2011.11.27のこと

  • 2011.11.30 Wednesday
  • 20:30
この間の日曜日は、けっこう朝から忙しかったなあ・・・。
朝は自治会の清掃活動で一時間くらい汗を流したし、その後わが家の庭木の剪定。前々から気になっていた銀木犀の剪定をしたのだった。

DSC00511.jpgDSC00527.jpg

午後からは、第38回岩国地区吟剣詩舞道連盟大会「吟と歌と舞の祭典」という仰々しい催しへはじめていってみた。それというのもわが教室の研究生である徳川さんが出演するというので案内されていたからだ。徳川さんは詩吟の名手なのだ。丁度、ぼくの知っている漢詩を詠んでいるのにビックリ・・・
〜千山 鳥飛ぶこと絶え 萬徑 人蹤滅す〜  とはじまったときは驚いた。

観客は少なかったけれど、出演者とその知り合いが来ておられて出演が終わると多くは退席して引きあげて帰るのだ。


それでもこのような“ハレ舞台”はそう度々できるものではない。つまり、日常とはかけ離れた、あるいは日常を相対化する祝祭的な活動として受けとれるような気がした。
そのようなことを考えながら、ぼくはけっこう長時間かけて鑑賞していた。それはぼくたちの日常に活力を与え、精神をリフレッシュする重要な生活の一部とも考えられたからである。

思えば、3.11で被災した人たちが日常を取りもどそうとして、過酷な状況の中でも祭りや花火大会に取り組んだことと関連しているのではないか。
さらに、秋の収穫祭や神楽といった非日常的な取り組みが生活に活力を取りもどす営為そのものと考えれば、それは限りなくアートというものに近いのではないか。

形式化する前の原初的な行いやかかわりの行動が最も純粋なありようと力を示しているとしても、形式を踏んでいくことでその伝統を生活の中に位置づけ機能させることは活力を育む大きな知恵ともいえるだろう。

最近、斎藤徹さんらの即興ライブでもそのようなことを感じた。つまり、それは音楽という形式にいたる前の原初的な行いやかかわり方こそ最高に純粋なものとして魅力を感じるものがあるからにほかならない。
里のアートプロジェクトを意識しながら、ぼくはそのようなことを考えていた。

DSC00533.jpgDSC00535.jpg

夕方からはぼくがかかわっている保育園の祝賀会へ。新しい保育園と遊具等々を取り入れた周辺整備の完成披露パーティーだった。

DSC00536.jpg挨拶する理事長

最後までにぎやかな宴となって、パーティーは大盛会のうちにその幕をおろしたのだった。





木版画と彫刻刀

  • 2011.11.26 Saturday
  • 19:03
今日の児童コースの課題は彫刻刀で木版画の版を彫る作業だった。
先週の紙板版画の版はできている。
ひき続き、今度は彫刻刀で板を彫るのだ。木版をつくってから一緒に刷り上げることにしたのだ。
刃物を使うので少し緊張がある。
あらかじめ、ある程度の怪我を想定してバンドエイドも用意しておく。


「少しずつ彫れよ」
「ブレーキをかけながら彫るんだぞ!」と注意することに。

「刃先に手を置くなよ」「難しいところは手伝うから後まわしにするように・・・」
「本気で集中してやれ!」など
と声をかけながら彫りすすめていく。


んっ!血が・・・

111126_1600~01.jpg111126_1600~02.jpg

「先生!トモやんがやったみたい」「トモのやつーっ」
「トモ、やったのか〜っ」

「うっ・・・」

「水であらえ、水道であらえ!」「しょうべん、かけてもいいぞ」

「えーっ!」

「どこをやった?見せてみろ」
「こっちか、おおおおほほほっ・・・これなら大丈夫」
ティッシュをグルグルにとって、ギュッと一方の手で握る。
「血が止まるからギュッと握っておけよ」
新しいティッシュにやり変えて、さらにぎゅっ・・・

「止まったか!」

「・・・分からん」

「見てみろよ」


111126_1601~01.jpg手の後ろに亡霊が・・・

うんこ小僧の手。



にあんちゃん

  • 2011.11.26 Saturday
  • 13:31



この間、テレビで偶然みかけた今村昌平監督作品『にあんちゃん』。
昭和28年、筑豊の“ぼた山”を舞台にして展開する在日朝鮮人2世の話だったように思う。
ぼくはどういうわけか不思議な懐かしさを覚えた。
身なりといい、風景や生活全般における感覚とでも言えばいいのか、『泥の河』と等しく安心できる懐かしさがあったということかもしれない。
だが、それはつい昨日のようでもあり、ほんの一昔前のことでもある。



 

2011.11.24

  • 2011.11.25 Friday
  • 16:59
昨日は久しぶりに広島へ。
友人の朝井章夫展をみることと、ポランスキー監督作品『ゴーストライター』をみることが主な目的だった。
循環と称する朝井くんの個展はこれまでぼくが知るところの彼の作品とは大きくちがっていて、ややコンセプチュアルな趣の強い作品となっていた。以前から在るギャラリーHAPのスペースを数人でルームシェアしてギャラリーZEROとして企画された展覧会となっていた。
とはいえ、スパース代金は別扱いとなっているものらしい。



111124_1258~02.jpg

会場はすっきりしていて気持ちのいい作品となっていた。

映画についてはすでに記しているのでここでは省略するが、ロマン・ポランスキーという監督、どちらかといえば政治色の強い作品が印象的だが、実に映画表現をわきまえた素晴らしい監督であることは間違いなさそうだ。スリル満点のこの映画の音楽も素晴らしいものだった。

111124_1819~01.jpg

街はすでにクリスマス一色。イルミネーションも映画のようにひかり輝いていた。

ゴーストライター

  • 2011.11.25 Friday
  • 11:43
photoimg1.jpg


『戦場のピアニスト』でアカデミー賞を受賞した名匠ロマ
ン・ポランスキー監督の作品『ゴーストライター』(広島サロンシネマ上映中)をみた。フランス、イギリス、ドイツ合作となるこの映画は、緊張感のある切れ味のいいサスペンスタッチのエンターテイメント作品だった。

原作はイギリスのベストセラー作家ロバート・ハリスによ
る同名小説「ゴーストライター」でこれを映画化したものらしい。

『戦場のピアニスト』とはまったく趣のちがう作品であり
ながら、さすがに映画を心得た素晴らしい作品となっている。ベルリン国際映画祭銀熊賞をはじめヨーロッパ映画祭の各賞を総なめにしたことも肯けるというものだ。

内容は元英国首相アダム・ラングの自叙伝執筆を依頼され
たゴーストライターが取材を通してラングの不可解な過去を知っていく展開。前任のゴーストライターの不可解な死、米国CIAとラング夫妻の過去。国家をゆすがす巨大な謎の渦に巻き込まれていくという感じ。

考えてみれば、日本のエネルギー政策、市場原理主義に基
づくグローバリゼーションやTPP、さらに国防に関する集団的自衛の問題等々、この映画の音楽と合わせてそのイメージを重ねてみるとゾーッとする気分だ。

もしかして…
 

本当にますますゾーッとしてくるというものである。

photoimg2.jpg『ゴーストライター』のラストシーン





最近のマルちゃんこと志士丸

  • 2011.11.21 Monday
  • 10:13
マルちゃん、耳がひっくりかえっていますよ。

111120_1509~02.jpg


小川幸造展

  • 2011.11.19 Saturday
  • 11:39
小川幸造展がシンフォニア岩国ではじまっている(明日20日まで)



何とも忙しい展覧会となっている。
それもそのはず、急に湧いて出てきたような話で準備も何もあったものではない、とは主催者の弁。
だが、作品そのものは力のこもった具象彫刻で素晴らしいものばかりだ。


この日は午後1時半から元芸大学長の澄川喜一氏の講演が予定されているとのこと。それもその場ではじめて知った話である。

小川さんは岩国工業高校でぼくの2年後輩になるらしい。今は東京造形芸大の教授。会場は同級生や高校の恩師をはじめ、多くの観衆でにぎわっていた。




111120_1202~01.jpg



八雲が殺した

  • 2011.11.16 Wednesday
  • 21:14
111116_2049~01.jpg

八雲とは云わずとも知れた小泉八雲その人のこと。
来月3日(土)、岩国市中央図書館での講演が決まっている下関市在住の小説家・赤江瀑氏の著作である。
「八雲が殺した」「葡萄果の藍暴き昼」「象の夜」「破魔弓と黒帝」「ジュラ妃の波」「艶刀記」「春撃ちて」「フロリダの鰭」の8編からなる短編集で文藝春秋から出版されている。
冒頭の「八雲が殺した」が本著の表題となっている。
これがおもしろい。

ミステリアスでスリリングで、不気味さがあっておもしろい。
これまでこういう作品をあまり読んでいなかったこともあり、とても新鮮な気がしている。



置き絵と缶ポックリ

  • 2011.11.12 Saturday
  • 18:12
無題.jpg どうして枯葉が・・・
111110_1428~01.jpg トリミングをする保育士たち

この間は錦町のひろせ保育園に出かけた。落ち葉やいろいろなものを組み合わせてヘンテコなものをつくってデジカメで撮ったら出来上がり。撮影したら次のものに変身させるのだ。モノが絵本などに入って合体してもいいのだ。
ハサミやノリは使わない。発想を楽しむのだ。意外なものをつくって驚かせるのだ。「それって、あり?」とか「わたしも、それつくろう〜と」と言うのができたら最高!

111110_1407~02.jpgちょっと、待って〜
111110_1350~02.jpg油断しないでくださいよ

お昼からは缶ポックリをつくって遊んだ。金づちと釘を使って穴を開ける作業がある。缶きりなどを使うと簡単にできるが集中力をつけるのだ。本気でやらないと自分の手を打つ。「よそ見などしていたら」自分の手を打つ。この日は保育参観と職場体験で三人の高校生も一緒。
怪我をさせまいとして手伝いすぎてはいけない。怪我はしないから良く見てやることが大事、と指示する。上手く穴があいたら子どもは大きな自信をつけるし金づちを使うことが好きになる。信じられないけどそうなるから不思議なのである。

あとは上手になるまで外で遊ぶ。紐を引いて歩くのがコツ。引けば缶が足にくっつくから歩きやすくなるのだ。歩けるようになった人は後ろ歩きや横歩きもやってみる。競争もする。コツをつかんだ人はスキップもできるようになる。

この日は天気でよかったで〜す。



『踊れ、と彼が言ったような。』

  • 2011.11.09 Wednesday
  • 18:14
『踊れ、と彼が言ったような。』 赤江瀑講演会があります。
平成23年12月3日(土)14:00~15:30)/
岩国市中央図書館視聴覚ホール(2階)入場無料(要申込)

111104_1136~01.jpg

申し込み・問い合わせ先
岩国市中央図書館「赤江瀑講演会」係
740-0034岩国市南岩国町4-52-1 0827-31-0046


111104_1140~02.jpg

赤江瀑(あかえばく) 
作家/下関在住
「ニジンスキーの手」「禽獣の門」
「オイディプスの刃」「花夜又殺し」「海峡」
「八雲が殺した」など、著書多数。
泉鏡花賞、角川小説賞など受賞。様々な芸道・伝統工芸技術の知識の深さに裏打ちされ、美しくそして妖しく紡ぎ出される作品世界に魅了された熱烈なファンが多い。





calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< November 2011 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM