Mくんが訪ねてきた

  • 2010.08.31 Tuesday
  • 11:59
久しぶりにMくんが訪ねてきた。「こんばんは」。
黒縁のメガネをかけていたので一瞬誰かと思って「Mか?」という。「お久しぶりです」。
「おおーっ、元気か?」。

受験コースの高校生が帰ったばかりのことだった。
「今日はお休みでしたか?」「いや、最近は時間が少しずれていて8時過ぎには切り上げる感じになっているんだ」。

京都造形芸術大学の4年になるMくんは、よく見ると高校時分とあまり変わってはいなかった。太ってもいないしやせてもいない。
「どうするよ。就職決まったのか」と聞くと、「いや、まだです」。

なかなか厳しい情勢だと聞いた。
学部コースでもまだ決まっていない学生の方が多いらしい。

Mは3、4年後には父の会社をつぐための準備をすることが決まっていて、それまで好きなことをやるつもりで就職活動をしている。ある意味では恵まれている、ということになるかもしれない。
高校時分からおっとりしていておとなしい性格だった。

3、4日して京都に帰って、別の会社を受けるといっていた。
父の会社を継ぐことになっても芸術を楽しめる生き方をして欲しいとぼくは思っている。



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ゴトウ・シュウ展

  • 2010.08.29 Sunday
  • 15:08



2010年9月11日〜10月11日 13:00~18:00
アート・プラットフォーム
東京都杉並区天沼3-10-4セーヌハイツ102
tel.03-5335-5486(中央線荻窪北口徒歩6分)


芸術の秋が近づいているのか、友人の個展の案内が続々ときています。これは岩手県在住のゴトウ・シュウさん。彼とは1〜2回しかお会いしていないのですが、古くからの友人のようで不思議な感じがしています。

むかし、銀座の3丁目あたりにあったフマギャラリーでやっていた頃からぼくが拝見していたからかもしれません。その頃の彼はブリジット・ライリーばりのオプティカルアートみたいなことをしていました。

日本橋でやったぼくの個展に来てくれて、当時飯能にいた彼のアトリエにお邪魔したころから現在の触覚的ともいえる絵画に移行してきたように思います。私が朝起きて3階から覗いていると、すでに3本のイーゼルにセットした画面にむかっていた姿を記憶しています。

そのころはブラッシングの仕事でしたが、ぼくはこの頃の作品も好きでした。その後はお会いしていませんが、岩手に移住して小学校の跡地を活用しながら精力的に制作しています。



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村中保彦金工展

  • 2010.08.28 Saturday
  • 20:18


2010年9月1日〜5日

アートドキュメント2004錦帯橋プロジェクトに参加された金工作家で彫刻家の村中保彦さんが高校時代の同級生で住職をされている源空寺で個展を開催します。

源空寺は周防大島町戸田1955、tel.0820-76-0226、1〜3日は10時から18時まで、4〜5日は10時から17時までとなっています。



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県美展の搬入がはじまった

  • 2010.08.28 Saturday
  • 13:13
山口県美展の搬入がはじまっている(27〜29日まで)。

わが研究生たちも何人か応募するといって頑張ってきた。

この展覧会は全国に先がけて改革された県美展で「山口方式」とまで言われ注目されてきた。

保守的で若い人には魅力のないかつての形骸化した展覧会のあり方を30年も前に改革したのだ。

「みる」「つくる」「ささえる」をキーワードとして総合的な美術普及をめざすことになっている。

審査委員も県外から招聘し現代的な方向性を結果的に突き進んでいるのが面白い。

その内容も全国水準にまでレベルアップしてきたといっていい。

だが、このようなコンペ形式の美術展につきまとう「お祭り」的な側面は否めない。

それでも、審査は公開され運営委員会によってそのあり方が毎年繰り返し検討されている。


この点は透明性があり健全な運営状況にあるといえるだろう。

岩国は県境に位置していて遠いのだが、何とか健闘を祈りたい。




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消える米畑

  • 2010.08.27 Friday
  • 20:23

 

 

 田園には人情と人びとの生きる姿がある(イ・キ・ト・シ・イ・ケ・ル・モ・ノ・・・)
田んぼは、日本の文化とその営みの現場そのもの(ヘイホッ、ヘイホッ)
働く人びとの労働ダンスのような動きをもとに、前田哲彦遺作の緑色した布帯状の田んぼ空間の中にムーヴァーは参上し、土とともに生きる。
布は生々しい自然をうみだし、ゆっくりと消えていく。いとおしい時間と記憶。
スタジオに現出する田園と果てしない労働ダンスにご期待ください。(チラシより)

さんから3つの公演のご案内をいただいた。その中の一つ『消える米畑』というダンスパフォーマンスがこのほど東京/スタジオ・ムービングアースで行われた(82025日)。
里のプロジェクトを計画している私としても興味深い内容だ。上京した際には是非とのご案内だったが残念。

本作part27「消える米畑」は、1989年ニューヨークで初演。今回が日本ではじめての全編上演となっている。
スタジオというより小さな空間を逆手にとり、劇場では感じ得ないような舞台設定で、まさに米畑の〈現場〉ただ中に身をおいていただくというからますます面白そうだ。
ケイタケイが、アメリカを拠点に多国籍のメンバーと活動をしていた1989年、日本の田園のうつくしさと減反、公害に現状を憂いつくったというLIGHTシリーズ代表作の一つ。
斎藤朋

 

 

 

 

 

・・・たとえばpart27『最後の米畑』にちりばめられていたのは、田植えや収穫、盆踊り等、田んぼをめぐる日本の原風景のような情景。ところが初演当初、ケイタケイは「田んぼはインターナショナル」だと語り、米畑を日本固有のものと捉えていなかった。そこに暮らす人間の暮らしに直結し、その国ごとにニュアンスの違う畑に感動する、との言葉も記憶に残っている。
LIGHT」には米畑に加えて、野菜や麦、石、風、さらには創作畑まで、さまざまな畑が登場するが、それらは決して特定の場所の畑ではない。彼女にとっての畑とそこで行われる種々の行為は、食べること、生きること、創作すること、すなわち人間の普遍の営みの象徴にほかならない。ケイタケイは、独自の語彙で不変の世界を描き出す振付家のなのだ。(上野房子:ダンス評論家)

ケイタケイ:舞踊家、振付家。ケイタケイ’sムービングアース・オリエントスフィア主宰。1969年「LIGHT,part1」にてニューヨーク・デビュー。これまでシリーズ全32partを創作、世界各地で公演する。1979年と1985年日本招待公演。「24時間LIGHT」を、米国、東京、ベルリン、ウェールズにて上演などなど。2008年アメリカン・ダンス・フェスティバル75周年記念にてソロ公演。さまざまな表現者との共同作業も多い。フルブライト・スカラシップ賞、ナショナル・エンバーモン芸術助成金、グッゲンハイム・グラントほか振付賞、Meet The Composer賞、日本舞踊批評家協会賞、ニムラ舞踊賞などを受賞。

 

 

 

 

 

おもしろいことやっているね〜、東京は。
舞台をイメージするだけでも本当に楽しくなってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者の所在不明問題

  • 2010.08.27 Friday
  • 17:05
全国で高齢者の所在不明が相次いでいる。最近になって、わが岩国市でも同様の問題が報道された。なるほど、信じられない内容だった。大阪市は25日、市内に本籍地があり、戸籍上は生存している状態になっている120歳以上の高齢者が 5125人いると発表した。最高齢は、江戸時代の1857(安政4)年9月4日に生まれた152歳の男性。いずれも住所地は不明だ。

山口県防府市では文政7年(1824年)生まれの186歳男性の戸籍が残っていると発表。因みに、この前年に勝海舟が生まれている。また、愛知県高浜市では、1867(慶応3)年生まれの142歳の女性が戸籍上、生存している状態になっているという。同市に住民登録はなく、生存は確認できないとのことだ。こうした問題はどう考えればいいのだろう。

ことの発端は高齢者の遺体発見報道から死体遺棄事件、年金の不正受給から行政の執行問題へと変容してきた。有権者としての選挙管理面でのあつかいはどうなっていたのだろう。世界に冠たる長寿国の平均寿命に関する信憑性に影響はないのか。われらが住む地域には100歳を超える高齢者は何人生存しているのだろう、などと市の職員でなくても知りたくなってくるのが普通の感覚かもしれない。

だが、一般的な行政職員や公務員の感覚はちがうのだろうかと思いたくなる。われわれがこれまで接してきた行政の対応から察すると、「行政マンはだらけている」「仕事をサボタージュしている」という結論がでる。これまでのかかわりの中では特に教育行政機関の対応が最低だった。

この国の行政は壊れているのだろうか。そういえば、消えた年金問題がすぐに脳裏に浮かんでくるけれど、正直なところきりがない。民間の感覚なら許されないことだ。当然のことながら責任が問われていいはずだろう。だが、だれも責任を負うことはない。思考が麻痺している状態にあることに気づこうとしないからますます腹が立ってくる。行政が信用できなければ、年貢を納める気にもならないのは当然となる。

芸術の秋に向けて市の美術展の出品要項を久しぶりに見てみると、相変わらず50年前からほとんど改善されていなかった。10年前に改革を求めるアクションを起こしたのだが何も考えられていない様子が分かる。どうして指摘を受けた問題を考えようとしないのか。これをサボタージュといって何が可笑しいかと思う。



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個展をふり返ると

  • 2010.08.26 Thursday
  • 15:48


このたびの個展では久しぶりにおこなう東京での発表とあって、いろいろな面で不備があったかもしれないが、ほぼ納得のいくものとなった。私としては、気分はすでに11月に開催する周東パストラルホール(旧周東町文化会館)での発表と里人へのアプローチとなっている。
パストラルホールではこのたび東京で発表したように新作のドローイングインスタレーションと合わせてこれまでの絵画、立体作品を並べる予定としているのだが…。
東京の作品については“外へと向かう作用(働きかけ)”が、これまでの営為においても特徴的でおもしろいという指摘を受けた。そのことは、ある意味で私の作品における重要なコンセプトとなっているところでもあった。つまり、対象をこちら側の特別なテクニックでねじ伏せ非日常的な作品世界として措定することではなく、いわば日常と非日常の間をある時間をともないながら往復する中で確認され作用する状態を願う「中間態」とでもいうべき様式にこだわっているということかもしれない。したがって、作品の意味を理解しそれと気づくのは、その場で出会う人々にゆだねられ言語化されるものと信じてきたからである。
分かりやすさが求められ限界芸術が取りざたされる今日的状況においては、やや観念的な趣があり差異を感じられるかもしれないけれどこの問題は70年代からまったく未解決のままであり、この国の政治と同じくあたり障りのない程度に右往左往しながらうやむやになっているのだ。
負け惜しみではないけれど、そのようなことを考えながらやってきて還暦を目前にすると、多くの人が会場に来てくれることだけでなく信頼できる奴とどんな会話が出来るかということの方が大事になっている。そう考えるなら、このたびの個展では実に多くの人と引き合わせていただいたことが何よりもありがたく嬉しかった。
これまで、精神風土をつくることを最強のアートと考え、地域ぐるみで取り組んできた各種プロジェクトの方向性と意味づけは、まんざら捨てたものでもなく決して間違ってはいないと確信することもできた。とりわけ“ダンス白州”を20年間引っぱってきた
斎藤朋さんや、取手や我孫子、雨引で頑張ってきた旧友・島田忠幸、横浜の衛守さん、これからNPOで頑張るという秋川さん、丹野さん、EUジャパンフェストの古木さんなど多くの人に出会えとこと等々。アートがどれ程のものであり何が出来るかはわからないけれど、私たちがまだ気づいていない潜在的な力を里や地域、あるいは都市空間の中ででも引き出すことは可能かもしれない。
最終日の齋藤徹(コントラバス奏者)さんとのライブやその前日に彼らが“ポレポレ座”で行った齋藤徹&久田舜一郎(能楽)ライブで体験した不思議なざわめきと驚き…。斎藤さんは本気で遊ぶことの意味の大きさについて本人のブログでこう指摘している。『長年やっていると、自分の得意な技術や方法が、かえって自分を縛ることがあります。技術を身につけると技術に囚われてしまう。特にその人のオリジナルな技術・方法と認知されている場合は特にそういう危険性があります。』
私としてもはじめてのことではあったが、それまで意識の底(無意識、あるいは集合的無意識のところ)で眠りこけていた感覚が揺り起こされ血が騒ぐようなざわめきを感じる高揚感があった。地方にいてふだん周囲から“先生”などと言われていると、いつの間にか感性は愚鈍化し痴呆化する。胸をなでおろすように、思わず「危なかった」という安堵とともに私は眼の覚めるような不思議な体験を味わった気がした。

 


 


就活か編入か・・・

  • 2010.08.25 Wednesday
  • 19:04
昨年、大阪芸術大学の短期大学部に進学したUという娘が久しぶりに訪ねてきた。

Uは明るい性格で好感がもてるいい娘だった。

就活か編入(進学)かの相談かと思っていたら案の定。

大阪芸大の日本画コースへの編入が具体化しているとのことだった。

実力的に本当にやっていけるのか不安があるともいっていた。

かなり具体化しているのなら思い切ってそこで頑張るように励ました。

日本画は特殊なコースかもしれないとも言った。

まったく自由な領域よりも、ある程度制限された中でこそ自分らしさを探りやすいとも考えられる。


2年間はあっという間でもあるし、仮に方向転換しても決して無駄にはならないとも言った。

何でも効率よく進めば良いというものでもないはずだとも・・・

就活もあるけれど「作品出来たら、また訪ねてきてもいいですか」という。

そりゃあ、いつでもOKとぼくは励ました。

とにかく、頑張って欲しいものだ。



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MRI検査

  • 2010.08.25 Wednesday
  • 14:14


MRIの検査結果がでた。

結果は問題なしということで一安心。

還暦を目前にして念のための検査だった。

CT検査は一度経験していたが、MRIははじめてのことだった。

ガチャガチャ音がして結構やかましいのだが20分程度で終わった。

昨日、その結果を聞くためYクリニックへ。

ぼくの主治医はそのクリニックの院長だ。

「どうでしたか」「問題ないよ」

「そうですか、脳みそが腐っていないかと心配でしたが・・・」というと

「心配ない」とのことだ。

CDを開いて説明をしてくれた。

鼻から脳天にかけての断層写真を見せられる。

「問題ない」「血管系も異常なし」

当分、大丈夫ということになった。





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木工で『虫かご』をつくろう!

  • 2010.08.21 Saturday
  • 17:42
とにかく暑い日が続いています。

今日は子どもたちの美術教室。


子どもたちは今年が特別に暑い夏だとは感じないらしい。

夏は毎年暑く宿題がある、ということくらいしか考えていない。


「去年と今年、どちらが暑いと思うか?」と聞いても

さほど、関心はないらしく「分から〜ん」と言うだけ。

大した問題とは考えていないのだろうか・・・

「でも、熱中症でたくさんの人が死んでいるんだよ」と言っても・・・

「・・・?」

子どもにとっては常に今が大事ということなのか。

この意識のズレ方は私たちとは違っていておもしろいと思った。




今日は木工で『虫かご』をつくることになっていた。

何人かはお休みとなったが、10人で簡単な工作をした。

完成するところまではいかなかったが
ほとんどは出来ている。

次週はこれに紐を取り付けて完成させる。


それをすませてから、来週は『建物を描こう』ということになった。

香月泰男ジュニア絵画大賞展への応募作品を描くのだ。



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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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