キンの近況

  • 2009.09.30 Wednesday
  • 17:07


最近のキンは何を考えているのだろう。リンパ腫の癌が悪化しているのかあごの下のコブ状のものが大きくなっている。
一日おきに通院して中に溜まった膿を出してもらい
、消毒をして抗生物質をうってもらうのだがかなり痛そうなのでかわいそうだ。
だから、家に帰るとかなり落ち込んで部屋の隅でじっと我慢している。
もう、かわいそうで痛めつけない方がいいのかもしれない・・・・

最近はすこし食欲も減ってきている。不安で心細いのか私たちの近くによってくる。
私が寝そべってテレビを見ていると必ずお腹にあがってくる。背中をなでてやるとゴロゴロと気持よさそうにする。すると頭をつけて静かに眠っている。
最近のキンはこうした時間が一番安らいでいるように思えるから私もしばらくそのままでいる。
あごの下は血のりがべったりついている。かゆいときに掻くから出血するし毛もぬけるのだ。かわいそうに思う。
何も悪いことはしていないのにどうしてキンがこうなるのか分からない。
今日はガレージにある車の上で久しぶりにのんびりとくつろいでいたので思わず写真を撮った。
よく我慢しているし頑張っていると思う。キンはいい奴だ。


ここ一週間、部屋の隅でボーっとしているときがある。認知症になったようにひっそりとしているのだ。もう死期を察しているのだろうか・・・
もう、キンのわがままは何でも聞くようにしているが、キンはわがままを言わないでひっそりと過ごしている。



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断片提示シリーズ

  • 2009.09.30 Wednesday
  • 11:27


bummei HARADA
Untitle・無題/1979/120.0 ×165.0 cm/plywood、stainless steel、oil
作家蔵


断片提示シリーズの作品について、一つの要素となっている青・原野・壁等々について具体性はない。それらはきわめて個人的な観念の断片として、比較的アカデ ミックなマチエール(素材)ででっち上げられたものにすぎない。精神的所産という美名のもとに制作され、かつて否定された欺瞞した化物である。しかし、私 はマチエール(素材)を一つの物質としてみている。平面的次元における断片的構成の域において、行為自体がマチエール(素材)や観念的要素と等価に提示されている側面をもっている。

このように私の作品が行為性を含む断片的な三重構造により成り立ち、単に個人的なレベルにおける観念の対象化でないことはこの他の作品においても明白になるだろう。そしてその構成的要素は行為とものの関係性において今もなお私の仕事の主流となって展開されている。



FACE5

  • 2009.09.30 Wednesday
  • 11:26
FACE5

私の車のダッシュボードの顔。かなり壊れた顔のような気がした。
むりな顔 ・・・・・・・ このフレーズは気に入った。




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断片提示シリーズ

  • 2009.09.29 Tuesday
  • 11:09


bummei HARADA
Untitle・無題/1980/15.8×22.7 cm/oil on canvas/作家蔵 



断片提示シリーズの作品について、一つの要素となっている青・原野・壁等々について具体性はない。それらはきわめて個人的な観念の断片として、比較的アカデ ミックなマチエール(素材)ででっち上げられたものにすぎない。精神的所産という美名のもとに制作され、かつて否定された欺瞞した化物である。しかし、私 はマチエール(素材)を一つの物質としてみている。平面的次元における断片的構成の域において、行為自体がマチエール(素材)や観念的要素と等価に提示さ れている側面をもっている。

このように私の作品が行為性を含む断片的な三重構造により成り立ち、単に個人的なレベルにおける観念の対象化でないことはこの他の作品においても明白になるだろう。そしてその構成的要素は行為とものの関係性において今もなお私の仕事の主流となって展開されている。





携帯電話

  • 2009.09.29 Tuesday
  • 11:07
最近、携帯電話を新しい機種にかえた。



新しくしたのはいいけれど、使い勝手がちがっていて少々面食らっている。
まず、メールがおかしいことになっている。
どのようにおかしいのかというと、着信履歴の表示がアドレスだけになっていて誰からきているのかが分かりにくい。
内容を見れば何となく分かるが、これではなかなか使いにくい。やっぱり、前の機種の方が良かったと後悔が先に立つ。

あれこれ設定を変えてやってみるがなかなか分からない。あきらめて、教室の高校生たちに聞いたほうが早いなと思いはじめていたのだが、思い切ってセキュリティーロックを変えてみることにした。早々にアドレスロックを入れておいた方がいいだろうと入れてはみたものの、アドレスロックって何だろう?いちいち面倒だし、オートロックだけでいいのではないかと思いそれを解除してオートロックだけにした。
するとどうしたことでしょう、あーら不思議。アドレスロックを解除したらやっとメールの名前がでてきているではないか。ここで納得・・・めでたしめでたしとなる。
全てこんな調子だから時間がかかるのだ。

本当はその前にマナー設定をどうするのか理解するのに1日かかった。コンサートなどでモード変更が必要なことはすぐにありそうだから、これだけはちゃんと知っておかなくてはと心配だったのだ。
これは何のことはない、分かってみればバカみたいなことだった。恥ずかしくてここに書くこともできないくらいだ。

それにしても携帯電話の機能はどこまで進化するのだろう。いちいち付き合っているとたまったもんじゃない、こりゃあたいへんだ本当に。
若い人はこれに対応できるというから凄いよな〜

ちなみに、まだダウンロードの仕方が分からない・・・・・
平原綾香の「ノックターン」とコルトレーンの「マイフェバレットシングス」をダウンロードしたいのだ。

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具体絵画 Work 08-01

  • 2009.09.28 Monday
  • 13:31
具体絵画

bummei HARADA
Work 08-01/17x22 cm/2008
ボード、新聞、アクリル、鉛筆、和紙


具体絵画とは、これまでの抽象絵画や具象絵画のように物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質(素材)のあり方それ自体が目的となっています。

ここでは、行為と物質がもたらす一回性の出来事が絵画を構成する重要な要素と考えられ、作為的な感性によって空間へと展開されます。そして、生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な表現といえます。

つまり、具体絵画はイリュージョンを否定するものではありませんが、描かれたものとは異なる具体的な物質性を絵画に於けるきわめて重要な構成要素とする独特な考え方に基づいています。






キヨという人

  • 2009.09.27 Sunday
  • 12:18

門前のグランマ・モーゼスおばちゃん(山口のアンリ・ルソーあらため)

一般のコースで永年にわたって絵を描きつづけている高林キヨさんは大正15年生まれであるから今年で何歳になるのだろう。
80歳は軽く過ぎているのだが、勝気な性格と執念とも思われる貪欲さで絵画制作に励んでいる。絵画だけでなく短歌をこよなく愛し、短歌会でも指導的立場にある。
自作の短歌集、合同短歌集も数多く出版している。知的好奇心があるのかないのかわからないところもある。かつては読書の会や民謡教室なども積極的に取り組んでいたようだ。
習うこと自体がすきなのか憧れなのか分からないところがある。それでも、絵画と短歌だけは頑張っている。
NHKの短歌コンクールで入選したこともあるのだが、短歌会の友人で歌人・又野萋さんからは絵画のほうが才能があるといわれているらしい。
「ムンク描く叫びのように足ひきて白い闇行く誰もいない」は自信の一作だという。さらに、白い闇というのがいいのだと解説がある。

私が見るところ、この人は知的好奇心がありながらも、決して絵画を理解しようとはしていない感じがあるのだ。だが、自分をためらうことなくさらすことができる稀有な人である。馬鹿もさらすし醜さもさらす。もちろん大いに良さもさらす正直なところが生命線だと言っていい。後は執念・・・
頑固なご主人と死別した後もひたすら制作を続けている。比較的若いアッシー君を見つけてはいそいそと出かけることもできる。決して子どもさんたちと同居しない。同居できない性格だとわきまえているようでもある。本当におもしろい人だ。若者にはない若さがある。
一時期、体調を崩して歩くことができなかったが、今は何とか歩けるようになった。周囲の人は「どこで治したのか」「どうやって治したのか」と驚いて聞いてくるらしい。
私は「執念で治したといってやれ!」と冗談交じりに言う。年齢的にもどういう訳か親みたいなもので言いたい放題だ。
若い人の会話にも入ってきて話題をさらって嫌われることもよくある。食べ物の話になると、そうそう「体のために、そうするといい」などというから私は言ってやるのだ。体のためばかり考えるなと言ってやる。
「80を過ぎるといけない」などと愚痴るから、「80まで生きたのだからもういいじゃないか」と言ってやるが、それでへこたれるような相手ではない。なかなかしぶといのだ。
気をきかして労わろうとすると、きびしく指導してくれというから凄いと思う。下手をすると限界を指摘されたと逆に落ち込まれてしまうのだ。
私の知るところでは、この年で現役で制作できる人はこの町にはいない。







ウォーキングphoto

  • 2009.09.26 Saturday
  • 10:38


善教寺通りをぬけて臥竜橋(椎尾神社があるから椎尾通りともいう)通りを過ぎると岩国一丁目にはいる。かつては城下町で栄えたところだ。この界隈をウォーキングphotoでうろうろする。
この路地伝いはおもしろく、とてもとても一日では終わらなかった。つづきは次回のお楽しみ。
そのまま真っすぐに歩いていくと錦帯橋の正面に出るのだが、左手に私たちがよく行った片山酒店(一時、店主が病気したがその後元気になった)、右手に旅館半月庵がある。2004年、私たちが錦帯橋プロジェクトでお世話になりながら騒いでご迷惑をお掛けしたところ。(女将さん、あの時は申し訳ありませんでした)


 

碁盤のマス目状になっていて、横にぬける路地も風情があって好きなところだ。
ひとすじ中に入ると玖珂町通り。



画像をクリックしてください

江戸時代の商家松金屋(現國安邸)がある。国宝級であるが現在は県有形文化財登録の建物。
ここではアートフェスタいわくにというイベントで作品「流れ」(2001)「流れの形状」(2002)を発表した。また、共同空間ドキュメント2002「流れ」、2003「流れ」を企画プロデュースして、音楽とアート、朗読などのコラボレーションをした。




土手町通りに面して漬物「うまもん」のレトロ館がある。ひと昔前は銭湯だった建物。



左に入ると材木町通りがあり、漬物「うまもん」がある。作家・宇野千代も立ち寄ったと店主のNが自慢していた。



そのすぐ傍に見つけたかつての理髪店。昭和初期のお店なのかレトロな風情が残っている。

そういえば、2001年の「アートフェスタいわくに」でおもしろい奴に出会った。
当時、九大の工学部建築科の学生でこのあたりを銭湯を建てることで町を再生するのだと言っていた。卒業制作でもどういうわけか評価が高かったらしい。
玖珂町、材木町、土手町通り、登冨町通りそれぞれにヨーロッパの広場に代わる銭湯で憩い(コミュニティー)の場をつくるといって大真面目に駄洒落銭湯計画を発表していた。おまけに五橋にちなんで五つの効能(効果)まで唱えていたからかなり曲者だ。
原田君というおもしろい学生だった。今はりっぱな建築家として活躍していると思う。




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断片提示シリーズ

  • 2009.09.25 Friday
  • 16:55

画像をクリックしてください

bummei HARADA 
Untitle・無題/1980/45.5×53.0 cm/oil on canvas/作家蔵



撮影とプリントの条件の違いからblueの色が異なってみえますが、Talens社のSevres blueを4、5回塗り重ねた発色の色合いでほとんど同一のものです。




アンリ・ルソーとTさん

  • 2009.09.25 Friday
  • 11:07




NHKのテレビ番組に「迷宮美術館」と「週刊ブックレビュー」というのがある。再放送があって、私は日曜日の23時頃からBS2で放送されるこの二つの番組を楽しみにしている。
いつだったか、アンリ・ルソーのように専門的な美術の勉強はしていないけれど、絵を描くことが好きで第一線での仕事を退いてから無心に制作した作品が評価され、著名なアーティストとして活躍した素人画家の特集があった。ルソーはピカソにその才能を見出されたと番組で紹介された。ルソーの他に、イギリスやアメリカ、フランスにも同じように素人画家がいて紹介された。実は私の美術教室にもTさんという80歳の生徒がいて、この人のことを思い浮かべた。

アンリ・ルソーを知らない人はいないかもしれないけれど、確かに素人画家よろしく造形的には稚拙なところがある。しかしながら、やはり天才的な才能があってあの特有の名画を数多く残した。なんの衒いもなく、素直な気持ちで描く素朴派と言っていい。

番組で紹介されたアメリカの作家グランマ・モーゼスは夫を亡くした後、趣味にしていた刺繍に打ち込むことで悲しみを乗り越えようとして頑張っていたが、持病のリューマチが悪化してできなくなった。その時、娘から絵なら負担が軽くて良いのではないか、との進めによって描きはじめたという。風景画が得意で古き良き時代のアメリカの原風景とでもいうべき作品を数多く描いた。それも見て描くのではなく、記憶にある風景を刺繍するようにキャンバスを手に持って描いた。偶然、その作品を見かけたニューヨークの画商が「すべての作品を買い取りたい。何点あるか」と訪ねてきた。留守中のことだったので、応対した娘は10作あると返事をした。帰宅した本人にその話をいうと9作しかなかったので困った。そこで問題。この人はどうしたのでしょう?と司会者。答えは「一つの作品を二つに切って10作にした」というのが正解。番組に登場したゲストの中から正解の数によってベストキュレーターを決定し表彰するクイズ番組となっている。


晩年にはトルーマン(?)大統領にも招待され、テレビや映画にも出演しインタビューにも応えるくらい有名になったという。「どのようにして絵を描いたら良いのか、どんなことが難しいか」という質問に応えて、「絵を描くことは難しいことではないわ、ただ始めれば良いのよ」といった。番組で紹介された素人画家に共通しているのは「ただ、一生懸命になって描く」ということではなかったかと思った。

私が指導しているTさんも一生懸命に描いている。最近、私は同じようなことを言って指導しているような気がする。「上手に描けなくていい。一生懸命に描くことで必ずいい絵ができる」と。しかしながら、多くの人はどうしても上手に描こうとして悩む。おかしいところを探してそれを修正しようとする。どうしてなのか本当に不思議に思う。これでは絵は面白くならないはずだ。


Tさんは一生懸命に描いても絶対に下手である。専門的な技術を学んではいないが、どういうわけか人に負けたくないとでもいうような意地で描き続ける。これほどオリジナリティーのある絵を描く人を私は知らない。

本人は、それほど自覚しているわけではなくて「ただ一生懸命、見たままを描くだけ」と言っている。見たままを描くと言いながら、絶対に正確な形にならないところが天才的である。だから、私はTさんにこう言うようにすすめる。出来るだけ大げさに、恰好よく「心の眼で、見たままを描く」と言いなさいと。Tさんは嬉しそうに私のアドバイスを拒む。 

60代後半から絵を描くことをはじめ、80才を過ぎて山口県美展で入選入賞を果たし、ただ一生懸命に描き続けるこの人のことを私は山口県のアンリ・ルソーだと思う。(あーとランダムより)

 

 

 



 

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原田美術教室の活動


♛ 第16回絵画のいろは展
2023年11月15日wed〜11月19日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ20名で構成するものです。 アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということから、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。 「絵画のいろは」とは、このように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。 特に今回は子どもたちの作品を含めて広く深くそのことを考える風通しのいい構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与したいと願うものです。














子どもの作品が大人気








♛ グループ小品展2024
2024年10月3日(水)〜10月6日(日)
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









 

♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



本展は1990年代のはじめ頃から具体絵画として精力的に発表してきた一連の絵画作品とドローイングとインスタレーションによる新作13点で構成するのものです。













原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


ジャングルジム(2022年ゴブリン書房)


ひみつの犬(2022年岩崎書店)
「いい人間になるのって難しいよ」とお姉ちゃんは言った。(p238)
児童文学として哲学的な問いをふくむシリアスな問題を子ども特有の感覚と生き生きとした表現で描いた長編物語。


わたしのあのこあのこのわたし(2021年 PHP研究所)

すれちがいながらも 助け合う ふたりの物語

秋ちゃんはすごく怒っていた。「とりかえしがつかない」と秋ちゃんはいった。
「二度と手に入らない」ともいった。どの言葉もわたしに命中した。
きいている途中から心臓がどきどきしはじめた。
わたしは秋ちゃんの怒った顔だけを見ていた。
秋ちゃんの怒りがどんどんふくらんでいくのがわかった。
秋ちゃんはわたしをゆるしてくれないかもしれない。


ネムノキをきらないで(2020年 文研出版)
この物語はおじいさんの家の庭にあるネムノキをきる話からはじまる。ぼくはネムノキをきることに反対だが枝がのびすぎてあぶなくなったから樹木医さんに相談して剪定してもらうことになった、ということだ。
「だめ、だめ。」と、ぼくは泣きながらいった。「こまったなあ。」とおじいさんはいった。お母さんはぼくの頭をなでようとした。ぼくはその手をふりはらった。「ばかだ。おとなはみんな大ばかだ。」ぼくにはもっといいたいことがあった。ネムノキについて。でも、どういえばいいかわからなかった。(…略)胸のなかは嵐のようだった。いろいろな気もちがぶつかり合っていて、どうすればもとのような落ち着いた気もちになれるのかわからなかった。(本文よりp16〜17)
家に帰った伸夫はつぎの朝、自分の部屋をでるとき何も知らずに柱をとおりかかったイエグモをつぶしてしまったことに気づく。


おとうさんのかお(2020年 佼成出版)

岩瀬成子の最新作「おとうさんのかお」が佼成出版社から出版されました。

「遠くを見ろっていったんだよね。おとうさん」と、わたしはいいました。「え」と、おとうさんはわたしをみました。「わたし、思いだした。このまえ、大川で思いだしかけていたこと。じてん車のれんしゅうをしていたときのこと。おとうさんは、『目の前ばっかり見てちゃだめ。もっと先のほうを見なきゃ』っていったよ」「そうだったかな」「『先のほうだけでもだめ、ときどき、ずっと遠くを見るんだ。ずっとずっと遠くだよ。山のむこう遠く』っていったよ」(本文よりp87)


もうひとつの曲り角(2019年 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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地図を広げて(2018年 偕成社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


ともだちのときちゃん(2017年 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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ちょっとおんぶ(2017年 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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マルの背中(2016年 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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ぼくが弟にしたこと(2015年 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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きみは知らないほうがいい(2014年 文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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あたらしい子がきて(2014年 岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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くもりときどき晴レル(2014年 理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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なみだひっこんでろ(2012年 岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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ピース・ヴィレッジ(2011年 偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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だれにもいえない(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)


小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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まつりちゃん(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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オール・マイ・ラヴィング(岩瀬成子著、集英社)

■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

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そのぬくもりはきえない(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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