ピコちゃんお久しぶりですね。

  • 2011.09.28 Wednesday
  • 17:15


もう三年越しになるだろうか。
通津教室の小方さんのアトリエにいるカエル。

ピコちゃんと名づけてある。
アトリエが隣に移り久しぶりの再会となりました。
相変わらず危ないところに位置するところを見れば、やはりピコちゃんに間違いなさそうですね。
それに少し大きくなったようにも感じられます。
普段は何処にいるのか分からないのですが、不思議なカエルです。
気をつけて長生きしてくださいよ。

韓国で翻訳出版

  • 2011.09.24 Saturday
  • 10:37
2007年に偕成社から出版された岩瀬成子の著作『そのぬくもりはきえない』が、このたびお隣の国、韓国で翻訳出版されました。
少し大きめの判でソフトカヴァーになっていますね。
ハングル文字ですので、当たり前ですが漢字はまったく見当たりません。





因みに日本版ではやや小ぶりのハードカヴァーとなっています。



出版と同時に、日本児童文学者協会賞を受賞し注目された本でもあり、岩瀬成子の代表作の一つといえるかもしれません。

そして、近日(10月11日)新刊『ピース・ヴィレッジ』が同じ偕成社から出版されるとのこと。
これも是非ぜひ、お楽しみください。

思春期を前にした少女楓とその友だち中学一年の紀理の眼差しを軸にして、彼女たちの瑞々しい感性でとらえた基地の街のシリアスな問題を真正面から描いた話題の長編小説。




新刊『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社) 10月11日発売!!

Tから突然のメール

  • 2011.09.22 Thursday
  • 14:15
最近は美大芸大に進んだ研究生からのうれしいメールがくる。
今日は京都某芸大のプロダクトに進んだTから突然やってきた。
なにやらどこかの会社のワークショップコンペでグランプリをいただき、その会社の社長から個人的にデータをみせて欲しいと依頼されてうれしかったと喜んでいた。
大学へ進学してからいっこうに顔をみせない奴(といっても女子)だが、ひそかに頑張っているようだ。

若い人が成長して近況を知らせてくれるのは頼もしいし、うれしいものであるなあ・・・

立川佐藤、こいつらは本当にやるかもしれない。
佐藤の300号も楽しみにしているぜ!
頑張って欲しいものだ。

海外のニュース

  • 2011.09.20 Tuesday
  • 15:20
久しぶりに、留学先のフランスから息子のメールがきた。
彼からメールがくるときは、必ずお金がからんでいることが多い。
どういうわけか、
東京にいるときもそうだった。
知り合いや他の人の話を聞いていても、どこも大体そんな調子だといわれるからうちの子が特別ヘンでもなさそうである。

この間はロンドンへ行っていて、ホテルでカードを使おうとしたら使用できなかったらしい。照合できなかったのか口座になかったのか知らないが、月末にはベルギーのブリュッセル、来月にはドイツのミュンヘンに行くので少しお金を入れてくれるとありがたい、などとかるく言ってくれる。

これまでのホームステイからレジデンスに移ったと聞いているので、簡単な自炊くらいは出来るだろうと思って、「インスタントやレトルト食品でも送ってやろうか」などと聞いても返事はない。「冬の服は要らないのか?」と聞いても同じ。
「低レベルの放射性物質を処理する核施設で爆発が起きたらしいじゃないか」どんな按配だと聞いても、核爆発じゃないらしいし、あまり問題にはなっていない、とまったく呑気なものである。

身内が海外にいると、やはり、9.11やロンドンで起きたイスラム系移民の暴動、そして核施設の爆発事故など、海外のニュースがいろいろ気になるものである。

不思議なことには向こうから日本の猛暑や台風のようすを聞いてくることはない。

トラです!

  • 2011.09.20 Tuesday
  • 15:09
佐藤真美(京都造形芸大4年)から「トラです」といって、いきなりこんな写メがきた。


50号くらいのサイズ

どうやら、最近になって描いたばかりの50号くらいの新作(油絵)らしい。

いきなりトラかよ。でも、これはイイ・・・、とても良い、面白い。
だれが何と言ってもこういうのを描け。これを描こうとした動機を大事にしたらいい。
と、ぼくは励ましのメールを返してやった。
とりあえずどこかに就職して、時間をつくりながら絵を描くといっていたが、何とか頑張って欲しい。
卒業制作には300号を描くといっていたが、このトラならすごい迫力になるだろう。


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映画って素晴らしい!

  • 2011.09.19 Monday
  • 14:43



昨日は映画『泥の河』(小栗康平第一回監督作品、宮本輝・原作)をテレビで鑑賞。
もう、4〜5回はみている映画なのだが、昨日はBSプレミアムの山田洋次の家族コレクションでやっていたのだ。
ところがうっかりしていて、ほとんど終盤のクライマックスしかみられなかった。
つまり、"天神まつり"に出かけたノブちゃんとキッちゃんがお母さんからもらったお金を落としてしまうあのシーンからみることに・・・

キッちゃんの半ズボンのポケットが破れていてお金をなくしたのだ。二人は一生懸命になって屋台のまわりを這いずりまわるようにして探すのだが見つからなかった。
ノブちゃんに申し訳なくてやりきれなかったのか、キッちゃんが突然「いいもの見せてあげる」といって自分が仕掛けた"カニの巣"を引きあげる。
お母さんとお姉ちゃんのギン子ちゃんと三人で生活している廓船での出来事だ。

たくさんのカニを見てノブちゃんは驚く。
キッちゃんがノブちゃんにいう。
「おもしろいで」と言って、そのカニをアルコールに浸けてマッチで火をつける印象的なシーンだ。
「かわいそうや、やめとき」とノブちゃんが言っても、キッちゃんは次々とカニに火をつける。
船べりづたいに逃げるそのカニをノブちゃんが這い上がって追いかけると、別室で男と絡むキッちゃんの母親(加賀まりこ)と目を合わせることに・・・
そのシーンでは、ふたりの目と目がアップで映し出される。
ノブちゃんはそのとき何を思ったのだろう。キッちゃんたちとの"違い"を感じたのか。きびしい現実との出会いは残酷だ。それともキッちゃんたちとの別れを察したのだろうか。

にぎやかな食堂を営む自分の家で放心したように呆然と突っ立ったままのノブちゃん。
ひとり畳の上で仰向けになったまま、悲しさと切なさとやりきれない複雑な感情の入り混じったノブちゃんの表情がこの作品の全てを映しだす印象的なシーン。

やがてキッちゃんたちの船が動きだす。
「なんや、ひとこと云ってくれたらなあ・・・」とお母さん(藤田弓子)がいう。
お父さん(田村高廣)は、ノブちゃんのようすからこの事態をのみ込むようにその情景を静かに見つめている。
心配になったのか、急に起き上がったノブちゃんは必死になって船を追いかける。
どこまでもどこまでも走って追いかけるシーンがつづく。
「キッちゃーん」といって追いかける。

このラストシーンは何回みても涙がでてくる。
エリセ監督の『ミツバチのささやき』のアナ、アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』、そしてこの間みたばかりの映画『ツリー・オブ・ライフ』のジャックたち。
あのすべてを語る子どもの表情は映像でなければ描写できない。
文学でも、美術でも音楽でも無理。映画ならではの表現である。

それを引きだした小栗康平監督の手腕にぼくは驚嘆する。本当に、どのようにしてあの表情を撮ったのだろうと思う。
そして、キッちゃんやギン子ちゃん、ノブちゃんはどのような大人になっているのかと想像する。


 

ピース・ヴィレッジ

  • 2011.09.17 Saturday
  • 17:24
 

大人になっていく少女たちをみずみずしく描く


「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
 

基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。

来月10月11日/偕成社から新刊発売予定!


 

シュールに挑戦

  • 2011.09.17 Saturday
  • 17:06
今日の児童コース横山クラスでは先週につづいてマグリットの絵画のように『不思議な絵』を描いた。
もう、みんなマグリットのことは知っている。
シュールリアリズム(超現実主義)のこともよく知っている。たいへん興味があるようだ。


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これは孝輔(小3)の作品。ヤツデの枯葉の部分が異空間になっていておもしろい。

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マグリットの図録からいくつかを紹介。

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これはトモやん(小4)の作品。
葉っぱの上に貝殻が乗っていて、太陽も逆さまになっている。


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頑張っていますね。

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これはカオリちゃん(小4)の作品。
木が鉛筆になって描かれた鉛筆がこの絵を描いていますね。おもしろっ・・・


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クロちゃん(小4)の作品もやはりシュールですね。超現実的です。

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これはヒロムくん(小6)の作品です。
遠近感が逆転しているのかな。マグリットのだましです。
トロンプルイユという独特の手法ですね。


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これは山の形が象さんになっている。望未(中1)の作品です。
蓮の実が鼻になっていて不思議です。

次週はオリジナルの『けん玉』を作ることに・・・
しばらく工作をしていなかったのでお楽しみ。

黒田敬子展

  • 2011.09.16 Friday
  • 17:21
映画『ツリー・オブ・ライフ』をみた後、黒田敬子展の会場へ。
今回は前作とは少しちがっていて和紙を使った新作がこれまでのアクリル作品と同時に展示されていた。
偶然性をともなう新作を同時に展示したことに対して、本人は少し気になっているようでもあったがすっきりした会場となっていた。


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上が和紙の新作で下がアクリルの作品。
すっきりとした空間も気持ちいいのだが、反面それを破壊したい気分にもしてくれる。
少し話していると、彫刻家の石丸勝三さんが来られたので紹介していただいた。
展覧会(東広島市立美術館のライフ&アート展やヒューマンアートフェスティバルなど)でこれまで何回か一緒になっているのだが、不思議なことに面識がなかったのでちょうどよかった。




ツリー・オブ・ライフ

  • 2011.09.16 Friday
  • 17:19
広島市現代美術館で開催中の展覧会「オノ・ヨーコ展〜希望の路〜」をみてから、ぼくたちは話題の映画『ツリー・オブ・ライフ』をみることに・・・

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未曾有の大災害となった3.11の東日本大震災以後、人間の営みとともに地球環境と歴史についていろいろなことを考えさせられる日々が続いている。

作家・
芹沢俊介さんはこの事態について適確な言葉をみつけられず、ながい沈黙の末に「絶滅の脅威」という言葉にやっと辿りついたといわれた。
戦後の復興、とりわけ高度経済成長とともに生きてきたぼくたちにとって、今回の災害はそのあり方について多くの問いを突きつけてくるのだった。「お前たちは一体なにを考えて生きてきたのか」と。

平和憲法を前提として、日米安保体制の下ひたすら民主教育と経済活動に邁進することで、確かに世界第二位の経済大国を実現させた。だが、それは大国アメリカ合衆国とわたりあえる対等な関係ではなく、従属する国のあり方でしかなかった。

核の平和利用とはいえ原子力発電の危険性を充分予知しながらもこれといった行動もとれないまま、ぼくたちは安保体制を粉砕することもできないまま“なし崩し”的に過ごしてきたといわれても仕方がないのだった。そして、この未曾有の大災害、とりわけ福島第一原発事故は後世に大きなつけを残すことが確実となった。
芹沢さんがいうようにヤポネシア、極東における大自然の地理的特性がもたらした自然災害だけなら数日後にはその被災地に再び住民が現われ、人間による復興の営みがはじまる。だが、原発はそうはいかないのだ。
福島第一原発事故もまたぼくたち人間の営みを象徴するできごとの一つといっていいし、この映画を鑑賞する機会を得ることになったのもどこか必然的で不思議な巡り会わせを感じてしまうのだ。

環境倫理学者の「人を主体にするな、主体は人でなく場所だ」という趣旨の発言が注目されているという。すなわち、場所(地域)を一つの生き物として見るとともに、人を場所への寄生物だと考えるのだ。


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この映画『ツリー・オブ・ライフ』でも人間の営みを超越した宇宙的現象をイメージさせる映像だけでなく、大自然の美しさや恐ろしさがストーリーの中にくり返し挿入されている。
決して特別なものとしてではなく、父と子の関係を軸にしたありふれたアメリカ社会の家族の肖像が、宗教的世界観と社会的世界観が織り成すきわめてシリアスな物語として丁寧に描かれている。
それ故にこそ、主体が人間ではなく大宇宙に位置づけられた生命体としての地球環境を意識化させる相対的な眼差しと奥行きを感じさせる作品となっている。
物語は大人として成長した息子が回想する形式とはいっても、それは決して牧歌的なものとしてではない。厳格な父との確執、キリスト教的宗教観、さらに9.11に象徴される冷戦以後の軍事的経済的大国アメリカが直面する苦悩、地球規模の自然環境と歴史が織り込まれるように描かれている。

それ故、この作品に込められた強いメッセージがあるように思えるのだ。つまり、主体は人間の営みではなく、この地球であるということ。アメリカ社会で成功するための術、軍事的経済的さらに宗教的な争いや価値観ではなく、地球という素晴らしい惑星に気づくことを示唆しているようにさえ思えるのだった。

ラストシーンでは、テオ・アンゲロプロスを意識させるところもあるし向日葵でよかったのかもしれない。確かに、やや拘りすぎる嫌いはあるけれどこの監督の並々ならぬ意欲作であることは間違いない。

主演のブラッド・ピットのほかに子どもたちの演技がとくに特に素晴らしい映画である。







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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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