伝説の水西ロンド

  • 2018.07.21 Saturday
  • 09:52

 

今から30年近くも前のことになるけれど、岩国にユニークな文化活動をする《水西ロンド》というグループがあった。だが、その組織のことをいろいろな人に聞いて調べてみてもどういうわけかはっきりしたことが分からない。

つまり、いろいろな人が個別にいくつかの企画にかかわっただけで、この組織の活動やその全体像について知る人にお目にかかったことがない。組織の中心にいた人物が五橋建設社長の襖田誠一郎であったことは何となくわかっているものの詳しいことは今もって不明のままなのである。

残念なことにはこのユニークな活動を芸術文化都市と宣言する岩国市の文化関係者や行政担当者でさえ誰も知ることがなく、結局のところ何の資料も保存されないまま一部の市民の記憶をのぞいて忘れ去られる状況となっているのである。

だが、この活動にかかわった当時の若い人たち(いまは還暦をすぎてしまったけれど)には多大なインパクトと影響をあたえ、今も彼らの語り草として伝えられている。

ぼくの知るところではかつてこれほどまでに全国から注目された岩国の文化事業はなかったと云っていい。だが、その痕跡をたどることさえできないことはいかにも残念でならないのである。

行政機関にも図書館にも資料として保存されるものはなく何もなかったように無視されるのはなんとも残念な気がするし悔しい気もするのだ。

芸術文化都市と大きな看板をあげるだけでは市民文化は成り立つはずもなく定着することさえできないだろう。このように岩国が直面する問題は基地問題のみならず、市の文化活動を支える後継者が出てこない現状もきわめて深刻な事態であるし大きな問題といえる。

 

メセナ協議会の辻井喬は機関紙「メセナnote」に日本国憲法の前文を引用しながらこの国の文化力について次のように力説している。日本が国際社会において名誉ある地位を締めることができないのは文化力の低迷にあるとし、それは建物の数や書籍の部数などではないとしている。文化は国際的な外交の信頼を高め政治を浄化する働きをもつ意味でもこの国の将来にかかわるきわめて重要なことである、と。

話を分かりやすくするためにこの国を岩国市に置き換えてみるといい。岩国の現状はどうかといえば文化協会に寄りかかっているだけで担当行政独自の自主企画として地域づくりに貢献できる文化事業は皆無に等しいといっていい。

それはともかく、ここでは「伝説の水西ロンド」として彼らの活動を思いおこし、わずかにぼくの記憶に残るものだけを記述しておきたいと思う。

 

《水西ロンド》は当初からその組織名で活動していたかどうかさえ定かではないが、ぼくの知るところでは最初の取りくみとしては(‥痛土という役者の朗読だったように思う。

その頃、わが家は横山にあって狭い借家にいろいろな友人が集い「夜の会」と称して酒を飲みながら社会や文化の問題について語り合う勉強会のような遊びごとを明け方まで延々と続けるという宴を月ごとにしていた。

その席で岩国の横山に在住する高校教師Ⅿから「バカなことをする同級生がいて」とその朗読のことを教えてもらったのがはじまりだった。

その後、∪鄒沼生櫃肇戞璽轡好箸離圈璽拭次Ε灰丱襯箸箸DUOパフォーマンスと続いた。これは何処で行われたのかもぼくは知らない。

ピーター・コバルトについても誰がつれてきたのか知らないが、襖田自身がすべての企画にかかわってきたのかさえ知る由もない。おもしろいのは後にぼくたちとも馴染みのあるコントラバス奏者・斎藤徹との共演でコバルトのことを知ることとなったという繋がりも考えてみれば不思議なことである。

さらに、I馥Р函Π伽醉了劼劼いる白桃房による公演が吉川家の別邸・水西書院にて行われた。この公演は大変おもしろく画期的な舞台だったと思う。観客は座敷にて鑑賞するが演じる舞踏家らは一段下にある庭を舞台として演じるもので座敷いっぱいの多くの観客を楽しませてくれた。だから上演中に岩徳線の電車が通過したし、詩人の杉本春生さんもおられて一緒にこの舞踏を楽しんだ記憶がある。公演前日には白桃房はデモンストレーションとして錦帯橋でも舞踏を演じ、観光客から怪訝な眼を向けられ、かなりの顰蹙(ひんしゅく)を買ったということも今やおもしろいエピソードとして伝えられ記憶されている。

 

その後、錦帯橋と川原一帯で行った1988年の環境アートプロジェクト。あいにくこの頃のぼくは高知で行われたポリクロスアート1989展にかかわっていて詳しい経緯を知ることもなかったのである。

このプロジェクトは当時としてはめずらしくアートが美術館やギャラリーを出て社会と積極的にコミットする動きとして注目された。大倉山アートムーヴなどとともにその先駆けとして注目されたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロジェクトに参加したアーティストも全国的に注目されていた柳幸典、霜田誠二、スタン・アンダーソン、池田一、土屋公雄、千崎千恵夫らが集結し殿敷侃とともに現地制作し大きな反響と県内外からも多くの観衆を集めたのであった。

わずか3日間の会期中に白為旅館の3階で行われたシンポジウムでも美術関係者のみならず多くの観衆で満席となり参加アーティストや美術家、美術館学芸員やジャーナリストの参加で熱気を感じさせ地元の若者にも大きなインパクトを与えた。

このことは環境アートプロジェクト図録と平成の錦帯橋架け替え事業にともなう解体材料を使って取りくんだぼくたちのアートドキュメント2004錦帯橋プロジェクト図録における実行委員長で詩人・野上悦生の「錦帯橋伝説異聞」(アートドキュメント2004錦帯橋プロジェクト実行委員会)を参照されたい。

また、その錦帯橋プロジェクトで横山の洞泉寺で行われたシンポジウムにおける美術ジャーナリスト村田真による記念講演でもそのことは詳しく紹介されていた。

 

だが、このような画期的な取りくみに対して岩国市の文化協会をはじめとする美術関係者や教育関係者のコミットが一切なく、ほとんど無視されていることも不思議な現象として特筆しておかなければならないだろう。

その後、《水西ロンド》の活動がどのような経緯を辿っていったのか不明のままなのだが、当時の状況を考えてみれば今のように芸術文化基本法もメセナ活動もなく助成制度も整わない状況下で、資金づくりから企画立案を含むこれほどの事業に使うエネルギーを想像してみるだけでも決して無視されていいはずのものではなかった、ぼくはそう思う。

近ごろの行政府のように好き好んでやっているのだから自己責任だと云うかもしれないけれどそれはちがう。身柄を拘束されたジャーナリストやタイの洞窟から救出された子どもたちを自己責任と決めつけ否定することはできない。江夏の21球でさえ自己責任というなら野球も文化も芸術もありえないし学問の進化も成立しないだろう。

大そうなことをいうつもりもない。今ではSNSやインターネット、PCによるデジタルデータを記録することも可能になったけれど、襖田誠一郎のことを思えば《水西ロンド》の記録は記憶に残るだけでいいのか、という残念な気持ちがこみあげてくるのである。

彼自身は「いまさら・・」と苦笑するだけかもしれないけれど、これから文化活動や地域づくりにかかわる次世代の市民にとってこの活動を知るすべもなく、顕彰や研究さえできない現状は決して満足できるものではないしきわめて残念という他ないのである。

 

 

 

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絵画のいろは展2017


2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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グループ小品展2018


2018年10月3日(水)〜10月7日(日) シンフォニア岩国
主催:原田美術教室会員
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015


2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


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『地図を広げて』(岩瀬成子著 理論社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。

『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる 理論社.jpg
『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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