奪われた野にも春は来るか

  • 2012.07.30 Monday
  • 20:25
(略)・・・・まさしく「不在の表象」である。何かが決定的に損なわれた後の風景がそこにある。ここにいた人たちに何が起こったのだろう?その人たちはどこに行ったのだろう?・・・・鄭周河先生の作品と李相和の詩に導かれて、私たちは、その人たちひとりひとりの痛みと苦悩に想像を馳せてみよう。
大地震と原発事故からやがて一年。時は確実に巡り再び春は来る。だが、春は奪われたのだ。
除京植(作家・東京経済大学教授)



写真集「奪われた野にも春は来るか」(写真家・鄭周河)


SHの伊藤さんから素晴らしい写真集を贈っていただいた。韓国の写真家鄭周河さんが原発事故後のフクシマを撮ったものだ。韓洪九(聖光会大学教授・平和博物館常任理事)の計らいで現地をともに取材し撮影したものらしい。


奪われた野、朝鮮とフクシマ。李相和がこの詩を書いたのは1926年、韓国が日本の植民地へと転落したときであった。その時、その瞬間、多くの人々は日本帝国主義やその下位同盟者である地主たちに土地を奪われ、ある人は満州に、ある人は日本へ渡り、ある人は山奥へと入って火田民になり、ある人は都市の土幕民になり、またある人は自分の土地から離れることが出来ず小作人になり、細々と暮らさねばならなかった。そのあらゆる人の気持ちを代表する詩がまさに『奪われた野にも春は来るのか』であった。

日本帝国主義に祖国を奪われた朝鮮人の気持ちを詠ったこの詩を、自国の
政府と企業が立てた原発のために土地を奪われた日本人たちに聞かせることにはためらいがあったという。誤解を招くことはないか。植民地支配とフクシマを同列にしていいのか・・・・と。


広島の平和公園にある「二度と過ちを繰り返さない」との奇妙な碑を前にしても複雑な思いがある。ここで、「過ち」とは何を指す言葉だろうか?アメリカが原爆を投下したこと?日本が戦争を引き起こしたこと?そうでなければ戦争で負けたことを「過ち」と言っているのか?
広島は元々軍事都市だった。その歴史を知る韓国人の中には、軍事都市・広島は消え、被爆都市広島、平和都市広島だけが残ったことを不快に思う人々もいる。

一方で、韓国型原発を売りさばくちょうどいい機会が巡ってきたとばかりに、世界からおよそ50カ国の代表が集まる核安保サミットをソウルで開催しようとする李明博政権を痛烈に批判している。


原発事故の惨状や大津波被害の悲惨さを記録した報道写真は数多くあるけれど、惨状を直接訴えるのではなくフクシマの自然の美しさや日常の風景を撮ることによって、静かに冷静にそして奥深く現状に向き合うことから何かを探そうとする素晴らしい写真集だった。

それは、両国が経験した互いの苦悩からその痛みを知り連帯を求める可能性を示唆しているようでもある。 


 

きょうもあーつかったーい

  • 2012.07.28 Saturday
  • 17:23
子どもたちの教室となっているいつもの場所(サンライフ岩国)が、明日の選挙の投票会場となっていて使用できないので、今日はこの暑さの中スケッチスケッチに出かけることに・・・

しかも、集合時間になると急に雨が降ってきてしばし思案。
予定していた楠木を描く場所では少し遠すぎるし雨宿りできるかどうかはっきりしないこともあって、急きょ錦帯橋の一つ上流にある錦城橋の下で描くことに予定変更することになった。
ここなら近くて駐車場もあり移動しやすかったのだ。暑いし判断が難しいところだったが、滞りなくスケッチは進み後はご覧のとおり水遊び。



120728_1552~01.jpg
120728_1552~03.jpg
120728_1553~02.jpg
120728_1553~01.jpg


束の間の水遊びは気持ちいいし気分転換に最高。いつの間にかズボンが・・・
何でもないこういう時間、けっこう大切なんだよなーっ、といつも思う。
絵の教室にきたのに思いがけない水遊び。
この思いがけないところがいいのかなぁー、こういうときの子どもは本当にいい顔になっている。




 

専門家と称する人々

  • 2012.07.27 Friday
  • 20:30
水俣病研究の第一人者で今は亡き原田正純さんは,「専門家とは何か」ということをおっしゃっていた。それまでの医学では考えられなかった「胎児性水俣病」の発見、それを云いあてたのは他でもない水俣で出産したお母さんたちだったという。


TKY201003080104.jpg


医学の専門家は胎盤を通して水俣病の原因となる有機水銀が胎児に伝わることはありえないと思っていた。そこに盲点があった。まさしく目からうろこだったと云う。毎日、海へ出て漁をしている漁師さんたちも海の環境や生態系を知る専門家だと・・・。
また、脳梗塞などで半身不随となっている人でも水俣病になって人権が侵害されるケースはある、と指摘され、教えてくれたのも漁師さんからだったとも・・・。


原発の専門家と称する人やオスプレイが安全だという専門家にも盲点があるし、保身にはしり経済活動を最優先するあまり判断を誤まる組織的な問題も多々ある。教育委員会と称する専門家にも同じことが云えるだろう。

最近になってこの専門家という類の組織の健全性とその機能のあり方が気になって仕方がない。

市場経済は人々の道徳観を壊すという人もいるけれど、おそらくこの道徳や倫理観に重なる問題ということもできそうだ。
そういえば、ひと頃、企業倫理ということが問題となったこともあったなあーっ。


経済活動そのものが究極的な目的ではないことは分かっているし、資本主義も一つの方法論にすぎないと思っているはずなのに、気がつけば同じ土俵で争っている。

しかし、競争することを否定しその場から逃れることは、それ自体が究極の目的でない限り必ずしも敗北を意味しない。生きるための新しい価値を発見すればいいだけの話である。ぼくはそう思っている。

新しい時代に生きることの価値の転換が求められているのだと感じている。



 

リニューアルされた山口県立美術館

  • 2012.07.25 Wednesday
  • 16:59

昨日は久しぶりに山口県立美術館へ・・・
リニューアルされた美術館は、ミュージアムショップが充実していてとても開放的な雰囲気になっていた。

ぼくたちは楽しみにしていロベール・ドアノーをみて、さらに秋吉台国際芸術村で開催中の柴川敏之「2000年後の化石絵巻」展をみることに・・・


前日(23日)はオスプレイの配備反対デモに明け暮れたにもかかわらず、結構な距離を走行した。
ドアノーの作品にふれるのははじめてなのにどこか懐かしい気がした。どういうことなのかと思えば、堀江敏幸のいくつかの著作を読んでイメージされていたことと、ほぼ同時代にあるドアノーのまなざしが戦後の日本の復興劇と重なってみえたからかもしれない。
ポートレート作品ではドアノーが世に知られるきっかけとなった詩人サンドラール、いつも煙草をくわえているプレヴェール、ピカソや、コクトー、ジャコメッティーなどが印象的だった。

120724_1544~02.jpg誰もいない芸術村

120724_1546~01.jpg   空調もなく暑い

120724_1548~01.jpg120724_1548~02.jpg誰もいない展覧会場

120724_1547~01.jpg

子どもたちと取り組んだワークショップ作品


秋吉台国際芸術村(磯崎新設計)では柴川さんの作品というよりも企画運営のあり方についていろいろな問題が気になった。ぼくたちは誰一人いないホールやギャラリーの作品を貸切で拝見した。空調も効いていなかったし室内も暑かった。

それは、一昨年のbummei HARADA 展(岩国市周東パストラルホール)で痛感した切実な問題とも重なっている。

オスプレイ反対!

  • 2012.07.23 Monday
  • 18:50
「オスプレイ反対・・・」
「オスプレイの配備反対・・・」
「No! osprey・・・」「Osprey go back・・・」
「オスプレイは岩国の空を飛ぶな・・・」「沖縄の空も飛ぶな・・・」
「オスプレイなんかいらない・・・」「オスプレイはいらない・・・」
「オスプレイはアメリカへ帰れ・・・」「今すぐアメリカへ帰れ・・・」
「危険なオスプレイはいらない・・・」
「オスプレイは落ちる・・・」「絶対に落ちる・・・」
「オスプレイはどこにも落ちる・・・」「原発にも落ちる・・・」
おいおいおい、冗談じゃないぞ〜っ。

米軍最新型輸送機オスプレイが23日早朝、岩国基地へ搬入された。この機種は飛行機とヘリコプターを合体させたもので非常に不安定、各地で墜落事故を起こしていてその安全性は早くから専門家からも指摘されている。


しかも、予定では岩国基地へ陸揚げされた後、組み立てられ試験飛行を実施することで安全性を証明し沖縄普天間基地へ配備しようというものだ。
その後、日本国中を低空飛行する訓練で米海兵隊の操縦技術を上げようというものなのだ。
つまり、この地震国で原発列島となっている日本で各地を飛び回り危険な飛行を繰りかえすものでこの国を実験台としているのだ。

しかもこの計画を一方的にアメリカから通告され、野田内閣は無策のまま受け入れようとしている。日米安保条約の取り決めだから仕方がない、意見する立場にないと全くの弱腰をつらぬいているというか、まったくもって反対する意志がない。

原発再稼動と同じく安全性を得意のごまかしで固めて地元民に説明し理解を求めようというのだからバカとしか云いようがない。
あちこちで墜落しているオスプレイが日本中を低空飛行することにほとんどの国民が不安に思い反対していることを説明し理解を求める相手はアメリカだということさえ分かっていないようなのだ。

これではあまりにも情けない。何処の国の総理か分かったものではない。




23日の早朝から抗議行動する市民と全国から駆けつけた仲間たち


基地岸壁に横付けされたオスプレイを積み込んだ巨大輸送船グリーン・リッジ



「オスプレイ配備反対」「オスプレイはアメリカに帰れ」「no! osprey.」と連呼する市民



「オスプレイは岩国の空を飛ぶな」「沖縄の空も飛ぶな」「osprey go back.」と叫ぶ市民



九州、沖縄、佐世保、横須賀、奈良、広島など全国各地からも集まった多くの市民



ほとんどのマスコミの取材があり全国に生中継された


ぼくは9時から仕事があったので8時半にひきあげた。

午後1時からは「人の輪作戦」デモ行進があったので再度デモ参加。デモに参加する人は更にさらに膨れあがり総勢1000人をこえる勢いに見えた。



 

強烈な夏日

  • 2012.07.18 Wednesday
  • 17:19
DSC00860.jpg

WOW!
強烈な夏日がやってきた。
九州に大きな水害をもたらした長雨で錦川も増水している。
けど、昨日は梅雨明けとなるや否やいきなりの猛暑到来・・・
こりゃ、たまらんヮ・・・



 

キヨさんが描くカッパのお面

  • 2012.07.13 Friday
  • 20:24


山口県のアンリ・ルソーと云われている高林キヨ(86歳)画伯が、今描いているのはカッパのお面。
この間は“オカメ”と“ヒョットコ”の
“オカメ”のお面を描きました。
このカッパは二作目。
巨匠高林キヨ、ますます元気です。

よくみて描こう

  • 2012.07.11 Wednesday
  • 18:49
この間は「よくみて描こう」という課題で子どもたちと絵を描いた。
前回は絵の具のお話しと使い方について、一通り説明して「点」と「線」の絵を描いた。

そして、万物の根源としての“点”と“線”について、色(色彩論)のお話や“おもしろい絵”と“上手にできている絵”を比べて表現についてお話した。


その後、タイミングよくヒッグス博士の「ヒッグス粒子」が発見されたと話題のニュースがあった。

120710_1428~01.jpg

120710_1429~01.jpg

目の前においてあるものをよくみて描こうということだ。
簡単なようで難しい。
描いているうちにすぐに忘れる。
忘れたら「どうなっていたいたかな?」とまたみる。
そして、また描く。
このくりかえし。

4歳から5歳くらいの子どもたちはこんな絵になった。


120710_1427~02.jpg

最後になった子はかなりデブのペットボトルに・・・
これは400円くらいかな、とバカをいう。


120710_1427~01.jpg

はやくできた子は絵本をみてもいいことにした。

難しかったなあ・・・
生まれたときから目の見えない子もいる、手の動かない子もいる。
だけど、みんなの目は良く見えるし自由に手もうごく。
目をつむって描くのと、よくみて描くのはどっちがむずかしいのかなあ、などとバカをいう。
よくみて描くほうがいいに決まっているのにむずかしい。
どうして
・・・
それは、はじめて描いたから!

はじめから泳げる子がいないように、はじめて絵を描いてできる子はいない、ということに・・・
少しヘンになっても最後まで本気で描こう。
何度でも練習しよう、ということになって子どもたちはまた元気になった。


 

現在を明るみにする“なずな”

  • 2012.07.09 Monday
  • 13:20
DSC00786.jpg
『なずな』(堀江敏幸著、集英社、2011年)


うーん、素晴らしい。とてもいい小説だと思いました。
この爽やかで充実した読後感についてどのように説明すればいいのだろう。あらためて堀江敏幸という作家の傑出した才能と可能性に感服するばかりである。だが、ぼくは新しい育児小説などとは云いたくない。

生後3ヶ月の実弟(亮二)の子ども(なずな)の面倒をみるという設定からすると、いわゆる世にいう“ストレンジャー物語”とカテゴライズされるものかもしれないけれど、相手が生後間もない赤ちゃんとなればようすは違ってくる。どういうわけか、これまでの著者の作品とはやや趣のちがった印象を与えられるのは何故だろう。そういう意味では『なずな』は、堀江敏幸の新境地といえる長編小説と云っていいのかもしれない。
だが、身のまわりの風景や市井の人々、人間関係そのものをいろいろなエピソードを織り交ぜながら淡々と描ききる独特の洗練された文体を堀江スタイルと考えれば、なるほど短編集『雪沼とその周辺』(新潮社)あたりにも同質のものが感じられる気もする。ぼくはそう思う。
おもしろいのは、『回送電車』(中公文庫)のまえがきのように挿入された「回送電車主義宣言」にある、堀江文学の理想とする“居候としての身分”そのダンディズム云々とは、あきらかに距離を感じさせるものでありながらも傑出した作品となっていることだろう。これは驚嘆に値する。

まど・みちおの「ぼくがここに」が象徴的に引用されているけれど、子育て経験のある人なら既にそのことを意識の底に仕舞い込んでいるか忘れかけている人でも、かけがえのないこととして現在を照らしだすだろう。それだけの力をもつ作品である。

確かに、苦労して育てたという人もあるけれど、ぼくはこの小説に描かれているように、それにもまして育てさせてもらったという感じがあるし楽しかったとも云える。あるいはまた、子どもに鍛えられたようでもあり、「なずな」に人として育てられたという記憶がよみがえってくる。
これから子育てする人にも、また現在を照らしだす必見の一冊としてお勧めします。


 




 

集中豪雨の巻

  • 2012.07.07 Saturday
  • 10:01
DSC00857.jpg

昨日の集中豪雨は凄かったなあ・・・、雷も凄かった。
アトリエの電気もパソコンもエアコンもつけたまま食事に帰っていたのだが大雨に・・・
これじゃ、だれも来ないだろうと思いながら、しばらく待っていたのだが「是じゃ、傘も役に立たないだろう」と決死の覚悟で合羽を着てガレージに出た。

稲光の中、車を運転する。建設中の国立医療センター脇を抜けることにした。大きなクレーンに落雷しないかと大いに心配しながら通り抜けて何とかアトリエに到着すると思ったとおり道路は水没していた。

アトリエに到着すると手前にあるお寺の駐車場止めて、深さ数十センチの川(?)を渡って玄関をくぐって中に入った。案の定、誰も来てはいなかった。迷うことなく、メールで連絡することに・・・。
「状況を説明して今日はお休み」


自宅の方も心配だったので、電気、パソコン、エアコンの電源を消してすぐに引き返すことにした。家に着くころにはすでに雨は小降りになっていたが雷はなり続けていた。


DSC00856.jpg
DSC00855.jpg

翌朝のアトリエ付近にはこのようなものが流れ着いていた。

 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2012 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM