スイセン

  • 2018.03.25 Sunday
  • 18:32


春がきています。わが家のスイセンが咲いています。

中央の木の幹はモクレンでこちらのつぼみもかなり膨らんできています。



新しくオープンしたばかりの『ふぁむずキッチン』へ行ってみると多くの客で賑わっていました。





帰りに錦帯橋の桜をみるとチラホラ咲きはじめていますが、やはり今週の土日がピークになりそうです。




タラの芽も収穫、、、

奈緒ちゃんとその家族

  • 2018.03.19 Monday
  • 16:03

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てんかん症と知的障害をもつ少女・奈緒ちゃんとその家族を撮りつづけた人がいる。このドキュメント映画の監督兼プロデューサー・伊勢真一さんだ。伊勢さんは奈緒ちゃんの母・西村信子さんの実弟で奈緒ちゃんの叔父さんということになる。

このドキュメント映画『やさしくなあに』は1983年クランクイン、奈緒ちゃんシリーズの最新作である。

家族とは? 夫婦とは? 姉弟とは? 多くの問いを発するように「けんかしちゃいけないよ。やさしくなあにって言わなくちゃ・・・」と奈緒ちゃんはいう。

家族それぞれの思いと悩み、伊勢真一監督のまなざしは家族の現実を包み込むようなあたたかさとやさしさに溢れている。

35年にわたる『奈緒ちゃん』シリーズは、奈緒ちゃんが8歳のころから撮影されてきたもので、いわば35年間の記録ということになる。『奈緒ちゃん』『ぴぐれっと』『ありがとう』『みなみ風1・2』『やさしくなあに』と作品化され、自明のようにこの監督のライフワークとなっているのかもしれない。

 

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ぼくの教室の教え子にも3歳で髄膜炎にかかり「てんかん症」と「知的障害」をもつ子がいたけれど、今ちょうどこの映画の奈緒ちゃんと同じくらいの年齢になっているのかもしれない。

その子はお父さんの仕事の都合で宇部市に転居したのだが今でも年賀はがきで近況を教えてくれる。最近ではボーリングの全国大会などに出場して元気で頑張っているという。

2006年の国民文化祭(山口)で行われた宇部の彫刻展のとき食事に誘われ自宅を訪ねたことがあった。奈緒ちゃんの家族と同じように明るくてあたたかみのある良い感じの家族だった。

 

この映画で特に印象的なのはとにかくお母さんのパワーと奈緒ちゃんの笑顔だ。

ここでは夫婦の問題、お父さんの葛藤、奈緒ちゃんの弟・記一さんのどうにもならない深い思いや悩み、母の実弟でなければなかなか撮りづらい難しい局面でも出来るだけ忠実に丁寧に描かれていて感動的である。

2016年相模原市の障害者施設殺傷事件にふれ、奈緒ちゃんの母・信子さんが「私たちを嫌っている人もいる」と発する言葉にドキッとさせられた。その事件でも各方面から福祉のあり方についていろいろな指摘があったけれど、隔離保護の充実だけではなく障害をもつ人とともに共生・共有する社会がどのように実現されるべきかと考えさせられる。

そしてこのことは、ぼくたちの老後とも重なる切実な問題であるともいえる。

 

尚、この映画の自主上映の問い合わせは「いせフィルム」まで。

連絡先はこちら(TEL 03-3406-9455  FAX 03-3406-9460  Email:ise-film@rio.odn.ne.jp)

 

米軍のスポーツ関連施設

  • 2018.02.18 Sunday
  • 18:23

かつて、岩国の市民に親しまれてきた“鎮守の森”(愛宕山)にこんな施設が、、、。

 

 

ソフトボール施設が2面。背後に見えるのは国立医療センターの関連施設。

 

 

米軍のキズナスタジアム正面入口。日米の国旗があげられています。

この間は広島カープ由宇二軍球場の一部補修工事のためカープ二軍キャンプが3〜4日間おこなわれ、ルーキーの中村選手目当てに多くのファンが詰めかけたばかりだ。

 

 

バックネット裏の観客席。5月には広島カープ二軍の公式試合が予定されているらしい。

 

 

こちらは内野席スタンド。今日は地元の野球愛好家たちが練習していますね。

 

 

こちらは外野席方向。

 

 

米軍岩国基地の滑走路もよく見える。手前左下は高水高校、岩国短期大学。

 

 

こちらは完成されたばかりの陸上競技場、背後にはカルチャーセンターの関連施設。

 

 

バスケット施設2面。そのほか、バーベキューなどが楽しめる関連施設が10〜20個、遊園施設やグリーン広場を囲むように外周にはジョギングコースも備えられている。

 

すごい施設が出来たもんだ。極東最大級の高機能を備えた複合的な新基地の〈おもいやり〉施設だ。

つまり、これらの施設は米軍再編を受け入れ軍事戦略都市となることと引き換えに借用が許可されたということになる。

今日は久しぶりの好天気に誘われてはじめてこの施設を散策してみたが、少子高齢化が著しい岩国にとって今後どんな意味をもってくるのだろう。

 

さらに、テニスやサンドバレーなどの施設も完備されることになっているという。

 

 

食と農の映画祭in岩国

  • 2018.01.13 Saturday
  • 20:13

ドキュメント映画『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督作品)

2018年1月20日(土)10時30分〜上映  13時30分〜上映

シンフォニア岩国多目的ホール

一般:前売り800円(当日999円)高校生以下:500円(当日券のみ)

 

 

探検家で医師でもある武蔵野美術大学教授・関野吉晴による「食」の探検 一杯のカレーに何を知る?

 

霊長類学者・京大総長山際寿一さんも絶賛!!

ヒトは他の生き物を食べなくては生きられない。でも生き物って何だ。そんな単純なことがわからなくなった現代を、食の一切を体験することによって考えなおす衝撃の授業。

 

 

この作品は探検家で医師でもある武蔵野美術大学教授・関野吉晴さんんと武蔵野美大の学生たちによる課外ゼミによる2015年の活動から「一からカレーライスを作る」取り組みを記録したドキュメント作品だ。

関野さんの意図は「モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくる。カレー作りを通して学生たちに色々なことに”気づいて”もらいたい」とするものでこの呼びかけに100名を超える美大生たちが集まったという。

「おいしいカレーが食べたくて・・・」そんなつもりで始めたが、思うように野菜は育たず、雑草に悪戦苦闘。一杯のカレーのための果てしない道のりに、多くの学生が挫折する一方、世話に励むあまり家畜に愛着が湧き、殺すべきか葛藤する者も・・・。

これは「食べる」「生きる」という、人間にとってごく当たり前で、基本的な営みを見つめ直すドキュメンタリー映画である。

 

関野吉晴 1949年生まれ。人類の足跡を辿る「グレートジャーニー」の探検で知られる。1999年植村直己冒険賞を受賞。

 

モノや情報に溢れた今だからこそ人が生きてきた原初の営みを想像してみたい。過去へと回帰するのではなく想像力を喚起するのだ。想像力の喚起によって現代に生きるぼくたちの立ち位置もみえ方も変わってくるかもしれない。食のあり方から社会や環境の問題がみえてくるように・・・

『カレーライスを一から作る』どうぞお見逃しなく1!

ファンタジーの王様

  • 2018.01.13 Saturday
  • 17:42

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武井武雄展 2018年1月5日(金)―2月18日(日) 9時30分〜17時(入館は16時30分まで)

 

周南市美術博物館

月曜休館 ただし1月8日(月・祝)、2月12日(月・振休)開館

1月9日(火)、2月13日(火)休館

※1月5日(金)は、9時〜開会式を行います。

 

一 般:1,000円(800円)大学生: 800円(600円)( )は前売および20名以上の団体 18歳以下無料

※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳等をご持参の方とその介護の方は無料 ※本展をご鑑賞の際は、常設展も無料でご覧いただけます

 

現在、周南市美術博物館では大正昭和と活躍したファンタジーの王様、児童画のパイオニアと称される画家武井武雄の展覧会が開催されています。数年前のインドのニューデリーで行われたIBBYの大会に寄せられた格調高い皇后陛下の基調講演でもこの画家のことにふれられています。

武井武雄は、「こどものために描かれる絵画はそれ自体がすぐれた芸術作品でなくてはならない」という主張のもと、こどもの魂にふれる絵の創造をめざし、「日本童画のパイオニア」と称されています。

『コドモノクニ』『チャイルドブック』『キンダーブック』などで彼の作品に出会われた方も多いことでしょう。

大正から昭和にかけて、子どもたちは彼の生み出すファンタジーで育ってきたといっても過言ではありません。

そういった童画制作の一方、版画や「本の宝石」ともよばれる刊本作品、「イルフトイス」と名付けた玩具、文学、デザインなど、幅広い創作活動を行っています。

今回の展覧会では、ふるさと長野県岡谷市にあるイルフ童画館のご協力をいただき、武井武雄の多彩な作品世界を紹介します。

ユーモアと優しさに包まれた魅力あふれる武井武雄の世界をお楽しみください。

 

周南市美術博物館の新年早々の企画展です。このチャンス、知るひとぞ知る武井武雄の世界をどうぞお見逃しなく!

 

豆苗の第2弾

  • 2018.01.11 Thursday
  • 00:37

豆苗(とうみょう)の第2弾。




勢いが出てきました。鮮やかなグリーンです。


2018年の幕開け

  • 2018.01.03 Wednesday
  • 15:22

明けましておめでとうございます。2018年の幕開けです。

今年のお正月は穏やかな天候に恵まれ初詣客もいつになく多くの人で賑わっていました。



ぼくらは2日目の午後、例年どおり着物姿でお参りし白山・吉香・椎尾へと三社参り。

白山神社ではいきなり「原田先生、ことしも決まっていますね」と神主さんに声をかけられ、こちらも思わず「おめでとうございます」。

滞りなく祈祷をしていただき戌年の謂れとことしの方角を南南東と聞く。

お神酒とお札をいただいておみくじを引くと今年は末吉とひきあてた。


今年は11月、下記の要領で三年ぶりの個展を発表する。

初夢はみなかったが、いつになく身のひき締まる思いである。


 

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「原田文明展ードローイングインスタレーション2018ー」の日程が決まりました。

会期は2018年11月21日wedー25日sun、10:00−18:00で、会場はシンフォニア岩国企画展示ホールです。

「現況2012展」での《具体絵画》の残りがまだ半分残っていてこちらを先にするかとも思いましたが、やはり新作発表ドローイングインスタレーション2018を優先にすることにしました。

プランはできています。乞うご期待!

 


サンデー毎日1月7・14日合併号から

  • 2017.12.27 Wednesday
  • 16:06

「戦争犯罪」隠蔽と「モリ・カケ」疑惑の類似点

 

 

 森友・加計学園問題の核心には、国家による記録の破棄という問題がある。権力の恣意的な情報管理を批判してきたジャーナリスト・青木理氏が、現代史研究の第一人者・保阪正康氏にこの問題を問い、まっとうな「異端児」となって「情報隠蔽国家」に立ち向かう道を探る。

 このところ、さまざまな取材をしていると常に突き当たり、考察を余儀なくされてきたテーマがある。ひとことでいえば「国家と記録」について、ということになろうか。

 私(青木)が本誌で少し前に連載した現役自衛官の告発インタビューもそうだった。機密文書の「漏洩(ろうえい)犯」だと疑われ、警務隊による強制捜査まで受けたこの自衛官は、いまも防衛省に勤務しつつ無実を訴え、国家賠償請求訴訟を争っている。しかし実に奇妙なのは、問題の文書を首相も防衛省も「存在しない」と公言した点であった。しかも防衛省・自衛隊は、内部で密(ひそ)かに当該文書の隠蔽(いんぺい)・破棄工作を繰り広げた疑いが濃い。

 なぜこうした滑稽(こっけい)な矛盾が生じたか。垣間見えてきたのは、政権や官僚たちにとって不都合な文書――すなわち「国家の記録」を平然とねじ曲げ、隠蔽し、時に放り捨ててしまって恥じない権力者たちの実態であった。

 防衛省・自衛隊ではまた、南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報をめぐる一件もあった。情報公開請求を拒み、のちに日報の存在が発覚すると、実は防衛相まで隠蔽に加担していたのではないかと政治問題化し、幹部多数が処分される事態に発展した。

 森友学園や加計(かけ)学園をめぐる疑惑も同じである。国有地が異常な安値で払い下げられた経緯を記した文書類を、財務省はすでに破棄してしまったと開き直っている。加計学園の獣医学部新設をめぐっては、「総理のご意向」と記された文部科学省の文書が流出したものの、政権幹部は「怪文書の類い」と強弁し、のちに文科省内で存在が確認されても「事実ではない」と、これまた開き直った。一方で内閣府などに残されているはずの記録は、いまに至るまで公開されていない。

「国家の記録」と向き合わず、時に破棄し、そもそも記録をきちんと残そうとすらしない為政者たち。年があらたまるのを機に歴史の記録に基づくノンフィクション作品を数々著してきた保阪正康氏のもとを訪ね、こうした状況の病理と弊害を議論してみたいと私は思った。

膨大な「戦争の記録」を焼却した日本

「青木さんの問題意識をうかがい、すぐに思い出したのは昭和20(1945)年8月14日のことです。この日の閣議と大本営の方針で、戦争に関する一切の資料や文書の焼却が命じられ、軍事機構や行政機構の末端にまでそれは伝わった。全国の市町村や軍事施設では膨大な資料が次々に燃やされてしまいました。『焼却せよ』との文書も残したくないので、末端では役場の職員が、村から村へ自転車で伝えたそうです」

――戦犯追及を恐れて。

「そうです。『天皇陛下にご迷惑をかけないため』なんていうのは逃げ口上で、実際は我が身が可愛いだけの保身です。これと対照的なのは米国でした」

――というと?

「最終的には8000人ぐらいの規模になる『戦略爆撃調査団』を日本に送り込み、地方などにも入って調査し、ものすごい報告書をつくった。それは納税者に対する義務だったのです。増税までして戦争を行った以上、きちんと調べて報告しなければならない。そういう意味では米国のほうが筋が通っているんですね」

――戦争という極限状況下でも、民主主義の建前と原則が辛うじて生きているか否かですか。

「そうなんです。我々の側は、資料を全部燃やしてしまった。そういえば何年か前、慰安婦問題をめぐる意見広告が『ワシントン・ポスト』紙に出たことがありますね」

――2007年の6月、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や自民党の国会議員らが出した意見広告ですね。〈強制的に慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない〉などと訴える内容でした。

「よくそんなことが言えるな、と思います。全部燃やしてしまったんですよ。なのに『文書がない』などと平気で言える神経を僕は疑います」

 戦後70年が過ぎても日韓両国の火種としてくすぶりつづける慰安婦問題にせよ、あるいは南京虐殺事件といった数々の問題にせよ、日本側が資料や文書をきちんと残していれば、一体どうなっていただろうかと想像する。いずれも歴史的な事実であり、否定することなどできはしないが、規模や態様などについては日本側の主張を裏づけた可能性もある。少なくとも事実はもっと精緻に検証され、ひょっとすれば現在のような火種にはならなかったかもしれない。

 そんなことを考えるにつけ、私がいつも不思議な話だと感じていることがある。保守と呼ぶにせよ、右派と呼ぶにせよ、国家の存在やその歴史を「誇り」と捉える人びとこそがむしろ、その基盤となる「国家の記録」を大切にし、公的な文書や資料をきちんと残して後世に伝えよう、と主張してしかるべきではないか、と。

 だが、現状はまったく異なる。公文書の大切さなどは、むしろリベラルなどと称される人びとがそれを訴え、保守を自称しているはずの政権は公文書の隠蔽や廃棄に突き進んで恥じ入るところがない。政権を支持する保守や右派層からも疑問の声がほとんど上がらない。再び保阪氏の話である。

「右とか左という問題もさることながら、資料というのは、物事を客観的に見ようとする人たちには基本的な判断材料です。一方、客観的に物事を見ることができない人たちは資料など必要じゃない。論点が崩れてしまう資料など、むしろないほうがいい。そういう右派が近ごろ多すぎます」

――そうですね。

「僕は以前、鹿児島の知覧から飛び立った特攻機の無線を聞いていた海軍士官の日記を見ました。そこには〈今日もまた、「海軍のバカヤロー」と言って散華(さんげ)するものあり〉と記されていた。だから、みんなが勇猛果敢に死んだというのは違うと書いたら、どんな反応が来たと思いますか。『当時の海軍の無線は本土から沖縄まで届かない。だから保阪の言っていることはウソだ』と。こういうのを一知半解と言うんです」

――実際はどうなのですか。

「特攻機は沖縄どころか、鹿児島湾で墜落してしまったり、沖縄に着く前に米軍に撃ち落とされてしまっている。そういう事実も知らず、一知半解で物事を語るのが歴史修正主義者の特徴です」

――極論すれば、歴史修正主義者にとっては資料など不要で、むしろ邪魔だと。

「ええ。最初に『日本は侵略なんてしていない』という旗を立て、それに都合のいい材料をかき集めて検証もしない。客観的に物事を見ない人たちは資料を馬鹿にします。そうした風潮が広がっているのは、怖い」

「天皇退位」をめぐるお粗末な議事録

 歴史などの事実を客観的に見ようとする者たちにとっては何より必要な「国家の記録」。しかし、そうでない者たちには必要なく、むしろ邪魔なものとして疎まれる――保阪氏の指摘に私も深くうなずいた。そうした眼(め)で近年の保守政界を眺めれば、事実を重んじない歴史修正主義の風潮は確かに強まっている。実に怖いことだと私も思う。

 ただ、物事を客観的に見ようとする者が自民党の宰相の中にもいないわけではなかった。公文書の重要性を訴え、公文書管理法の制定(2009年成立)をリードした福田康夫氏はその代表格であろう。

 保阪氏も「福田さんは実証主義的な方です」と評価する。その福田氏がリードした公文書管理法は、第1条で「目的」を次のようにうたっている。

〈この法律は、国の諸活動や歴史的事実の記録である公文書が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、行政が適正に運営されるようにするとともに、国の諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする〉(抜粋)

 とても崇高な条文だと私は思うが、しかし現政権からは、こうした崇高さが微塵(みじん)も感じられない。森友、加計学園の疑惑しかり。南スーダンPKO日報もしかり。直近で言えば、天皇退位をめぐる皇室会議の議事録などが典型例であろう。

 天皇退位の日程などを決める皇室会議は12月1日、皇族や三権の長ら10人の議員が出席し、宮内庁の特別会議室で開かれた。約1時間15分だったという会議は非公開だが、皇室典範に規定された皇室会議の開催は約25年ぶりであり、戦後8回しか例がない。

 しかも天皇の生前退位は200年ぶりのことである。一体どのような議論を経て退位に至ったのか、退位そのものへの異論や異見はなかったのか、退位日程などはどう決まったのか……。天皇制そのものや生前退位への評価はともかく、重大な歴史的出来事であり、後世にその中身や経緯を伝えるべきなのは議論の余地があるまい。

 官房長官の発表によれば、会議では10人の議員全員がなんらかの発言をしたという。だというのに、公表された〈議事概要〉は次の一文がすべてだった。

〈天皇陛下には1月7日の御在位満30年の節目をお迎えいただきたいこと、国民生活への影響等を考慮すること、静かな環境の中で国民が天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位をこぞって寿(ことほ)ぐにふさわしい日とすることなどの意見の表明が行われた〉

 わずか百余字の〈議事概要〉。報じられているところによれば、政府はこれ以外に記録を残すつもりがないという。天皇制と天皇退位の問題にこだわり続けてきた保阪氏の憤りと絶望は深い。

「歴史への誠実さの欠如です。僕自身は今上天皇は国民に重要な問題提起をしていると思うけれど、天皇制についてはさまざまな議論があり、それを含めて記録を残すのは歴史的責任に関するイロハのイです。

 なのに後世の人びとが知りたいと思った時に歴史的資料がないというのは、後世の人びとを馬鹿にし、同時代の我々を愚弄(ぐろう)することになります。それに対する自省や反省がこれっぽっちもない」

――現政権は、建前としては天皇制と皇室の存在を重視しているはずですが、なぜこうした態度を取るのだとお考えですか。

「憲法問題が前面に出てきてしまうからでしょう。改憲論者の彼らは、改憲の中で天皇をどう位置づけるかという問題をまだきちんと整理できていない。だから記録を残したくない、記録を残さないことによってフリーハンドを保持するという選択をしたんじゃないでしょうか」

「前川喜平」をもっと生み出せ!

 ここでも自らの利害や都合を優先し、公文書管理法がいう「国民共有の知的資源」としての国家の記録を後世に残そうともしない為政者の姿。しかし、振り返ってみればこうした風潮はいまにはじまった話ではなく、戦前・戦中から現在に至るまで一貫して変わらぬこの国の宿痾(しゅくあ)に思える。

 ならばこれは国民性、あるいは民族性のようなものではないか、といった似非(えせ)科学的な妄想も湧く。保阪氏に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「典型的な官僚制度の悪弊でしょう。それはつまり、政権と官僚以外の人間の権利などは踏みにじられ、馬鹿にされていることになる。まるで江戸時代の農民のような状況に置かれ、『由(よ)らしむべし、知らしむべからず』という状況で愚弄されている。そういう意味でいえば、前川氏のような人がもっと出てきてほしいと思います」

――前文部科学事務次官の前川喜平氏のことですか。

「そうです。彼の覚悟は並大抵のものではない。政権やその意向を忖度(そんたく)する連中が必死に潰そうとしたし、これからも潰そうとするかもしれませんが、その市民感覚を私たちは有形無形に支援できるかどうかということです。前川氏のような人をたくさん生み出すために、生み出す状況をつくっていかなくてはならない。

 かつて軍国主義に抵抗した斎藤隆夫を国会から除名した愚かな歴史がある。斎藤隆夫は当時は“異端”として孤立させられましたが、いまから見て本当の歴史意識を持っていたのは彼のほうなわけです。それを教訓とできるか、と私たちは問うべきです。それが一貫して続く官僚制度の悪弊を打ち破り、歴史修正主義の横行を食い止める第一歩だと思います」

 異常な状況に立ち向かうまっとうな“異端児”をいかに多く生み出すか。確かにそれこそが現下最大の課題である。

(ジャーナリスト・青木理)


ほさか・まさやす

 1939年生まれ。ノンフィクション作家。資料と証言に基づいて、昭和史の実証的研究を続けてきた。著書に、シリーズ『昭和史の大河を往く』『昭和天皇実録 その表と裏(1)(2)(3)』『安倍首相の「歴史観」を問う』『憲法を百年いかす』(半藤一利氏と共著)ほか多数

あおき・おさむ

 1966年生まれ。共同通信記者を経て、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に肉薄する。著書に『日本会議の正体』『誘蛾灯』など多数。最新刊『安倍三代』(朝日新聞出版)が発売中

(サンデー毎日1月7・14日合併号から)

美術教室

  • 2017.12.11 Monday
  • 12:28

原田美術教室 / 案内



受験コース

このコースでは多様化する今日的な美術の状況と受験の現実をふまえて、一人一人の個性を大切にし、造形美術の基礎的な取り組みから<見る><つくる(描く)><感じる>力を育てます。
具体的には鉛筆・木炭デッサン、油彩、水彩を中心に受験対策と徹底した基礎を学びます。また、 発想の展開、表現することの意義深さ面白さを<考える>ことから柔軟で力強い造形力がつくよう親切に指導します。




児童コース

子どもたちと一緒にいろいろな活動をしていて思うのは、考えることや感じることより先に知識(情報)を得ることに関心をもちすぎる気がします。
このコースでは、絵画や粘土遊びの他に木や金属、紙、ガラス、石などといった色々な材料にふれることを通して作品の制作に取り組みます。
造形あそびの楽しさは、ただ作品を完成することだけではなく、つくる課程で何を感じ何を考えるかということ。子どもと一緒にその創意と可能性について考えながら、道具や素材に親しむことから親切な指導をしていきます。
秋のスケッチや夏の野外あそびなどのほか、定期的に展覧会「TRY展」を開催して、
教室で制作した作品を発表します。




一般コース

文化的な営み、活力と潤いのある生活。
このコースでは、はじめての人から県美展や市美展をはじめ他の美術コンクールなどで入選入賞を果たしている人、あるいは国籍・性別・年令を問わず色々な人を対象としています。内容も油彩・水彩・アクリル画と色々ですが、人と人、表現と表現のふれあう中で、テクニックだけではなく絵を描くことで何を発見できるか、ということを問いつづけています。
また、 秋のスケッチ、美術鑑賞などのほか「絵画のいろは」展「グループ小品」展をビエンナーレ形式で交互に開催し
教室での制作発表をしています。




 

 

 

 

空の王さま

  • 2017.10.30 Monday
  • 21:56

ハトよ、ふるさとのあの空からとんでこい。ぼくとエバンズさんの夢といっしょに。

 

 

『空の王さま』(文ニコラ・デイビス 絵ローラ・カーリン 訳さくまゆみこ BL出版)という絵本をご紹介しましょう。

この絵本はJBBY会長のさくまゆみこさんが翻訳したもので、遠いイタリアからイギリスの炭鉱の町に越してきた一人の少年とその町に暮らすエバンズさんのお話です。

 

ぼくのふるさとは、お日さまが明るくて、おばあちゃんの店のバニラアイスのにおいがする場所。こしてきたこの町は、けむりがたちのぼり、石炭の粉のにおいがしている。

ぼくはよそ者ー

でも、エバンズさんにであってなにかが、かわりはじめた。いっしょにハトをとばし、いっしょに夢をおいかけはじめてから。(本文から)

 

二人はハトを遠くで放して所定の場所に帰ってくるまでの距離の長さを競いひたすらに待つ競技をめざすのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように絵が素晴らしいですね。単に子どもの読みものとしてではなく絵本の可能性を信じて丁寧につくられているのがよく分かります。

別のいい方をすれば絵本文化の違いとでもいうべきかも知れませんね。

 

そしてもう一冊。

 

 

 

 

こちらは『ちいさなちいさなちいさなおひめさま』(ぶん二宮由紀子 え北見葉胡 BL出版)という絵本です。

 

さてさて・・・、

 

だれも見たことがない  

うつくしいおひめさまはーーー⁉   (小さい)

 

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絵画のいろは展2017


2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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グループ小品展2016


2016年9月21日(水)〜9月25日(日)
主催:原田美術教室会員
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015


2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚



『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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