ムラサキモクレン

  • 2011.03.30 Wednesday
  • 16:14




わが家の庭のムラサキモクレンのつぼみがはじけそうです。

春がすぐ近くまで来ていることがわかりますね。




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絵画のいろは展2011情報1

  • 2011.03.29 Tuesday
  • 16:17



絵画のいろは展2011のチラシが仕上がってきました。といっても、展覧会は5月18日からでまだまだずいぶん先のことになります。

 

この展覧会は隔年(ビエンナーレ)形式で開催する「絵画のいろは展」と称するグループ展で、今回は第10回展となります。

本展は絵を描きはじめて間もない人から山口県美術展覧会、岩国市美術展覧会をはじめ他の美術コンクールなどで活躍している人、またこれから美大、芸大を受験する高校生や中学生を含む原田美術教室の研究生による油彩、水彩、アクリル、鉛筆・木炭デッサンなど200点で構成するものです。                

今日、私たちは過剰な情報(メディア)と過剰な消費の現実を迎え、アイデンティティーの喪失感と実感(リアリティー)の質的変化の状況に直面し混乱を招いています。

「絵画のいろは展」では日頃の研究成果を発表することと同時に、人と人、表現と表現のふれあいの中で単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え何を発見することができるのか、その可能性と意味について考えています。絵画の“いろは”とは、このように制作上の技術の問題だけではなく、日常的な生活のあり方そのものへの問いかけに他ならないのです。   

この展覧会が[文化的な営みと豊かさ]また[活力と潤いのある生活]とは何か、という問いについて考える契機となり、少しでも地域文化の向上と振興発展に寄与することを目的とするものです。 

 

会期:2011518wed522sun

会場:山口県民文化ホールシンフォニア岩国

 

 

 

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どうなっているのか福島原発

  • 2011.03.29 Tuesday
  • 11:51

 

 

福島第一原発の事故、東京電力の武黒副社長(?)の会見はいつ見ても腹が立つ。きわめて自己防衛的で保身的だ。その気持ちだけが伝わってきて何の説明もできていないから腹が立つ。おもわず、殴りかかりたくなるのはどういうことか。ただ単に個人的な問題だけじゃないような気がする。この事故、何一つとして対応できていない気がする。保安院やテレビで説明している東大の先生たちでさえおそらく何も分かっていない。そのことだけはよく分かる。つまりは手の施しようがない、お手上げの状態なのだ。

若い頃、化学を少しかじった程度のぼくでさえ、この事故は当初から圧力抑制室を含む格納容器系が破損していたことが明らかだ、ということくらい察しがつく。そうでなければ格納容器(系)外にあたる建屋の上部にたまった水素が爆発するはずがない。爆発した時点で閉じられた格納容器の系外に高濃度の放射線を含む冷却水や水素が漏れたと解釈するのが当たり前だと思うからだ。

原発にしろ、化学プラントにしろ、およそこうしたシステムはクローズシステムで設計されている。熱量が外部に出るのはそれだけロスしていることなのだ。そういう意味ではこうしたプラントにおいてロスと考えられるのは、コモンスタックやフレヤースタックから放出される熱量とクーリングタワーから放出される水蒸気と水の他にはない。

そう考えれば原子力発電ほど単純なシステムはない。問題は核反応が停止された後、莫大な余熱をもつ燃料棒を冷却するための冷却装置のバックアップシステムなのだ。それは、「想定外」という言葉の使用が許されないくらいの高度なシステムでなければいけない。今回 は大地震でこの装置のすべてが破損し自家発電系も機能しなかった。それにしてもこの地震列島を前提として考えれば、信じられないくらいお粗末な3段階程度のシステムだということに驚いた。なぜ北陸や関西など他の電力会社からのバックアップ系が設置されていないのか、せめてそのくらいは常識的で当たり前のことだ。

原発の原理はこうだった。核分裂反応で高エネルギーの水蒸気をつくる。すなわちその水蒸気でタービンを回して発電力を生産する単純なシステムなのだ。タービンを回すことでエネルギーを失った水蒸気は復水となって、再度原子炉圧力容器へと送られる。手元にモリエル線図でもあれば簡単に算出できる単純なものなのだ原発というものは、とあえて言いきってみたい。

この繰り返しで、その系は常に閉じられているのだから、仮に冷却水が失われて燃料棒が水面から露出して水素が発生したとしても、それがクローズされた系の外、すなわち建屋の上部にたまることはありえない。ところがそうなったということは、大地震やメルトダウンで格納容器や圧力抑制室、タービン、さらにそれらをつなぐ配管やフランジ、バルブ等々のパッキングやボルトが破損して高濃度の放射線を含む冷却水や水素が漏れたと考えるのが普通ではないか。そういうところがいったん漏れはじめるとエロージョンやコロージョンという現象で益々その漏れは大きくなるのだ。ぼくなどのシロートはそういうイメージで考える。
違うなら教えて欲しい。東大の先生たち。

ぼくがわからないのは、メルトダウンを起こしてても制御棒で停止させた分裂反応をそのまま制御できるのかということ。核燃料とともに制御棒ごと溶融することがメルトダウンとすれば、再び分裂反応が起こり臨界点にまでいくしかないのか、ということ。仮にそうなったら、核燃料の総体的なボリュームから汚染されるエリアを早急に計算して退去する必要性を示すことではないかと考える。そして、わかりやすく説明して欲しい。それは、米国スリーマイル島や原爆の何倍なのか、と。

経済効率を最優先する会社の管理システムはどうか。分業化による下請け雇用のあり方がその問題に関連している、などということは火を見るよりも明らかなのだ。原発労働の実態は厳しく辛い。とても過酷だ。
放射線量が振り切れ、それを知らせるアラームがなり続けていても、無視して作業を続行することで効率と達成感を優先する風潮が日常的にあったことが指摘されている。

この事故の収束の見通しはないまま、原子炉は冷却されず燃料棒は溶融を続けている、さらに、周辺では高濃度のセシウムやプルトニウムが検出された。それでも原子炉格納容器の健全性が維持されているといわれるその根拠は何か。











 

 

 

Forum 2007〈岩国〉マドモアゼル・シネマ 旅するダンス「不思議な場所」その2

  • 2011.03.28 Monday
  • 14:04

マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」その2
2007年10月31日(wed)  19:00〜
山口県民文化ホール・シンフォニア岩国





ダンスワークショップ
このワークショップはマドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」岩国公演の関連企画として行なわれました。
1031日の本公演を前に、地域の人とともにダンス表現を通してふれあい、ダンスの楽しさ面白さを知るための出会いを求めて行なわれたものです。
予想以上の多くの方々が参加され、活気に満ちたワークショップになりました。





本公演を前に行なわれたダンスワークショップ




打ち上げ(交流会)


マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」は、2008年文化庁芸術祭「舞踊部門」の新人賞に輝きました。 


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Forum 2007〈岩国〉マドモアゼル・シネマ 旅するダンス「不思議な場所」その1

  • 2011.03.28 Monday
  • 13:41

マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」その1
2007年10月31日(wed)  19:00〜
山口県民文化ホール・シンフォニア岩国





本公演は、山口県東部地域において芸術文化の振興発展、活力と潤いのある地域づくりを考える文化的なムーブメント(運動)の実現を目的とする10年計画(M21プロジェクト構想)の一環として位置づけるものです。

私 たちはこれまでの地域や自治体という枠を超えて、地域住民と行政が一体となったアートプ ロジェクトを継続的に実施し、プロジェクトに関わった人たち、アートに出会った人々とともに心(精神)的な高揚また文化意識の変革と活性化を促進し、物質 的なものとは異なる“心による地域(都市)づくり”の可能性を考える、としていくつかの取り組みをしてきました。

今 回は芸術監督の伊藤直子さんを中心に新しいダンス表現を探求するマドモアゼル・シネマとドイツ在住の映像作家・梶村昌世さんをお招きし、「旅するダンス “不思議な場所”」を総合的な舞台芸術として開催するものです。「未来を志向するノスタルジア」をコンセプトに活動を続けるマドモアゼル・シネマの身体表 現と梶村昌世の映像作品の共時性がもたらすものは何か。個々のダンサーたちの身体が内包する記憶や皮膚感覚を基に、家や家族を主題として展開される様々な 身体表現を存分に楽しんでいただけるものと思っています。

このフォーラムが現代社会の諸問題と私たちの現在を見つめ、これまでの価値観を相対的に捉えかえす眼差しとともに、豊かな想像力をもって将来の「地域」「文化」「暮らし」について考える契機ともなれば幸いです。(主催実行委員会より)

https://img-cdn.jg.jugem.jp/668/1021317/20090219_754839.jpg



マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」は、2008年文化庁芸術祭「舞踊部門」の新人賞に輝きました。 




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いつもの気持ちに戻りたい

  • 2011.03.28 Monday
  • 11:45

いつもの気持ちに戻りたいと思うのだが、今回の地震と津波、さらに原発事故によるダメージは相当大きなものだった。「どうしてこんなことになってしまったのか」と連日の報道を見るたびに途方にくれ脱力状態から抜け出せないでいる。

みんなで頑張って復興をめざすほかない、ということは分かっている。だが、なかなか立ちあがれない程のダメージを食らっている。気持ちが前に行かないのだ。ひたすら耐え、頑張っている被災された当事者たち、不眠不休で懸命に頑張っている自衛隊や消防レスキュー隊のほかすでに復旧活動に取り組んでいる人々をみていてもだ。つまり、直接的な被災のないぼくたちでさえ、それだけ強烈な精神的ダメージをうけているということかもしれない。
連日報道される行方不明となった人の救出、避難所のようす、深刻な事態がつづき見通しの立たない福島原発の事故と大量の放射線の漏れ、どこまで汚染されるのか。この事故が復旧の大きな妨げになることは確実だろう。

戦後に生まれて60年、大きな災害にもあわずにそれなりに生きてきた。いや、生かされてきたのかもしれない。国の経済発展とともにそれなりに豊かになってきたかにみえたが、一瞬のうちに津波にさらわれた。挙句に原発事故による大量の放射線による環境汚染ときた。一体どういうことだったのか?

人口の10パーセントが国土のわずか0.6パーセントの土地に集中する巨大都市をつくった。それはそれでそれなりの経済効率と急成長を果たす大きな意味があったのかもしれないけれど、きわめていびつな国の形であることは否定できないことも確かなのだ。これまでひたすら東京をささえてきた東北がやられた。

これまで培ってきた価値観、生き方が否定されたように打ちひしがれた気分なのだ。おそらくは、敗戦後がそうだったのかもしれない。何を信じればいいのだろう?と思ったに違いない。
かつては、近海の魚と田畑を耕し、四季折々の農産物を食べ、豊かな自然とともに共存する高度な文化を形成し発展してきたはずだった。

いろいろな思考が無念さとともに錯綜している。だが、事態は一刻もはやい復興に取り掛からなければならない待ったなしの状況だ。新しいエネルギーも確保しなければ今の生活も成り立たない。とりあえず、市場原理、グローバル資本主義経済の旗の下で復興することしかないのかもしれない。

しかし、この災害は何だったのかと考えるとき、人災的な多くの要素があることも決して無視することはできないのだ。それは分かっている。だから、復興のその先にどんな希望を求め、より高度な文化、より豊かな経済や国のあり方を考えるかということ。その思想が問われることになる。おそらくは地球規模でその対応を迫られているような気がしてくるのだ。

地震列島日本に原発エネルギーは馴染まないことだけははっきりした。それでも、欲望のウロボロスのごとく原理主義を唱えながらこの国は原発をやるしかないというのだろうか。そして、米国や中国をはじめ世界も同じことなのか・・・・

多くの人にとって今、似たような気持ちとやりきれない無念さが錯綜し様々な思いが去来しているのではないだろうか。ぼくはそう思う。だから、簡単には「頑張ろう、日本!」などとは言えないし言いたくもない。だが、やるしかないことは決まっている。


 

 

 


 

 

 

 

子どもたちの絵

  • 2011.03.26 Saturday
  • 18:37


ペットボトルとランプの絵

児童のコースでは久しぶりに静物画「ペットボトルとランプ」を描いた。





春休み中の子どもたちはどことなく平和で落ち着いているみたいだった。

地震災害や原発事故の報道でこのところ気分も沈みがちだったが今日は少し救われた気分だ。




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フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DUOパフォーマンスpart2

  • 2011.03.24 Thursday
  • 11:16

フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DUOパ フォーマンスpart2

2006年9月20日wed 19:00〜20:30
山口県民文化ホール ・ シンフォニア岩国




この企画は、山口県東部地域において芸術文化の振興発 展、活力と潤いのある地域づくりを考える文化的なムーブメント(運動)を起こす10年計画「M21プロジェクト構想」の一環として位置づけて開催されました。また、これまでの地域や自治体という枠を超え、地域住民と行政が一体となったアートプロジェクトを継続的に実施し、プロジェクトに関 わった人たち、アートに出会った人々に心(精神)的な高揚、また文化意識の変革と活性化を促進し、物質的なものとは異なる“心による地域(都市)づくり” の可能性を考えるものです。
フォーラム2006〈岩国〉では、Jean Sasportes Tetsu Saitoh DUO Japan tour 2006から世界を舞台に活躍するコントラバス奏者の齋藤徹さんとダンサーで俳優のジャン・サスポータスさんをドイツからお招きし、お二人による音楽とダンスのデュオパフォーマンスをご紹介いたしました。
前回の「キッズパワープロジェクト2005」とは100パーセント趣を変え、言葉や文化、あるいは国境を超えた「おとな」の表現、成熟していてしかも人間の本質 に迫る普遍的な問題を問いかける独特の表現を存分に楽しんでいただける、として実行委員会スタッフ一同の他、地域ぐるみで開催実施することとなりました。


往年のオペラ歌手/ジャン・サスポータス
 


young girl・待つ女/ジャン・サスポータス 




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フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DOUパフォーマンスpart1

  • 2011.03.23 Wednesday
  • 19:26


フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DUOパフォーマンスpart1

2006年9月20日wed 19:00〜20:30
山口県民文化ホール ・ シンフォニア岩国




この企画は、山口県東部地域において芸術文化の振興発 展、活力と潤いのある地域づくりを考える文化的なムーブメント(運動)を起こす10年計画「M21プロジェクト構想」の一環として位置づけて開催されました。また、これまでの地域や自治体という枠を超え、地域住民と行政が一体となったアートプロジェクトを継続的に実施し、プロジェクトに関 わった人たち、アートに出会った人々に心(精神)的な高揚、また文化意識の変革と活性化を促進し、物質的なものとは異なる“心による地域(都市)づくり” の可能性を考えるものです。
フォーラム2006〈岩国〉では、Jean Sasportes Tetsu Saitoh DUO Japan tour 2006から世界を舞台に活躍するコントラバス奏者の齋藤徹さんとダ ンサーで俳優のジャン・サスポータスさんをドイツからお招きし、お二人による音楽とダンスのデュオパフォーマンスをご紹介いたしました。
前回の「キッズパワープロジェクト2005」 とは100パーセント趣を変え、言葉や文化、あるいは国境を超えた「おとな」の表現、成熟していて しかも人間の本質 に迫る普遍的な問題を問いかける独特の表現を存分に楽しんでいただける、として実行委員会スタッフ一同の他、地域ぐるみで開催実施することとなりました。


コントラバス/斉藤徹 


地から/ジャン・サスポータス 



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個展とアートエネルギーについて

  • 2011.03.23 Wednesday
  • 16:51

地方にいて、これまで精神風土をつくることを最強のアートと考え、地域ぐるみで各種アートプロジェクトに取り組んできた。美術家としては矛盾するかもしれないけれど、造形的にみて有形の作品とは異なる、いわば運動としか言いようのない「無形のアート」があっていいのではないかと思っていた。つまり、文化的な土壌とでも言えばいいのか、それを培う精神的な風土のようなものができないか、と。
また、その取り組みが行政と一体となった地域の住民(市民)運動として継続され根づいていくことを夢みながら、作家としての創作活動を平衡して展開し個展や各地の美術コンペに出品してきた。
東京での個展は10数年ぶりだったが、展覧会では、多くの美術関係者や同じようなプロジェクトに関わって活動している作家、それをサポートする方々にもお会いし励ましを受けた。最終日には、「アートムーヴ2003」や「アートフォーラム2006」などの他、岩国のぼくたちともお馴染みのコントラバス奏者の齋藤徹さんと即興的なライブまで仕出かしてしまい、本気で遊ぶ齋藤さんとのプレイからとてもいい刺激を受けた。
今回の作品に対して不思議だったのは、30年前に東京で発表した「from the nothing」の作品と共通したものを感じたことだった。制作意図(コンセプト)が全く違っているにも拘らず、どこか類似した点があるとすればそれはどういうことなのだろう。30年を経て、それなりに頑張ってきたつもりだったが大して進化していないということなのか。それとも無意識のところでつながっているものこそが本質的なものであると結論づけられるのか。この事実に多少の戸惑いを覚えながらも、ぼくは大きな課題を与えられたような気がした。 
また、ギャラリーのあり方と可能性について、もっとアグレッシヴで多様な運営スタイルがあっていいはずだと痛切に感じた。つまり、欧米中心の価値が失われアートの多様化が求められる現状をふまえてみれば、従来の中央集権的なギャラリーの役割とは違う可能性とアプローチが求められていると思うからだ。換言すれば、欧米に対してアジアがあって当たり前であり、中央に対して地方があっていい、もはや東京も世界の地方として振舞うほかないということかもしれない。

(SESSION HOUSE / Annual Report 2010より)


 

東京で活動をつづけるセッションハウスの伊藤さんから昨年の活動報告「アニュアル・レポート」が送られてきた。その中に書いたぼくの拙文を掲載しました。

今回の震災のふれ、日本を脱出してこちら(ヨーロッパ)に来たらどうか、とのお誘いや予定されていたヨーロッパを拠点に活動しているダンサーの公演中止、また親しくしていた南アフリカの友人もシンガポールへ脱出したとのこと。
それぞれの立場、それぞれの思惑を察しながらも過剰な反応、事態の対応にかなりの温度差を感じ戸惑っているとのことだった。

確かに、原発事故は楽観できない深刻な状況であり風評被害や買占めなどの問題もあるけれど、可能な限り冷静にみつめながら状況判断し行動するしかないのかもしれない。

 

 

 


 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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