一銭橋

  • 2012.08.31 Friday
  • 21:05
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岩国の名勝・錦帯橋が架かる錦川は、河口付近に堆積した三角州で今津川と門前川に分かれ瀬戸内海へと流れていく。
その三角州の2/3を米軍岩国基地が占める。

三角州にある旭町と今津川をはさんで左岸の三笠町に架かるこの古い橋が一銭橋(旧連帆橋)だ。今は車両通行禁止となっているけれど、よく見るとなかなか風情のある恰好いい橋だ。



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橋の中央部には常夜灯と思われる跡が残っていて、幅も少し広くなっている。

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ちょうど、満潮時をむかえていたのか水位がかなり高くなっていた。

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瀬戸内海に流れる下流方面を望めば新連帆橋、遥か遠くに米軍岩国基地がみえる。

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錦帯橋の架かる上流方面を望めば新寿橋と平行してJR山陽線の鉄橋、遠くにはかすかに城山の岩国城も眺望できる。

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この一銭橋のたもと右岸(旭町側)にぼくたちがよく野菜を買いに行く「むらつか商店」がある。
地元の新鮮な野菜を格安で買うことができるとてもいい八百屋さんだ。







 

ダンサーにとって〈カラダ〉とは何か

  • 2012.08.27 Monday
  • 21:08
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『カラダという書物』(2011年、笠井叡著、りぶるどるしおる)

 
たとえばミミズやバラの花や魚の、大地や海との一体的ありよう。これは人間には不可能である。自然としての身体を持ちながら。なぜだろう・・・人間身体と生命のありようを徹底考察する。(帯より)

宇宙の感覚器官としての人間の身体を問う『カラダという書物』(笠井叡著)を大変おもしろく拝読した。
特に第3章では、7年前に周東パストラルホールでぼくたちが企画した「キッズパワープロジェクト2005大人の子ども、子どもの大人」のコンセプトと重なっていてとても興味深い印象を受けることができた。
ルドルフ・シュタイナーの人智学、とりわけオイリュトミー研究の成果なのか、ぼくらが影響を受けた実存主義の現われなのか良くわからないけれど、同じ波長を感じておもしろかった。


笠井叡
1943年生まれ、舞踏家。60年代に若くして土方巽・大野一雄に親炙し、多くのソロ舞踏公演を行なう。天使館を主宰、後にドイツ留学してシュタイナーの人智学・オイリュトミーを研究。世界各地で公演・振付を続ける。著書に『天使論』『神々の黄昏』『精霊舞踏』、訳書『霊・魂・体』など。

原田文明の現況2012展

  • 2012.08.25 Saturday
  • 16:40
原田文明の現況2012展

2012年10月24日wed-10月28日sun
10:00-18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


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日本のシュールリアリズムの拠点といわれた美術文化協会に所属しシュールリアリズム(超現実主義)の絵画から出発した後、ぼくは197781年にかけて「荒れた大地」、「青の色面」、「白の壁面」、あるいは「ステンレスの金属板」などで構成する断片提示(モンタージュ)シリーズを発表しています。今になって思えば、それはすでに絵画制作とは異なる独自の思考に基づく営為を意図し、私は絵画を描きながら平面上のインスタレーションともいうべき世界を意識していたのかもしれません。
それ以後、制作における私の関心事は「行為」と「物質」と「場所性」へと向かい、空間造形(インスタレーション)の発表とともに絵画表現の可能性を模索してきました。それは抽象や具象というこれまでの概念とは異なる新しい絵画の方向性を求めるものでした。つまり、絵画を成立させる重要な要素として物質性を重視することで、より直接的な表現とイリュージョンの可能性を探求する作業だったともいえます。
そういう表現への欲求から、1989年に岩国市徴古館で発表した「木調への眼差し」という一連の作品を制作しました。その後、絵画における物質性への追求は、木を削り、記号や描かれたドローイングの線、貼り付けられた金属、モルタルなどが錯綜するミクストメディアの作品へと発展してきました。この一連の作品を私は「具体絵画」と名づけています。
このように「具体絵画」はイリュージョンを否定するものではありませんが、描かれたものとは異なる具体的な物質性を絵画の極めて重要な構成要素とする独特な考え方に基づいているのです。新作ドローイングインスタレーションは、これらの絵画制作の過程で必然とも偶然ともいえる結果として発見されました。
本展は原田文明の現況2012として、1990年代のはじめ頃から全国各地の美術コンクール等々に出品した作品を含む具体絵画の断面を示す絵画とドローイングとインスタレーションによる最新作を中心に構成するものです。

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ホームページ・WEBサイト  

http://bummei-harada.jugem.jp/?eid=1590

http://www.facebook.com/bummei.harada

http://www.bummei-harada.com

      

ダンスワークショップ

  • 2012.08.22 Wednesday
  • 14:07
10月2日(火)19時からの本公演『マドモアゼル・シネマ2012旅するダンス東京タンゴ秋』の関連事業として、フォーラム2012〈岩国〉実行委員会では地域の人たちとともにマドモアゼル・シネマによるダンスのワークショップを開催します。

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日時/9月30日(日)
時間/19:00〜21:00
場所/錦帯橋、吉香公園内のサンライフ岩国体育館(岩国ICから車で10分)
参加料/1000円


東京のコンテンポラリーダンスの拠点といわれるセッションハウス。その劇場付きカンパニーのマドモアゼル・シネマを率いる伊藤直子とダンサーによる5年ぶりワークショップ決定!
「マド・メソッド」なるマドモアゼル・シネマのストレッチ・トレーニングと「東京タンゴ」の1シーンを採り上げるレパートリーワークショップです。
ダンス経験者のみならず、初心者、学生さん・・・興味ある方はどうぞ参加してくださいね。


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5年前のワークショップ、この時は演劇部の高校生や地元のダンス教室の生徒さんが参加して楽しかった。

 

Forum 2012〈岩国〉マドモアゼル・シネマ 旅するダンス「東京タンゴ秋」

  • 2012.08.21 Tuesday
  • 16:39
今秋10月2日(火)の午後7時(6時半開場、7時開演)、シンフォニア岩国多目的ホールにおいて、マドモアゼル・シネマを東京からお招きして『旅するダンス2012東京タンゴ秋』というコンテンポラリーダンスの岩国公演を開催します。

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本公演はこれまで山口県東部地域において芸術文化の振興発展、活力と潤いのある地域づくりを考える文化的なムーブメント(運動)の実現をめざす、として取り組んできた10年計画(M21プロジェクト構想)の一環事業として位置づけ、「フォーラム2012〈岩国〉」として開催するものです。

今回の『東京タンゴ』は、5年前に行なわれた『不思議な場所』につづいて行なわれる2回目の岩国公演となります。

このフォーラムが現代社会の諸問題と私たちの現在を見つめ、これまでの価値観を相対的に捉えかえす眼差しとともに、豊かな想像力をもって将来の「地域」「文化」「暮らし」について考える契機ともなれば幸いです。

(フォーラム2012〈岩国〉総合ディレクター:原田文明)


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知っていると思っていたものが、いや知ってはいなかったんだと気づく瞬間、感動がおきる。女性だけで踊るマドモアゼル・シネマのダンスは、わたしの中の古い美を壊す。そして全身が新しい光で包まれるのを感じる。

強さも弱さも、美も醜も、喜びも哀しみも肉体と共にある。彼女たちの内側からあふれ出る生命の力は霊的でもあり神話的でさえある。ダンスのその一瞬その一瞬に美が宿っている。女はこんなにも美しかったのかと思う。

女性はぜったい見逃さないでほしい。そして男性にもぜひ見てほしい。

(作家:岩瀬成子)


乞うご期待!    
みなさ〜ん、ぜひ是非ご来場くださいね。








 

オール・アバウト・マイ・マザー

  • 2012.08.19 Sunday
  • 16:11

『オール・アバウト・マイ・マザー』(1998年、スペイン)

ペドロ・アルモドバル監督作品。99年度アカデミー賞、最優秀外国語映画賞受賞。


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17年前に別れた夫について息子エステバンから問われた母マヌエラ(セシリア・ロス)。それまで隠していた夫の秘密を話そうと覚悟を決め、息子の誕生日に「欲望という名の電車」という芝居を見に行く。
芝居の後、大女優ウマ・ロッホ(マリサ・パレ デス)にサインをもらおうと道路に飛び出した息子が交通事故で死亡する。

 

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息子が残した父への想いを伝えようと、マヌエラはかつて青春を過ごしたバルセロナへと旅立ち、ふとしたことからウマの付き人になる。また、妊娠した シスター・ロサ(ペネロペ・クルス)と同居をはじめる。ロサはマヌエラの元夫の子どもを妊娠していた。

赤ん坊が生まれるが、エイズに感染していたロサは赤ん坊を出産するがやがて死ぬことに。

マヌエラはゲイになった夫に再会し息子のことを話す。ロサの母親は赤ん坊がエイズ感染していることを恐れる。数年後、マヌエラはエイズウイルスを克服したその子エステバンを連れ、またバルセロナへやってくる。


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偶然にもテレビで観た映画だが、最愛の息子の死に向き合い、心に深い傷をもつ女性たちが手をさしのべて生きていく姿が印象的で、シリアスでもありユーモラスでもある映画の面白さを重層的に織り込んだとてもいい作品だと思った。





 

舎友会・保護者会

  • 2012.08.18 Saturday
  • 11:09
学生たちが帰省する頃合いをみて12日(日)は岩陽学舎の岩国舎友会・保護者会が開かれた。毎年、東京と地元岩国で行なわれているものだが、昨年は息子がフランスへ行っていたので欠席した。


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というわけで、一年ぶりに出席してみると多くの新入生が入舎していて驚いた。2年生1年生はまったく知らないしそれも総勢30数名いるという。

岩陽学舎というのは旧岩国藩主吉川経幹公が東京で学ぶ男子学生を支援するために創設した学生寮みたいなものだ。
この度は、経幹公のことについて11歳で朝倉使節団に同行し、後にはアメリカに渡って学んだ偉人と聞いて驚いた。


この春、大学生となって入舎したばかりの学生二人が司会を進行する例年通りのスタイルで、現役学舎生や舎友OB、理事会役員、保護者が集う楽しい宴会となった。

までいの力

  • 2012.08.17 Friday
  • 10:45
「までい」とは古くから東北地方に伝わる方言で「真手」という古語がその語源という。手間ひま惜しまず、丁寧に、心をこめて、といった意味合いで使われるのだという。だから、「までいに飯を食わねえどバチあだっと」「子どものしつけはまでいにやれよ」などとお年寄りは言う。飯館村では以来「までい」を合言葉に、地に足をつけて村づくりに取り組んできた。

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合併することで大きな行政に依存するのではなく、村人ひとり一人が本気になってアイディアを出し合い自立を考えてきたという。暮らしに“質の高さ”を求め、「クオリティライフいいだて」として総合振興計画をすすめてきたのだ。

それは、「基本構想」「基本計画」「地域別計画」の3つの柱から成り立っている。
村民が作った実施計画を、村民の代表がチェックする。村の職員はそれがスムーズにすすめられるようにサポートにまわる。

その結果、消えかかっていた伝統芸能や地域に伝わる文化の継承、創作太鼓などの新しい文化の創出、リサイクルや環境美化の計画を立てた地区もあれば、手作りで憩いの公園を整備した地区。直売所や炭焼き小屋を造った地区もある。自分たちで決めたそれぞれの計画に向かって若者からお年寄りまで協力しながら手作業で取り組んだことで、村民同士の絆を深め自分たちの住む地域の良さを再発見することに結びついたという。


ないものねだりをするのではなく、本当に大切な自分の足もとにあるものをもう一度見つめなおした“質の高い暮らし”を、村全体でめざす土台づくりができていったのだ。
そんな時、「スローライフ」という考え方に出合った。クオリティライフで、独自の村おこしに取り組んでいた飯館村だが、そのスタイルにさらなる磨きをかけるタイミングだったという。

だが、その計画に村民の反応は鈍かった。スローという言葉にいいイメージがもてなかったのだ。だらだらしているとか、のんびりしていて危機感がないとか、マイナスイメージがあった。「そうでなくても役場の仕事はスローなのに、もっと遅くするとはどういうことだ!」と猛反対になった。効率を求め性急に結果を求めるのではなく、「スロー」だから見える大切なことがあることをどうすれば理解してもらえるか。


これまで飯館村はどんなに時間がかかろうと村民が自主的に村づくりに参画する土台を作ってきたし、量やスピードではないクオリティを求める生活スタイルの意識づけをしてきた。それはまさしく「スローライフ」だった。村の人がより理解できる言葉はないか。

そんな時、一人の村民がつぶやいた。「スローライフって『までい』ってごどなんじゃねーべか?」
咽に引っかかっていた何かがストンと落ちたようだった。言いたかったことの全てがその一言が言いくるめていた。
「までい」のひらめきに、その場に居合わせたメンバーは満場一致。村が描いていたスローな村づくりはまさに「までいな村づくり」「までいライフ」に置きかえられたのだった。


このようにして飯館村は輝かしいスローライフスタイルの村づくりに成功した。紛れもなく飯館村のあり方はこの国がめざすべき一つの姿を示したと言っていい、ぼくはそう思う。


ところが、この本の刊行直前に3.11の地震が起きた。

天声人語(朝日新聞2011年5月5日)より
「ここには2011年3月11日午後2時46分以前の美しい飯館村の姿があります」。中表紙に急きょ刷られた一文に怒りと悲しみがこもる。
地に足をつけて村づくりに励んできた
人々が地を追われる無念を思う。とことん考えることでせめて悲痛に寄り添いたい。原発の受益者は都会人なのを忘れることなく。

繋がっていれば、決して負けない。
この本の販売収益は飯館村復興のために役立てられることになっている。
飯館村公式ホームページ
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/






 

河上肇と福田徳三

  • 2012.08.02 Thursday
  • 10:22
連日、オリンピックロンドン大会で活躍する日本人選手のようすが伝えられ湧き上がる中、チャンネルをかえると偶然にもNHKのおもしろい番組「人間復興の経済学をめざして−河上肇と福田徳三−」に遭遇した。

岩国市出身の経済学者・河上肇と同時代に生きたもう一人の経済学者・福田徳三。二人はともにヨーロッパの経済学を学び、それをそのまま紹介するのではなく、日本人として捉え返し独自の理論を打ち立てようと互いに刺激しあいながら自らの立場を主張した。

河上は、ヨーロッパ留学で資本主義社会の矛盾を目の当たりにし『貧乏物語』を発表。
同書が批判を受けると、 マルクス主義経済学の研究を続け、資本主義経済の枠組みそのものの変革を目指すようになる。河上の思想は日本のみならず、毛沢東、周恩来ら中国にも影響を与えることに・・・。


一方、福田はドイツ留学を契機として、生存権、労働権を主張し社会政策への強い関心を示した。
とりわけ、関東大震災後の復興のあり方について後藤新平らによる政府主導の復興事業を批判、被災地を歩いて社会調査を行い「復興計画」を被災者の立場にたって構想した。また、晩年に厚生経済学を研究し今日の福祉国家構想の先駆けとなった。



内橋克人(経済評論家)


100年前、両者は資本主義社会の矛盾を突き、人民の社会的不平等をいかにして乗り越えるか、と格闘していた。
第二次大戦後、冷戦構造の崩壊とともに再びワイルドな資本主義経済に逆行したように、市場原理主義を背景にしてグローバル経済に突入した今日的状況の中で、二人がともに主張してきたことが再び輝きはじめているという。

番組では内橋克人(経済評論家)と八木紀一郎(摂南大学経済学部長)両氏の解説で、3.11の震災復興をも視野に入れながら河上と福田の思想を顕彰しその業績を紹介する。


貧富や地域格差の問題だけでなく、現代社会が直面している経済活動のあり方、とりわけ3.11の震災後の復興と福一原発事故の収束が急務とされる中、この両者のまなざしには大いなる感動と示唆を受けとることができる。




 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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