美術教室の子どもたち

  • 2011.07.30 Saturday
  • 17:30
今日、児童のコースでは「紙染め」を楽しむことになていた。ひと言で“染め”といってもいろいろあることを最初に説明してから簡単な折染めをしてみた。
輪になるも模様をつくるにはどうしたらいいか考える。その輪が二つになるためにはどう折ればいいのかといろいろやってみたら結構おもしろいものができた。




それから“型染め”の型を鉛筆で描いてハサミで切っておくところまでが今日の取り組みにした。
30分の時間が余ったので外で「かんけり」をすることになった。




こんなクワガタを探す奴もいておもしろかった。蝉や蝉の抜け殻も見つけた。



こんな暑い中、どこに隠れているのか子どもの心理や感覚を想像しながら探す。
2^3回蹴られてしまったが、何とか全員をみつけだすことに成功。

この日は夕方からは小学校である「夏祭り」に行くといって早々に引きあげていった。
浴衣に着替えていくらしい。








テレビウォッチング

  • 2011.07.30 Saturday
  • 11:33
テレビがアナログから地上デジタル放送へと移行して、NHKの山口放送と広島放送を両方ともみることができるようになった。
そこで、前々から気になっていたことだが全国放送と地元の放送では当然のことながらはっきりとしたちがいを感じている。
何かといえば、広島の場合では全国まがいの調子で“それっぽく”振舞おうとするところがあり、それがむしろ否応なく広島というローカルさをむき出しにする状態があらわになるところ。NHKだけでなくほかの民放も似たようなことをしているのだが、どうしてもすぐに分かるから不思議である。

山口放送局ではその点、地方であることを自覚していて無理がない。自明のこととして自然体で振舞っていて気持ちいいのだ。頭の薄くなったキャスターも、横にいる女性アナもいい。
だが、広島はどうしても不自然さを感じる。あの鶏のような身振りで誇張した振舞いのキャスターは普通に振舞えないのかといつも違和感を覚える。
ガミガミ言うようだが、お天気お姉さんは原稿をみないであの程度のことはいえていい。その後、7時のニュースに出てくるお天気キャスターとはレベルの違いを痛感してしまうからこれも不思議である。








テレビ放送からみえる県庁の雰囲気

  • 2011.07.28 Thursday
  • 17:23
テレビのアナログ放送が終了した。
すべてデジタル化の時代を迎えたということになる。といっても、今ひとつそれが何を意味するのかほとんどぼくには理解できないままである。
わが家のテレビも地上デジタル対応の新しいものに買い替えたのだが、かなり古くなっていてそのタイミングでもあったのでちょうど良かった。
デジタルになるとすべての放送局が受信できるようになって、そのうえきれいによく映るようになった。せっかくだからケーブルを引っ張ってケーブルテレビにするかとも思ったのだが、とりあえずこれまでのアンテナで充分ということになった。

これまでは広島の放送局しかはいらなかったので、NHKも広島放送局のみで山口放送局をみることはできなかった。したがって、選挙速報などもままならなかったし悔しい思いをしていた。
最近、山口放送局で山口県庁のようすが報道されるのをながめていると奇妙な違和感がある。広島県知事のようすとは明らかにちがっていて志村けんのバカ殿のようにうつるから気色悪いのだ。
東日本大震災があって、復興に奔走している被災県の各知事の対応がよく報道されるから、山口の雰囲気と大違いであることがはっきりと分かる。
最近、復興大臣が知事への対応で辞めさせられるということもあったし・・・

山口県庁の雰囲気はきわめて権威的であることが異様にみえるしズレを感じてしまう。そのような設定にしてしまう県の職員の慣わしや感覚もヘンにみえてくる。どうしてあのように殿様扱いにするのかと異様に思えるのだ。あれじゃ、天皇陛下と知事は同じようにさえみえる。
以前、県庁に行ったときにもそれを感じた。トイレをすませて出ようとすると、知事が通られますので動かないでください、と制止されたのだ。「そりゃあ、なんだ」とそのときにもヘンに思ったことがある。
その点、広島の湯浅知事はフレンドリーな感じがする。きわめて当たり前の感じがする。
それに慣れていたものだから、よけいに山口の二井知事や県職員、県庁内の雰囲気に違和感を感じるのかもしれない。








Terry’s PLACE

  • 2011.07.27 Wednesday
  • 15:35


昨日は久しぶりにNさんと飲んだ。
時間通りにお店についたが予約していなかったので入れないかと思った。
それほどお客が多かった。
それもわれわれよりも一まわり年配の方々が元気だった。
マスコミ関係の人もいて、なにやら誰かの送別会のようでもあった。
会話が聞き取れないくらい賑やかで、日本の将来を垣間見たようでもあった。
Nさんは、明日の定期健康診断にそなえるというので、ぼくらは3時間で引き上げることになった。
タクシーでNさんを送っていって、われわれは久しぶりにふたりで川下のTerry’s PLACEに寄ってみた。
ドアが開けっ放しになっていているので、どうしたのかと思いながら入るとテリーはダーツをしていた。
お客は一人もいなかった。
「日本政府に協力して節電しているのよ」とテリーがいった。
早速、エアコンを入れてくれて涼しくなった。
「円高、こたえるね!」「1ドル75円よ」と笑った。




これは、お店のトイレの落書きを撮影したもの。



テリーのお店には海兵隊たちのドル紙幣がお店の壁のいたるところに貼り付けてある。
「どうしてそんなことするのか」と聞くと、懐かしい想い出だといっていた。
ぼくたちはエリック・クラプトンとビートルズを聴いた。
テリーは海兵隊を退役してからこのお店をだしたのだそうだ。
年齢はぼくよりひとつ若かった。




前から気になっていたNHKのK記者おすすめのスリーコーナーの近くにあるもう一軒にも入った。
ここにも客はいなかった。
はじめてかというので、「はじめてきた」といった。
カントリーのお店らしい。

マスターは古きよき時代の川下を知っている人で結構詳しかった。
ぼくの教室にきていたウエイド・吉田(リンダのママ)やターガーのことも知っているという。
というよりも、若いころリンダで働いていたとも・・・。
「清河(チョンハー)への道」の新井英一が、若いころ働いていたという「ブラウン・ドア」のことも話しになった。
むかし懐かしい人の名前やお店の話に花が咲いておもしろかった。











あっ!この虫

  • 2011.07.26 Tuesday
  • 16:43


今日の午前中はむし暑かった。
午後はそれよりも暑さがこたえた。
そんな中、縁側の修理に取りかかった。
段取りはできていたので作業は滞りなく進めることができた。
けど、暑かった。
熱中症に気をつけながら水分を取りながら何とか完成。
途中でこんな虫を見つけた。
白い斑点のあるきれいなカミキリ虫だった。
芝の上においてやると、いやだったのか逃げる逃げる。
暑かったのかなあ・・・

志士やプーがいなくてよかった。






オノ・ヨーコ展

  • 2011.07.26 Tuesday
  • 10:07

8回ヒロシマ賞受賞記念

オノ・ヨーコ展 希望の路 YOKO ONO 2011

2011730日(土)〜1016日(日)

広島市現代美術館

 

ヒロシマ賞とは

世界最初の被爆地である広島市は、世界の恒久平和と人類の繁栄を願う「ヒロシマの心」を美術を通して世界へ訴えることを目的として、1989年に創設されました。広島市現代美術館ではその第8回目の受賞者となった受賞記念としてオノ・ヨーコ展を開催します。

1933年に東京で生まれたオノ・ヨーコは、半世紀以上にわたる前衛芸術家としての創作活動を通じて、視覚芸術、パフォーマンス、音楽、 フィルム、詩などの多様なメディアを駆使しながら、芸術の境界を広げてきました。人々の想像力に働きかけ、観客が実際に作品の制作に参加することを目的としたその作品は、1960年代以降の現代美術の潮流のひとつであるコンセプチュアル・アートの先駆的な表現として高く評価されています。その後も絵画や彫刻など特定のジャンルにとどまることなく、芸術表現の新しい形を創造し続けています。




鎮魂と未来への希望〜ヒロシマ・ナガサキ、そして東日本大震災

人類がその歴史のなかで体験した最大の悲劇のひとつであるヒロシマとナガサキ。そして多くの人々が命を落とした先の東日本大震災。展覧会は、これらの悲劇を経験した人々に対する鎮魂と、未来への希望の路を指し示す新作のインスタレーションを中心に、オノ・ヨーコのメッセージを世界に向けて発信するものです。

 






地球が怒っている

  • 2011.07.25 Monday
  • 18:21
今朝の雷はすごかったなあ・・・
何時だったのかな?
2時間くらいは続いていたように思う。
地球が怒っているようにも思った。
地球はいったい何に怒っていたのだろう・・・
心当たりがないわけではないが、政局にうつつをぬかしている政治家どもに怒っているのか。
それとも、それらを面白おかしく煽って金儲けをしようとするマスコミに怒っていたのか。
福島の原発事故にか。
中国の高速鉄道脱線事故にか。
ノルウェーの乱射事件にか。

本当に、こわい雷だった。







東西/南北考〜いくつもの日本へ

  • 2011.07.24 Sunday
  • 17:14

12.jpg

『東西/南北考ーいくつもの日本へー』(赤坂憲雄著 岩波新書)

 

著者は“あとがき”で、「いくつもの日本」を孕んだ地域こそが、逆説的ではあるがグローバル化の時代にたいする抵抗の拠点となる、と執筆への決意を語っている。とりわけ、地域というものに、歴史的な、あるいは哲学的な根拠をあたえたいとの強烈な思いを述べているのが印象的だ。

大相撲と異種格闘技、唐突にも受けとれるこの言葉が不思議なことに本著の重要なメタファーとなっている。つまり、「御国」を背負い、自明のように列島の東西いずれかに帰属して演じられるこの相撲に対して、あえて異種格闘技として南北の軸を立てて論考を企てるのだ。まぎれもなくそのことは、縄文以来の民族史的景観にたいして、「ひとつの日本」というフィルターを自明としてかぶせてゆく歴史認識の作法に異をとなえるものであり、柳田民俗学を相対的に捉えかえす新しい民俗学の発展に一石を投じるものである。

内容的には、箕という農具の論考から言葉やしきたり、さらに地域のはじまり、穢れの民族史へと展開される。その中で文化周圏論の限界を説き、一国民俗学を越え東西論の呪縛から解放されるべく歴史的、文化的な重層性をたどるものである。
最終章では、さらに「東北学、南北の地平へ」と位置づけ野心的論考を企てるのだ。それは、きわめて示唆に富んでいて説得力がある。著者は、稲に覆い尽されたひとつの東北は、西の文化によって去勢された幻の風景にすぎないとし、東北学はいくつもの東北をめざす、と表明している。東北はむしろ、多元的な種族=文化が交わる、南/北の地平へと開かれたカオスの土地だとも…

いくつもの東北から、いくつもの日本へ、そして、いくつものアジアへ。歴史の総体が、そうして再審の場へと誘われていく、とくくられている。
地域考(いくつもの日本)から世界を視野にいれる渾身の一冊。

児童コースにいる馬鹿

  • 2011.07.23 Saturday
  • 18:36



わが教室の児童コースにはこんなヤツがいる。
今日の課題は「二枚合わせのからくり屏風」をつくることだったのだが、それが意外にも早くできた。
早くできたら、いつもの「かんけり」で遊ぶことが多いのだが、この暑さでは当方の気持ちもややひけてくる。
子どもたちはそうでもないらしく「かんけり」しようといってくる。
それほどまでに「かんけり」にはまるとは思ってもみなかったのだがこの暑さの中でもやろうという。

すると、退屈しのぎにこんなことをはじめた馬鹿がいる。
アンパンマンの卑猥な替え歌を歌いながら、大きな大きな“うんこ”を黒板に描いているではないか。
その替え歌も非常におもしろかったのだが、“うんこ”も結構いけている。
その歌、おまえの母さんに教えてもらったのかと聞くと、
「そんなわけないじゃん」という。

後で消しておけよ!というと、「しるか」ときた。
「このやろー!」というと、逃げていった。
じつにふざけた奴だ。
「ただじゃ、おかんぞ」といっても無駄であった。  

    


 

キヨさんが描きはじめましたよ

  • 2011.07.23 Saturday
  • 11:26


研究生のみなさん!あのキヨさんが描きはじめましたよ。
モチーフはもちろんピエロ。
とりあえず、三枚描くそうです。
ご自分の人生を重ねておられるのでしょうか。
この方、もはやレジェンドの域にあるのではないかと・・・
みなさん、どう思われますか?

さあ、元気よく!
フレー!フレー!キヨ。
フレーフレーキヨ!フレーフレーキヨ!オオー!








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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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