脱モニュメント

  • 2011.02.28 Monday
  • 13:45


隅に追いやられた澄川氏の作品

27日(日)は岩国市民会館で午後から「九条の会岩国」主催の寺子屋勉強会があった。長年にわたって米軍岩国基地を監視しそれに関する様々な問題を研究してこられたきた市議会議員の田村順玄さんの講演があった。

最近の様子からこれまでの経緯について分かりやすく話された。沖合いに移設されたメイン滑走路のほか、戦闘機の離発着可能な誘導路がなし崩し的に東西に整備されたことからNLP(タッチ&ゴー)訓練のキャパシティーが保障されること、空中空輸機のミサイル搭載化、愛宕山問題などにもふれた。

また、同館展示ホールでは万葉集に関係する草花の掛け軸や写真、盆栽などが展示されていておもしろかった。これはめずらしく市民会館主催事業だった。

帰りがけにふと見ると、正面玄関に設置されていた彫刻家澄川喜一さんの「フェニックスの翼」という作品が、いつの間にやら行事予定表に押しやられて端っこに移されキャプションもほとんど見えなくなっていた。
そういえば、前にもこのようなことがあった。岩国の芸術作品はこのように絶えず変化するのだ。ぼくはこの現象を「
脱モニュメント」といっている。
新庁舎が建てられたときも、旧庁舎に設置されていたレリーフ作品が取り壊され“かわり果てた状態”で新庁舎公園の片隅に保存されている。
ぼくたちが2004年に行った「錦帯橋プロジェクト」でも、参加アーティスト戸谷成雄さんの作品「灰餅の木」が当時の公園管理公社の手によって伐採され壊された。このときは大騒ぎになったなあ。

田村さんの講演では基地問題に対する岩国市の行政的対応もその都度変化してきたということだったが、ポリシーのないところでは一貫しているともいえるしその資質は変化することはない。ということか・・・



 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

雑草の島(プロトタイプ)

  • 2011.02.26 Saturday
  • 17:53




船のような構造体に、植物が植わっているこの作品は、もともとは、スコットランドの国立公園内の湖に浮かばせるパブリックアートの案として発表されました。この植物は、セイヨウシャクナゲを中心とした草木群です。セイヨウシャクナゲはその花の華やかさから、18世紀に植物学者によってスペインから園芸用として持ちこまれ、人々に愛好されました。しかし、その強い繁殖力から、現在は野生化し、スコットランド固有の動植物の生態を脅かすとして、土地の所有者や自然保護団体に雑草として駆逐される存在です。春に咲く花として、皆に愛されている植物が、一方で、悪者扱いされる現状。雑草となったシャクナゲのために作られたこの島は、その国の景色を作りあげる物は何かという問題を投げかけます。

広島市現代美術館で開催中の「サイモン・スターリング展」より



 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

ド・スタールという画家

  • 2011.02.26 Saturday
  • 10:58


青い花瓶の花/1953/oil on canvas

ニコラ・ド・スタールというロシア生まれの夭折の画家がいる。独特の画風で具象と抽象の狭間を行き来し揺れ動いた稀有な作家である。ピカソに見出され南フランスのピカソのアトリエで過ごした才能豊かなアーティストだった。ド・スタールは常に揺れつづけていた。画風も生き方も純粋であるがゆえに大きな悩みを抱えもつことになった。

 

1955年、ド・スタールは彼がその前年に住み始めたアンティーブの砦のアトリエの真下の城壁の上で屍体として発見された。41歳だったという。彼は10年来、偉大な画家たちを受け継ぐ重要なアーティストとして、時代の期待を一身に担い、国際的にも名声を得ていたという。

 

十数年前、この夭折の画家の展覧会がひろしま美術館で開かれたことがあった。周南市美術博物館の前館長森川紘一郎さんが、同美術館在籍中に開催した最後の企画が「ニコラ・ド・スタール」展だったという。だから、「ド・スタールに関しては少々うるさいよ」とぼくは早々と釘を刺されてしまったことがある。日本でも高い人気を誇るアーティストの一人だといっていい。

 

今おもえば、この作家は独自のスタンスで新しい絵画を追求し続けていたのではないか。

独特のあの色彩、あのマチエール、あのフォルム。ド・スタールは具象と抽象の狭間で揺れつづけながら何を考えていたのだろう。また、何を求め、そして絶望したのか。ぼくたちは残された作品と向きあうことでしか彼を理解することはできない。

 

 

 

無知な友人ほど危険なものはない

  • 2011.02.25 Friday
  • 18:47


熊の敷石(堀江敏幸著、講談社文庫)

この間から堀江敏幸の本ばかり読んでいる。いま読んでいるのが『熊の敷石』(講談社文庫)で、この著者が芥川賞を受賞した作品。だから、結構初期の作品ということになる。これはおもしろい!

ところで、このタイトル『熊の敷石』の意味、わかりますか・・・。ヘンなタイトルだと思いませんか?
これって、“迷惑なお節介屋”ということだそうです。読みすすめていくとその訓話があります。

・・・人間はもちろん、どんな動物でも近寄らないへんぴな山奥に、一頭の熊が住んでいた。しかしさすがの熊も、話し相手のいない孤独な生活が疎ましくなってきた。一方、そこからほど遠からぬところに園芸好きな老人が独り暮らしをしていて、物言わぬ花だけが相手の生活に、こちらもだんだん嫌気がさしてきた。誰か仲間が欲しい。そう思って老人が外に出ると、おなじように退屈して山から下りてきた熊にばったりでくわした。恐怖に身の竦む思いを味わいながらも老人は熊を自宅に招き、料理を振舞う。意気投合した彼らはいっしょに暮らしはじめ、熊は狩に出かけ、老人は庭仕事に精を出した。ただし、熊のいちばん大切な仕事は、老人が昼寝をしているあいだ、わずらわしい蠅を追い払うことだった。ある日、熟睡している老人の鼻先に一匹の蠅がとまり、なにをどうやっても追い払うことができなかった「忠実な蠅追い」は、ぜったいに捕まえてやると言うか言わぬか、「敷石をひとつ掴むと、それを思い切り投げつけ」、蠅もろとも老人の頭をかち割ってしまったのである。

つまり、無知な友人ほど危険なものはない。賢い敵のほうが、ずっとましである。ということになる。

この物語は著者がフランス滞在中に出会った友人ヤンとの微妙な気持ちのゆれ、すなわち“違和と理解”について思索するもの。つまり、なんとなく理解でき、なんとなく感じる気持ちのズレ、を主題としてユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子らと向き合うことで真実を浮き彫りにする創造の物語なのだ。

半分、まだ読み残しているけれど、だんだんおもしろくなってきたところ。
この知的な文体、素晴らしい作品であることは間違いない。

 

 

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーボン(ヒロシマ)

  • 2011.02.24 Thursday
  • 15:23



自転車をよく見ると、自転車のチェーンが、チェーンソーのチェーンに入れ替わっています。この作品は、作家が10年以上様々な場所で行ってきたパフォーマンスおよびデザイン・プロジェクトで、進行中のシリーズとして現在も継続しています。この自転車はペダル付きの原動機付自転車「モペッド」をモデルに、チェーンソーのモーターを動力にして自走します。また、チェーンソーは取り外せば、本来の役割のとおり、木を切り落とすことができます。チェーンソーで切り落とした木を薪にして、チェーンソーを装備した自転車に積みこみ旅をする。この作品では、チェーンソーは2重の役割を担っています。

広島市現代美術館で開催中の「サイモン・スターリング展」より

 

 

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

 

オートザイロパイロサイクロボロス

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 19:12




小さな汽船が水面を進むスライド写真。しかし、よく見ると、この船が船体そのものを切り取り、それを燃料にして動いていることがわかります。作品のタイトルは、自分のしっぽを食べる空想の蛇で、永続性、無限をあらわす「ウロボロス」から着想を得ています。この船が渡っているのは、スコットランドのロング湖。ここは汽船の発祥地であり、風光明媚な観光地でありながら、一方でイギリス海軍の原子力潜水艦の本拠地がり、海軍の活動に反対する平和団体と30年以上にも渡り小競り合いが続いている、何かと騒がしい場所です。猫とねずみのドタバタな追いかけっこを描いたアニメーション『トムとジェリー』のように、または、1970年代に活躍した作家、ゴードン・マッタ=クラークらの解体行為のように、自らの体を食い尽くし、やがては沈んでいく船の姿は、真剣でありつつも、どこか滑稽で、喜劇性を伴っています。

広島市現代美術館で開催中の「サイモン・スターリング展」より。



 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

春を告げるこの梅

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 14:27



これは近所の高原さんちの梅。

こいつが咲きはじめると春が来たことになる。

今朝みると2、3のつぼみがはじけていた。

ということは、あと1週間もすれば満開になるはずだ。

 

 

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

まだまだだな〜この猫

  • 2011.02.23 Wednesday
  • 14:24



最近の志士丸。

ずいぶん、大きくなったよ。

あまり咬まなくなってきたし、けっこう落ち着いてきた感じ。

でも、これみるとまだまだだな〜 

 

 

 

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

 

メジロ&ヒヨドリ

  • 2011.02.22 Tuesday
  • 14:23

 

メジロたちにみかんをあげたら、ヒヨドリがすぐにやってくる。
ヒヨもあの身体をキープするのに必死なんだろうなあ。
このほか、ジョウビタキ、
ルリビタキ、ホオジロなどもくる。
ときどき、セキレイも・・・

キジバトがいたときはびっくりしたもんだ。
愛宕山がなくなってからは、野鳥たちも必死で餌を探しているのだろう。

 

 

 

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生誕100年 香月泰男 ─追憶のシベリア─

  • 2011.02.21 Monday
  • 15:19

32日〜58

山口県立美術館



山口県長門市三隅のアトリエで、戦争とシベリア抑留の体験を描きつづけた画家、香月泰男(1911-74年)。1947年にシベリアの収容所から帰国した香月は、その半年後に描かれた《雨 <牛>》から、絶筆となった1974年の《渚 <ナホトカ>》まで、一つまた一つと「シベリア」の記憶を紡いでいきます。四半世紀あまりのあいだに、57点の油絵に結実した「追憶のシベリア」。それらはいつしか「シベリア・シリーズ」と呼ばれるようになりました。
シベリアから帰国後、香月は愛する家族とともに生まれ故郷の三隅で穏やかな生活を送りました。しかし、平穏な暮らしのなかで、過酷な抑留の記憶がふいに目 を覚まします。あの寒さ、あの疲労、あの絶望・・・。忘れたい、でも忘れられない、忘れてはならない惨めさと労苦の日々は、生涯、香月をとらえて離しませ んでした。「シベリア・シリーズはこれで終わりにしよう・・・」そう思いつづけながら、最期まで「シベリア」から逃れられなかった香月泰男。シベリア・シ リーズをとおして、その心の軌跡をたどります。(チラシより)

 

 

彼の代表作は、シベリア抑留から復員した直後の1947年から没年(1974年)まで描き続けられた57点のシベリア・シリーズといわれています。

 

 

ぼくの美術教室では、この作家の作品と仕事ぶりを顕彰する意味もあって、児童コースの子どもたちによびかけ、「香月泰男ジュニア絵画大賞展」に応募することにしています。

幸いにも、これまで多くの入選入賞を果たしていますが、このことを契機として家族連れで香月美術館に出かけ、香月泰男だけでなく広く芸術全般に興味をもっていただければと考えています。

今回の展覧会では、同シリーズを7年ぶりに全点展示することになっていると聞いています。これは本当に楽しみです。乞うご期待!

 

 

ランキング参加
にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ人気ブログランキングへクリックしてね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728     
<< February 2011 >>

原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

IMG_0840.jpg
優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

地図を広げて.jpg

地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

517ydey48iL._SX361_BO1,204,203,200_.jpg
ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

DSC02741 (480x640).jpg
マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

51R+Apq-0JL._SX370_BO1,204,203,200_.jpg
ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

141031_1706~01.jpg 
きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

41J43ixHw8L._SS400_ (2).jpg
あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

69663364.jpg
くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

413lMQXsDeL._SS500_.jpg
なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

414gBTpL75L._SX334_BO1,204,203,200_.jpg
ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

518ICmgpwKL._SS500_.jpg
 
だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

100917_2226~01.jpg
まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

IMG_0104.jpg

オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg
そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM