に神に突き飛ばされる」と本編書き下ろし「祈念と国策」を収めたものである。

著者は吉本隆明氏の考えに説得され、科学技術の発展と可能性を信じ科学によって生じた問題は科学によって解決すべし、との立場をとってきたしそれは今も変わらないという。だが、それはイデオロギーでありイデオロギーにすぎないとして、今回の惨事と失敗を教訓に原発と原子力エネルギーの問題を根底的にどこまでも考え抜き、その対処をかたちとして示すことが自らの責務だと問いかけている。このことは水俣学の原田正純さんが胎児性水俣病の発見についていみじくも指摘したように「専門家」とは何かと問うことに似ている。

今回の原発事故を受けて、著者はこの国の原子力発電所が「核の平和利用」という美名の下にいかに推し進められてきたかを問う。原爆のみならずビキニ環礁での第五福竜丸を含めて3度の被曝を経験した国民がどうして福一原発の事故で更なる被曝をしたのかと考えたのかもしれない。

著者は“祈念のかたち”と“国策”という考えに辿りつく。とりわけ広島市立大学平和研究所教授田中利幸氏の分析を参照しながら“被爆体験を原点とする”ということの意味を考えるとき、米国の政策「アトムズ・フォー・ピース」や原子力マフィア(アイゼンハワー、正力松太郎、中曽根康弘)の策動があろうがなかろうが「破壊と死滅」にさらされた人々が未来の「幸福」と「繁栄」の力へと反転させたいとの願い、すなわち“祈念”することを生きることのささえとし力にしたという考えにいたる。

また、信頼できる原子力推進派の論客として寺島実郎と立花隆をあげ発言のあいまい性について厳しく言及している。寺島に対しては核燃料サイクルの確立、非核三原則の立場でも直ちに核保有できる“技術抑止”の可能性の主張が条件とならなければならない、と。
つまり、核燃料サイクルの放棄は「原子力の平和利用」も「技術抑止」も不可能であることを意味する。著者は福一原発事故をその結果として位置づけ、日本は核兵器を否定する国として信頼を取り戻さなければならないとも指摘。渾身の書き下ろし「祈念と国策」、さすがに読み応えがあります。どうぞ、ご一読を・・・・・・。

 

 

無防備な絵本の力

  • 2013.05.08 Wednesday
  • 15:37

『およぐひと』(長谷川集平著、エルくらぶ)

 

素晴らしい絵本の誕生に拍手をおくろう。この本は不思議な力を持っている。『およぐひと』それは、3.11の東日本大震災と大津波、そして福島第一原子力発電所の事故による未曾有の大災害で浮き彫りにされた今日的な問題を扱ったものである。

「絵本は誰のものか」といえば誰のものでもない、それは子どもたちだけのものでもなく広く一般の読者を含むすべての人々を対象とするものである。それゆえに表現としての純粋な広がりと大きな可能性をもつ形式(メソッド)であるともいえる。
本著はそのことを見事なまでに証明している。そして、ぼくたちがこれまで経験したことのない未曾有の災害が主題であるがゆえに、また子どもに問いかける内容であるがゆえに、その問いはぼくたち自身に否応なく突き刺さってくるようだ。

人間の尊厳とは何だったか。あの報道のあり方は何だったのか。ぼくたちは何を考えてこれまでを生き、そして何を求めてきたのか。ぼくたちは本当にあの福島第一原子力発電所の事故を防ぐことは出来なかったのか。この絵本を読み聞かせ子どもに買い与える一人の大人として、自責の念があの大津波のように押し寄せてくる。

無防備という印象とともに、この絵本は絵画と文章がきわめて抑制された表現でありながら絶妙な関係で互いに作用し合い大きな意味と問いをあらわにしている。

思えば、これほどシリアスで魅惑的な絵本に出会ったことがあっただろうか。無防備な絵本の力、本著『およぐひと』はぼくにとって大きな驚きとともに大きな喜びとなった。
時代をこえて、これから多くの人に読み継がれてほしい一冊であり、また読み継がれなければいけない絵本となるだろう。




 

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2013 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM