依存から自立へ

  • 2011.10.31 Monday
  • 17:44

原発か脱原発か、この国のエネルギー問題について国民的議論をどのように深められるか。


社会学者の宮台真司氏は「安全か危険か」は確率論的なスペクトルであり二項図式じゃ片付かない、という。ところが、「絶対安全」を主張する原子力村と、「絶対危険」を主張するプロ市民に分かれて、誹謗中傷の嵐がくり返されるばかりだ。どの程度安全で、どの程度危険か、それゆえにどこに弱点があり、どんな対策が必要か、といったサブスタンシャルな(中身のある)議論ができない現実があるという。何故か。


一口で言えば、ホメオスタシス・オブ・ザ・セルフ(自己の恒常性維持)のために中身のある議論ができないのだとしている。

つまりは、[自明性への依存][認知的整合性理論的な歪曲][自己の恒常性維持のための陣営帰属と誹謗中傷]は、昔ながらの[悪い心の習慣]であり、そのせいで、事実を完全に無視した大本営発表を信じ込み、疑う者を血祭りにあげたように原発絶対危険論を信じ込み、厳密な比較論議を回避する。

さらに、こうした[悪い心の習慣]が蔓延する社会空間で、原発政策についてだけ合理性や妥当性についてサブスタンシャルなコミュニケーションが出来たら、それこそ奇跡だと揶揄している。

問題は、[原発をどうするか]ということ以前に、[原発をやめられない社会をどうするか]という話であると指摘する。


また、震災後における東北社会の絆が喧伝されたけど勘違いだという。つまり、レベッカ・ソルニット(ノンフィクション作家)の言う「災害ユートピア」が現出しただけで、平時のシステムが頼れないから「昔とった杵柄」的に年長者の「過去のリソース」が動員されただけというのだ。


欧米では1980年代から1990年代にかけて、北イタリアに発するスローフード運動以外にも、カナダのオンタリオ州に発するメディアリテラシー運動 や、アメリカのアンチ巨大マーケット運動などが拡がっている。共通して、市場や国家などの巨大システムへの[依存]の過剰さを戒め、共同体の[自立]を図ることを目標にしている。

社会学ではこれらを「新しい社会運動」と呼び、従来の階級闘争史観に基づく階級的再配分を要求する類の[生産点]での運動でなく、反核運動・消費者運動・ジェンダー運動・貧困撲滅運動などにみられるような[消費点]での運動で、最も重要なのは、市場や国家など巨大システムによる諸個人の分断に抵抗する点であるという。


日本では残念ながら生協運動止まりであり、生協の運動体内部では社会的アドボカシー(社会のあり方についての価値の訴え)があったけど、外部つまり一般消費者に対してはアドボカシーがなく、せいぜいが「安心できる食材の便利な宅配サービス」となっている。

「新しい社会運動」が拡がっていれば、電気を東電1社からしか買えないがゆえに計画停電を甘受せざるを得ないメンタリティはあり得ないし、東電が潰れたら困るなどという発想はありえない。さらに、損害賠償額を電気料金に上乗せさせることもあり得ない、としている。


これは明大キャンパスでのシンポジウムの一部であるが、最後にこの国の統治体制の問題点に言及していておもしろい。

すなわち[悪い共同体]は、参加主義でなく権威主義で、知識主義でなく空気主義で、それゆえ[自立]的でなく[依存]的である。[良い共同体]は、権威主義を退けて参加して引き受け、空気主義を退けて知識や科学を基盤とし、それゆえ自明性への[依存]という思考停止を退け、共同体保全のための工夫を[自立]して展開できる、としている。

さらに、市場や国家(行政官僚制)など[巨大システム依存]が、環境適応や安全保障の面で、流動性が高い状況下で機能不全を抱えていることを指摘する。また、「脱原発」が「東電よ、原発ではなく自然エネルギーを使え!」といった電源種の話になっては元も子もない。経産省の役人たちは当然、自然エネルギー化を前提にした「特措法・特別会計・特殊法人・天下り」図式を考えているからウカウカしてはいられないと注意を呼びかけている。


さすがに歯切れがよく分かりやすい。だが、既得権益を放棄してまでリスクを背負い、われわれは命がけの舵取りができるか。米国に同調するだけでは何の解決にもならないのは火を見るよりも明らかな自明の論理でもある。




何をしているのですか

  • 2011.10.29 Saturday
  • 16:47
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君たち何をしているのですか?
もうすぐ雨が降ってくるそうですよ。
わが家のシシマルノヴィッチ(右)とプップチャン(左)ですよ。

カ・ワ・シ・モ

  • 2011.10.26 Wednesday
  • 21:44
久しぶりにカワシモで飲んだ。『若水』で食事をして、その日ははじめて『NIAGARA』という店へ行ってみた。

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「モンゴリアンの店員がいて朝青龍の熱狂的ファンだと言っておもしろかった」というので行ったのだがそのような人はいなかった。その店はドアが開けっ放しで“のれん”のようなものがかかっていた。それをくぐるとジョーという名の日系アメリカ人が一人カウンターの中にいた。彼の英語はわかりやすく好感のもてるナイスガイといった感じ。大学を出てタイやベトナムを旅していろいろな人にあったけど日本がいちばん気にいったという。特に日本人のハートが気にいったと言っていた。

モンゴリアンかと聞くと「モンゴリアン?」と驚く。韓国や中国系と間違えられることはあったけど、モンゴリアンと思われたことはないという。以前、ここに来たときに確かそういう人がいたし熱狂的な朝青龍のファンだった。
「君じゃないのか」とカミさんがいうと、「いつ頃の話?」と困惑した顔になった。「4〜5年前」だといって、「他にスタッフがいるか」と聞くと、スティーブンス(?)というのがいるけど、根っからのアメリカ人で、もう一人日本人がバイトでときどき来ているとのこと。でも、その人は「丸顔」で体形も丸いし、聞いた感じとは違う。「だれだろう?」ミステリアスな話だとジョーがいった。彼の母は仙台出身で父は海兵隊員だとも言っていた。
2、3杯バーボンを飲んで出ようとすると、「タクシーを呼ぼうか?」とジョー。
いや、これからテリーの店に行くといってわれわれはその店を出た。


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テリーがやっていたダーツ

相変わらずテリーは暇をもてあまして『ダーツ』をしていた。来年の4、5月に店を閉めて、ノースキャロライナにいる娘のところに行くといっていた。カワシモがまた寂しくなるなあ・・・。フォーコーナーの『レストランさこ』のオーナーも8月にかわった。
『NIAGARA』と一緒に経営していたもう一つの店『BONANZA』もいまは閉めていると『NIAGARA』のママは言っていた。この円高と不況では確かにうなづける。


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Terry’s placeのテリー

われわれが引き上げるまでテリーには一人の客も来なかった。


 

はじめての作品が完成です

  • 2011.10.24 Monday
  • 23:28
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岩本きよみさんの作品

この間から当教室の一般コースの研究生として絵を描きはじめた岩本さん。先ほど、はじめての作品が完成しました。なかなかいいですね。上手いです。絵を描くことが好きだったと言うことがなるほどこの作品でよく分かりますね。

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これからも頑張ってくださいよ。




 

ツワブキ

  • 2011.10.24 Monday
  • 20:27
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マメツゲの剪定をして庭掃除をしていたら、鮮やかなツワブキの花が咲いているのに驚いた。そういえば、小さいころヤマブキ色という色がぼくは好きだったなあ・・・。それはこの時季にスケッチに出かけることが多く、紅葉した里の景色を描くことが多かったからかもしれない。“ヤマブキ”という音の響きもきらいではなかった気もする。その色を代表する花が、どういうわけかこのツワブキのような気がするのだ。

 

秋刀魚の味

  • 2011.10.24 Monday
  • 19:10
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昨日、テレビで小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』をみた。この映画はよかった。あじわい深いとてもいい作品だったなあ・・・。洗練された映像、独特のローアングル、この監督特有の感性でとらえる絶妙のリアリティーはとにかくすごい。このような映画人はちょっといないんじゃないかと思う。

この人、文学はやらなかったのかな・・・。映像そのものは、ややマニアックな感じがする。だが、きわめて洗練されていて自然。作品自体も文学的だからそう思ったのかもしれない。不必要につくることをしないところがさらにいい。かといって、ドキュメントタッチかというとそうではない。

物語はこれといったものはなく右肩上がりの戦後の経済成長期の他愛のない日常を描いているだけだが、378年の生活と価値観、人間模様が本当に見事である。切なさと哀愁にみちた人間模様、父娘、家族の絆がしっとりと描かれている。最近の映画のようにけっして派手さはないし説明もない。だが、この映画には時代を突き抜ける普遍性と力が感じられるところがすごいのだ。思わせぶりなタイトルなどはどうでもいい。リアリティーがすべてを示している。ぼくはかねてから、この監督の作品をすべてみたいと思っている。

俳優は中村伸郎、三宅邦子、加藤大介、杉村春子、東野英治郎、佐田啓二、岡田茉莉子、岸田今日子、岩下志麻など。
笠智衆、これが本当にぴったりといった感じ。岩下志麻もきれいだったなあ・・・ホント。




 

ひろせ保育園の子どもたち

  • 2011.10.21 Friday
  • 11:50

今日は久しぶりにひろせ保育園で紙版画の版をつくりました。スタンプあそびと同じように野菜や手形にかえて紙で版をつくるのです。
絵を考えること、版をつくること、上手にスタンプすること。どれが欠けてもいい版画はできません。みんな、真剣に頑張っていました。

8月の美術保育で行なった砂絵がきれいに展示してありました。
これすごいね、おもしろーい。


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三匹のさかな

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サカナ

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カブトムシかな?

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わたし

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クワガタムシ

 

即興演奏について

  • 2011.10.19 Wednesday
  • 17:38
第2回クロスアート岩国‐広島展を終えて安堵している。
会期中ぼくはちょっと内緒で広島市東区民文化センターで行われた斉藤徹、ミッシェル・ドネダ、ル・カン・ニンのトリオライブに出かけた。展覧会の終了時間を一時間早く切り上げて、岩国を5時前に出発すれば開演時間の7時までには間に合うだろうと思っていたのだが、あいにく渋滞に巻き込まれてしまい開演時間に5分遅れてしまった。


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左から斎藤徹、ル・カン・ニン、ミッシェル・ドネダ

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あわてて会場に入ってみると、彼らの演奏は途中の休憩もなく1時間ぶっ続けで行われいきなり度肝を抜かれた気がした。「長い曲だなあ・・・」と思っていたら、休憩なしでいこうという打ち合わせだったらしい。アンコールにこたえて2〜3曲やって終わったのが8時半を過ぎていた。いつものことながらエンターテイメントな演奏とは違って、表現についていろいろなことを考えさせられる緊張感のあるパフォーマンスだった。

徹さんとミッシェルは岩国でもお馴染みのミュージシャンで、今回ははじめてベトナム系フランス人演奏家ル・カン・ニンさんのパーカッションを交えたトリオとして編成されていた。
8年前に岩国で行われた演奏はすでに『ペイガン・ヒム』として、斉藤さんのアルバムにまとめられている。そのときは「祝祭性」をテーマにした演奏がたいへん印象的だった。

今回は何かを探求しているようなアグレッシヴな緊張感があった。
『これは音楽といえるのか』ぼくは音楽として成立する前の原初的な営みを連想した。紛れもなくそのことは、8年前の祝祭性を意識した音楽へとつながると思うのだが、今回はさらにそれ以前へと遡ったように感じた。


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談笑するル・カン・ニンさん


主催者として奔走したであろう黒田さんのアトリエまで押しかけて打ち上げに割り込んで楽しい時間をすごし大いにご馳走にもなった。10時半には引き上げたのだが、斉藤さんたちのスケジュールはすさまじい。本当に驚くばかりである。
なにぶんにも、8時間かけて名古屋から車で移動して4時に広島入り、7時からライブ公演して翌日新幹線で佐賀へ移動、二時からライブ公演して翌日広島へ。広島で一泊して翌日ワンボックスカーを運転して京都へ移動というから本当にすごい。 

3.11の震災後のチャリティー活動も現地を2度訪れ積極的に行なっている。被災地の現実対応の遅れを嘆いていた。

帰り際にぼくは鈴木昭男のパフォーマンスとの比較について斉藤さんに聞きたかったのだが、それはこの次のお楽しみということになった。ミッシェルやニンさん、徹さんのご令嬢マイちゃん、黒田さんのお友だちもいてとても楽しかったなあ・・・。

里山を舞台とするアートプロジェクトを考えながら、農民の神楽や祭りごとの意味をアートと比較しながらその意義を考えていたところへこの即興演奏だった。音楽になる前のこの騒ぎ(即興演奏)は確かに掛け値なしにぼくたちを感動へと導く力がある。
もしかしたら、彼らもそのことを考えているのかも・・・
人々が生活を営む知恵として行なってきた祝祭、あるいは原初的な行為。きわめてシンプルなその行為が3.11で被災した人々の復興の営みに求められたことも事実としてんぼくたちは知っている。

そのことをもっと深く考える必要がありそうだ。

作品『iron&stones-2011』

  • 2011.10.18 Tuesday
  • 16:02
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bummei HARADA
iron&stones-2011/2011/200X200X30cm/iron stones/The 2nd Cross Art 2011 IWAKUNI-HIROSHIMA





Relation(stone&stones)

  • 2011.10.18 Tuesday
  • 15:53
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bummei Harada
RELATION(Stone & Stones)/2011/700X100X30cm/stones plastic/The 2nd Cross Art 2011 IWAKUNI-HIROSHIMA





 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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