ムラサキモクレン
- 2011.03.30 Wednesday
- 16:14
わが家の庭のムラサキモクレンのつぼみがはじけそうです。
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絵画のいろは展2011のチラシが仕上がってきました。といっても、展覧会は5月18日からでまだまだずいぶん先のことになります。
この展覧会は隔年(ビエンナーレ)形式で開催する「絵画のいろは展」と称するグループ展で、今回は第10回展となります。
本展は絵を描きはじめて間もない人から山口県美術展覧会、岩国市美術展覧会をはじめ他の美術コンクールなどで活躍している人、またこれから美大、芸大を受験する高校生や中学生を含む原田美術教室の研究生による油彩、水彩、アクリル、鉛筆・木炭デッサンなど200点で構成するものです。
今日、私たちは過剰な情報(メディア)と過剰な消費の現実を迎え、アイデンティティーの喪失感と実感(リアリティー)の質的変化の状況に直面し混乱を招いています。
「絵画のいろは展」では日頃の研究成果を発表することと同時に、人と人、表現と表現のふれあいの中で単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え何を発見することができるのか、その可能性と意味について考えています。絵画の“いろは”とは、このように制作上の技術の問題だけではなく、日常的な生活のあり方そのものへの問いかけに他ならないのです。
この展覧会が[文化的な営みと豊かさ]また[活力と潤いのある生活]とは何か、という問いについて考える契機となり、少しでも地域文化の向上と振興発展に寄与することを目的とするものです。
会期:2011年5月18日wed⇒5月22日sun
会場:山口県民文化ホールシンフォニア岩国
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福島第一原発の事故、東京電力の武黒副社長(?)の会見はいつ見ても腹が立つ。きわめて自己防衛的で保身的だ。その気持ちだけが伝わってきて何の説明もできていないから腹が立つ。おもわず、殴りかかりたくなるのはどういうことか。ただ単に個人的な問題だけじゃないような気がする。この事故、何一つとして対応できていない気がする。保安院やテレビで説明している東大の先生たちでさえおそらく何も分かっていない。そのことだけはよく分かる。つまりは手の施しようがない、お手上げの状態なのだ。
若い頃、化学を少しかじった程度のぼくでさえ、この事故は当初から圧力抑制室を含む格納容器系が破損していたことが明らかだ、ということくらい察しがつく。そうでなければ格納容器(系)外にあたる建屋の上部にたまった水素が爆発するはずがない。爆発した時点で閉じられた格納容器の系外に高濃度の放射線を含む冷却水や水素が漏れたと解釈するのが当たり前だと思うからだ。
原発にしろ、化学プラントにしろ、およそこうしたシステムはクローズシステムで設計されている。熱量が外部に出るのはそれだけロスしていることなのだ。そういう意味ではこうしたプラントにおいてロスと考えられるのは、コモンスタックやフレヤースタックから放出される熱量とクーリングタワーから放出される水蒸気と水の他にはない。
そう考えれば原子力発電ほど単純なシステムはない。問題は核反応が停止された後、莫大な余熱をもつ燃料棒を冷却するための冷却装置のバックアップシステムなのだ。それは、「想定外」という言葉の使用が許されないくらいの高度なシステムでなければいけない。今回 は大地震でこの装置のすべてが破損し自家発電系も機能しなかった。それにしてもこの地震列島を前提として考えれば、信じられないくらいお粗末な3段階程度のシステムだということに驚いた。なぜ北陸や関西など他の電力会社からのバックアップ系が設置されていないのか、せめてそのくらいは常識的で当たり前のことだ。
原発の原理はこうだった。核分裂反応で高エネルギーの水蒸気をつくる。すなわちその水蒸気でタービンを回して発電力を生産する単純なシステムなのだ。タービンを回すことでエネルギーを失った水蒸気は復水となって、再度原子炉圧力容器へと送られる。手元にモリエル線図でもあれば簡単に算出できる単純なものなのだ原発というものは、とあえて言いきってみたい。
この繰り返しで、その系は常に閉じられているのだから、仮に冷却水が失われて燃料棒が水面から露出して水素が発生したとしても、それがクローズされた系の外、すなわち建屋の上部にたまることはありえない。ところがそうなったということは、大地震やメルトダウンで格納容器や圧力抑制室、タービン、さらにそれらをつなぐ配管やフランジ、バルブ等々のパッキングやボルトが破損して高濃度の放射線を含む冷却水や水素が漏れたと考えるのが普通ではないか。そういうところがいったん漏れはじめるとエロージョンやコロージョンという現象で益々その漏れは大きくなるのだ。ぼくなどのシロートはそういうイメージで考える。
違うなら教えて欲しい。東大の先生たち。
ぼくがわからないのは、メルトダウンを起こしてても制御棒で停止させた分裂反応をそのまま制御できるのかということ。核燃料とともに制御棒ごと溶融することがメルトダウンとすれば、再び分裂反応が起こり臨界点にまでいくしかないのか、ということ。仮にそうなったら、核燃料の総体的なボリュームから汚染されるエリアを早急に計算して退去する必要性を示すことではないかと考える。そして、わかりやすく説明して欲しい。それは、米国スリーマイル島や原爆の何倍なのか、と。
経済効率を最優先する会社の管理システムはどうか。分業化による下請け雇用のあり方がその問題に関連している、などということは火を見るよりも明らかなのだ。原発労働の実態は厳しく辛い。とても過酷だ。
放射線量が振り切れ、それを知らせるアラームがなり続けていても、無視して作業を続行することで効率と達成感を優先する風潮が日常的にあったことが指摘されている。
この事故の収束の見通しはないまま、原子炉は冷却されず燃料棒は溶融を続けている、さらに、周辺では高濃度のセシウムやプルトニウムが検出された。それでも原子炉格納容器の健全性が維持されているといわれるその根拠は何か。
マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」その2
2007年10月31日(wed) 19:00〜
山口県民文化ホール・シンフォニア岩国
ダンスワークショップ
このワークショップはマドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」岩国公演の関連企画として行なわれました。
10月31日の本公演を前に、地域の人とともにダンス表現を通してふれあい、ダンスの楽しさ面白さを知るための出会いを求めて行なわれたものです。
予想以上の多くの方々が参加され、活気に満ちたワークショップになりました。
本公演を前に行なわれたダンスワークショップ
打ち上げ(交流会)
マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」は、2008年文化庁芸術祭「舞踊部門」の新人賞に輝きました。
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マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」その1
2007年10月31日(wed) 19:00〜
山口県民文化ホール・シンフォニア岩国
本公演は、山口県東部地域において芸術文化の振興発展、活力と潤いのある地域づくりを考える文化的なムーブメント(運動)の実現を目的とする10年計画(M21プロジェクト構想)の一環として位置づけるものです。
私 たちはこれまでの地域や自治体という枠を超えて、地域住民と行政が一体となったアートプ ロジェクトを継続的に実施し、プロジェクトに関わった人たち、アートに出会った人々とともに心(精神)的な高揚また文化意識の変革と活性化を促進し、物質 的なものとは異なる“心による地域(都市)づくり”の可能性を考える、としていくつかの取り組みをしてきました。
今 回は芸術監督の伊藤直子さんを中心に新しいダンス表現を探求するマドモアゼル・シネマとドイツ在住の映像作家・梶村昌世さんをお招きし、「旅するダンス “不思議な場所”」を総合的な舞台芸術として開催するものです。「未来を志向するノスタルジア」をコンセプトに活動を続けるマドモアゼル・シネマの身体表 現と梶村昌世の映像作品の共時性がもたらすものは何か。個々のダンサーたちの身体が内包する記憶や皮膚感覚を基に、家や家族を主題として展開される様々な 身体表現を存分に楽しんでいただけるものと思っています。
このフォーラムが現代社会の諸問題と私たちの現在を見つめ、これまでの価値観を相対的に捉えかえす眼差しとともに、豊かな想像力をもって将来の「地域」「文化」「暮らし」について考える契機ともなれば幸いです。(主催実行委員会より)
マドモアゼル・シネマ2007旅するダンス「不思議な場所」は、2008年文化庁芸術祭「舞踊部門」の新人賞に輝きました。
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いつもの気持ちに戻りたいと思うのだが、今回の地震と津波、さらに原発事故によるダメージは相当大きなものだった。「どうしてこんなことになってしまったのか」と連日の報道を見るたびに途方にくれ脱力状態から抜け出せないでいる。
みんなで頑張って復興をめざすほかない、ということは分かっている。だが、なかなか立ちあがれない程のダメージを食らっている。気持ちが前に行かないのだ。ひたすら耐え、頑張っている被災された当事者たち、不眠不休で懸命に頑張っている自衛隊や消防レスキュー隊のほかすでに復旧活動に取り組んでいる人々をみていてもだ。つまり、直接的な被災のないぼくたちでさえ、それだけ強烈な精神的ダメージをうけているということかもしれない。
連日報道される行方不明となった人の救出、避難所のようす、深刻な事態がつづき見通しの立たない福島原発の事故と大量の放射線の漏れ、どこまで汚染されるのか。この事故が復旧の大きな妨げになることは確実だろう。
戦後に生まれて60年、大きな災害にもあわずにそれなりに生きてきた。いや、生かされてきたのかもしれない。国の経済発展とともにそれなりに豊かになってきたかにみえたが、一瞬のうちに津波にさらわれた。挙句に原発事故による大量の放射線による環境汚染ときた。一体どういうことだったのか?
人口の10パーセントが国土のわずか0.6パーセントの土地に集中する巨大都市をつくった。それはそれでそれなりの経済効率と急成長を果たす大きな意味があったのかもしれないけれど、きわめていびつな国の形であることは否定できないことも確かなのだ。これまでひたすら東京をささえてきた東北がやられた。
これまで培ってきた価値観、生き方が否定されたように打ちひしがれた気分なのだ。おそらくは、敗戦後がそうだったのかもしれない。何を信じればいいのだろう?と思ったに違いない。
かつては、近海の魚と田畑を耕し、四季折々の農産物を食べ、豊かな自然とともに共存する高度な文化を形成し発展してきたはずだった。
いろいろな思考が無念さとともに錯綜している。だが、事態は一刻もはやい復興に取り掛からなければならない待ったなしの状況だ。新しいエネルギーも確保しなければ今の生活も成り立たない。とりあえず、市場原理、グローバル資本主義経済の旗の下で復興することしかないのかもしれない。
しかし、この災害は何だったのかと考えるとき、人災的な多くの要素があることも決して無視することはできないのだ。それは分かっている。だから、復興のその先にどんな希望を求め、より高度な文化、より豊かな経済や国のあり方を考えるかということ。その思想が問われることになる。おそらくは地球規模でその対応を迫られているような気がしてくるのだ。
地震列島日本に原発エネルギーは馴染まないことだけははっきりした。それでも、欲望のウロボロスのごとく原理主義を唱えながらこの国は原発をやるしかないというのだろうか。そして、米国や中国をはじめ世界も同じことなのか・・・・
多くの人にとって今、似たような気持ちとやりきれない無念さが錯綜し様々な思いが去来しているのではないだろうか。ぼくはそう思う。だから、簡単には「頑張ろう、日本!」などとは言えないし言いたくもない。だが、やるしかないことは決まっている。
フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DUOパ フォーマンスpart2
2006年9月20日wed 19:00〜20:30
山口県民文化ホール ・ シンフォニア岩国
フォーラム2006〈岩国〉ジャン・サスポータス&斉藤徹DUOパフォーマンスpart1
2006年9月20日wed 19:00〜20:30
山口県民文化ホール ・ シンフォニア岩国
地方にいて、これまで精神風土をつくることを最強のアートと考え、地域ぐるみで各種アートプロジェクトに取り組んできた。美術家としては矛盾するかもしれないけれど、造形的にみて有形の作品とは異なる、いわば運動としか言いようのない「無形のアート」があっていいのではないかと思っていた。つまり、文化的な土壌とでも言えばいいのか、それを培う精神的な風土のようなものができないか、と。
また、その取り組みが行政と一体となった地域の住民(市民)運動として継続され根づいていくことを夢みながら、作家としての創作活動を平衡して展開し個展や各地の美術コンペに出品してきた。
東京での個展は10数年ぶりだったが、展覧会では、多くの美術関係者や同じようなプロジェクトに関わって活動している作家、それをサポートする方々にもお会いし励ましを受けた。最終日には、「アートムーヴ2003」や「アートフォーラム2006」などの他、岩国のぼくたちともお馴染みのコントラバス奏者の齋藤徹さんと即興的なライブまで仕出かしてしまい、本気で遊ぶ齋藤さんとのプレイからとてもいい刺激を受けた。
今回の作品に対して不思議だったのは、30年前に東京で発表した「from the nothing」の作品と共通したものを感じたことだった。制作意図(コンセプト)が全く違っているにも拘らず、どこか類似した点があるとすればそれはどういうことなのだろう。30年を経て、それなりに頑張ってきたつもりだったが大して進化していないということなのか。それとも無意識のところでつながっているものこそが本質的なものであると結論づけられるのか。この事実に多少の戸惑いを覚えながらも、ぼくは大きな課題を与えられたような気がした。
また、ギャラリーのあり方と可能性について、もっとアグレッシヴで多様な運営スタイルがあっていいはずだと痛切に感じた。つまり、欧米中心の価値が失われアートの多様化が求められる現状をふまえてみれば、従来の中央集権的なギャラリーの役割とは違う可能性とアプローチが求められていると思うからだ。換言すれば、欧米に対してアジアがあって当たり前であり、中央に対して地方があっていい、もはや東京も世界の地方として振舞うほかないということかもしれない。
(SESSION HOUSE / Annual Report 2010より)
東京で活動をつづけるセッションハウスの伊藤さんから昨年の活動報告「アニュアル・レポート」が送られてきた。その中に書いたぼくの拙文を掲載しました。
今回の震災のふれ、日本を脱出してこちら(ヨーロッパ)に来たらどうか、とのお誘いや予定されていたヨーロッパを拠点に活動しているダンサーの公演中止、また親しくしていた南アフリカの友人もシンガポールへ脱出したとのこと。
それぞれの立場、それぞれの思惑を察しながらも過剰な反応、事態の対応にかなりの温度差を感じ戸惑っているとのことだった。
確かに、原発事故は楽観できない深刻な状況であり風評被害や買占めなどの問題もあるけれど、可能な限り冷静にみつめながら状況判断し行動するしかないのかもしれない。