最初の人間

  • 2013.02.27 Wednesday
  • 15:38
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ジャンニ・アメリオ監督作品『最初の人間』を広島のサロンシネマで観た。20世紀を代表する作家でノーベル賞受賞作家でもあるアルベール・カミュの自伝的作品だ。カミュは46歳の若さで自動車事故のためこの世を去ったが、その時カバンの中から発見された執筆中の小説が『最初の人間』だったという。

以後、30年以上の年月を経て1994年に未完のまま出版され、フランスで60万部を超えるベストセラーとなり、その後世界35か国で出版され大きな反響を呼んだ。その内容はフランスに住む作家コルムリが、生まれ故郷のアルジェリアに帰郷する設定となっていて紛れもなく自伝的遺作といっていい。それゆえにこの作品はカミュの創作の原点を知る上で大きな事件であったという。

最近、アルジェリアで起きた日本企業の爆破襲撃によるテロ事件が報じられたこともあり、宗教や民族問題だけでなく政治的にも複雑な問題を抱えていることが浮き彫りにされたばかりである。

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フランス領からの独立運動の最中、作家コルムリはアルジェリアに帰郷し大学で演説する。一つの国や民族問題を超え非暴力による解決と共存を訴える彼の立場は、当時の多くの市民や学生から支持されることはなく誹謗され散々な結果となった。

作家は、アルジェリア人の同級生、母、叔父、文学の道に誘ってくれたベルナール先生を訪ねながら、アルジェリアの貧しい家庭に育った複雑な生い立ちをたどりながら自らの存在理由を確かめるように追憶の旅をつづけるのだった。

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最初の人間とは何を意味するのだろう。それは誰にも分からない。だが、カミュは今日的世界の状況を見通しながら、この原作『最初の人間』でぼくたちに大きな“問い”を残しているようにも思える。

著名な作家に成長したコルムリが母に「どうしてアルジェに残るの?」とやさしく問いかける。母は「アルジェリア人だからよ」と穏やかにいうラストシーンが印象に残った。

映画としては大変よくできているしキャスティングも見事なのだが、どういう訳かインパクトに欠ける感じがして僕にはやや不満が残った。

ヴェネチア国際映画祭外国人記者協会賞、トロント国際映画祭国際批評家連盟賞、イタリア・ゴールデングローブ賞外国人記者グランプリなど受賞作品。

 

汝の目を信じよ!

  • 2013.02.21 Thursday
  • 14:28
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徐京植氏の作家としての活動は多岐にわたるが、その原点は兄二人の救出活動の経験とともに、在日朝鮮人としての自身のアイデンティティにあるといわれる。現在は東京経済大学教授としての肩書きをもつが、その立脚点はつねに歴史的文化的問題を意識した鋭い洞察力で「人権」や「マイノリティ」を軸に多角的考察を試みる独特のスタンスにあるのではないかと思う。

本著は、美術に関するものとしては『私の西洋美術巡礼』(みすず書房)、『青春の死神』(毎日新聞社)に続く三冊目ということらしい。1991年、著者は統一直後のドイツを旅しながら、とりわけナチスによって「退廃美術」と位置づけられた作品や戦争画に惹きつけられ、追体験するように絵画の背後に確認できる画家の生き方やその時代と向き合い、著者自身の生き方を重ねるように見つめる。

カラヴァッジョの《トマスの不信》、オットー・ディックスの《戦争祭壇画》、エミール・ ノルデの《キリストの生涯》などをはじめ、ベックマン、ジョージ・グロッス、フェリックス・ヌスバウム等々をめぐる巡礼の旅が続いていく。とりわけ、本著のタイトルとなったディックスにかかわる探求の旅は圧倒する迫力がある。

個人的には、これらの絵画の「切実さ」「熾烈さ」に対して、本著の韓国版序文(P-205)として記述した韓国美術の「きれいさ」について言及した視点に注目したい。ここでは、「きれい」というのは賛辞ではなく、見る者にとって抵抗感を感じさせない退屈なものであると手きびしい。藤田嗣治の戦争画にしても厳しく言及し、戦争責任は云うまでもないが単に政治的主題を描く主題主義を唱えるものではないとして、著者はあえて「芸術的力量」とは何かと問うのだった。芸術的力量とは技巧ではなく、真実を直視し、それを独創的な手法で描ききる人間的な力量のことではないかと主張する。
さらに、日本の植民地支配からの解放につづき朝鮮の南北分断が美術におけるモダニズムとリアリズムの分断を生じたとの言説に対して、近代という時代と格闘するのが真のモダニズムであるとしている。また、韓国美術に対して、その限界を超える可能性を信じるとして−より徹底的に見つめよ、より熾烈に創造せよ!−と呼びかけている。

これまでの美術関係者や専門家の言説とは異なる視点が嬉しくもあり心地いい。

ニーチェの馬

  • 2013.02.18 Monday
  • 20:57
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映画『ニーチェの馬』はとても印象深い作品だ。今年、ぼくが観る映画の中でおそらく最高傑作ということになるだろう。それは何とも寡黙なモノクロームの作品なのだが、映像そのものに力があると云えばいいのか、極めて象徴的に描くその手法によるものなのか、それとも人間存在とりわけその尊厳にかかわる哲学的な主題によるものなのか、これまで観たことのない衝撃的な作品であることは間違いない。

舞台は19世紀末、〈世界の終末〉を象徴するように狂風が吹き荒れるドイツ(イタリア?)北部の街はずれにある古びた農家。その寒村での父娘の単調な生活が描かれているだけ だ。役割分担されたように娘の仕事は、朝起きて井戸水を汲みに行くこと。それから火を熾す。片方の腕が不自由な父の服の着替えを手伝う。毎朝、父は焼酎を2杯飲む。食事は茹でたジャガイモだけ、熱々のジャガイモを火傷しないように手で砕き皮を剥いてほおばる。父は納屋の馬に荷車を引かせて街へ行く。だが、馬は鞭でいくら叩かれても動かず、餌を食べることさえも拒否する。

 

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シンプルで単調な生活、このミニマル調で象徴的なシーンがコントラバスの低音(音楽ビーグ・ミハーイ)とともに繰りかえされる。ただ一つある窓からの眺めはいつまでも吹き荒れる狂風だけである。井戸の水が干上がったのを機に父娘は荷車に衣類とジャガイモを積んで馬とともに村をはなれることを決意するが諦めて引きかえす“長まわし”のシーンが印象的だ。

ドイツの偉大な哲学者ニーチェが、トリノの街角で鞭に打たれながらも動こうとしなくなった馬を目撃し発狂した、という逸話がこの作品の下敷きにある。その馬の行方は分からないが、ハンガリーの奇才といわれるタル・ベーラ監督が最後の作品として、寒村に住む貧しい父娘と疲れ果てた馬の最期の6日間を描いたこの作品に込めたメッセージは何だったか。

ニヒリズムを象徴するニーチェ哲学を想起させるシーンが随所に織り込められているようにも思う。無秩序な“ならず者”たちの欲望や焼酎を求めてきた隣人の自慢話に対して、「くだらん!」と一言で追い払う父。聖書を読む娘。狂風がおさまっても火種が消えた夜明けの朝食がとても印象的だ。生のままのジャガイモのお皿を前にして父が云う。「食え」と娘に云う。そして、ジャガイモを一口かじって「食わねばならん」と云う象徴的なラストシーン。

 

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「人間の営みとは何か」この映画を観た多くの人がそのことを考えるだろう、とぼくは思う。欲望の果てにみえる〈世界の終末〉といえばそれまでだが、それでも作物を食い極貧のなかでも飢えをしのぐことはできるかもしれない。だが、3.11を経験したぼくたちは「放射能による絶滅の脅威」にさらされた。人間の手におえない放射能が欲望の果てにあると分かっていても成すすべもなく愚行を繰りかえすとなれば、この作品が示唆する〈世界の終末〉も明確に現実味をもってくると云っていい。

だから、この映画は恐ろしくぼくたちの現在を表現しているということもできるだろう。タル・ベーラ監督がこれだけ象徴的でシンプルな映像表現でニーチェ哲学に言及し、最後の映画として込めた願いもあるいはこのような構造的な問題だったのかもしれない。

61回ベルリン映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞を受賞。2012年キネマ旬報第1位。

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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