あーとランダム

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# 小学中学の同窓会

 

 

 

昨日は3年ぶりの小学中学の同窓会。

先ずは物故者を偲んで1分間の黙とうで冥福を祈る。

いつもは30人程度の同窓生が集結するのだが、今回はどういうわけか集まりが悪く大きく下まわった。60才代最後の同窓会なのでもう少しは期待していたのだが、健康面の不安やいろいろな事情もあってやむなしと言ったところか、、、、、。

それでも、30年ぶりとの同窓生もいて一次会は大いに盛りあがり、あっという間の2時間が過ぎてしまった。

 

ひきつづき予定通りの二次会(カラオケ)の会場へ・・・

メンバーの一人が30パーセントオフの割引券をもっていてこれには幹事としては大いに助かった。

 

 

このたびの同窓会では、各自これまでをふり返っていただきおよそ50年の経緯を聞くことができてよかった。

同窓生同士が一人ひとり語っていくのだから意外な変遷ぶりもあっておもしろく懐かしさもこみあげてくる。

「あいつ、あんなにおしゃべりだったか?」「もういい、しつこすぎる」「ぶんめい、もうやめさせろよ・・・」などなど、遠慮のない声(ヤジ)があちこちから飛び交うのもおもしろいものだ。

 

 

可笑しかったのは女子たちだけに向かって話す奴がいて「俺たちにケツ向けてこの野郎、前に出て喋れや!」などなど。

こんな調子だから、あっという間に2時間は過ぎてしまうのである。

 

最後は記念撮影でハイポーズ。次の再会を約束して一次会を締めとした。次回は4年後、ちょうど70才の古希ということで地元をはなれ宝塚市在住のNくんが関西方面でお世話することに決定・・・。これはまた楽しみなことであ〜る。

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 15:06 | category: 日記 |
# 巣立ち

 

ぼくがよく行くコンビニの軒下にあるツバメの巣。

一度は巣立ちしたのだが、きのうの台風の雨風で戻ってきたのかなぁ⁉

|comments(0) | trackbacks(0) | 11:42 | category: 日記 |
# 暑〜っ、、、

 

暑〜っ、、、

POOHちゃん、もうバテたのか⁉  

食欲ないじゃないか、ダメだよ食べなきゃ。

まっ、寝るのが一番だけどな。

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# 生誕110年企画『宮本常一と、私』

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昨日はNPO周防大島郷土大学主催による宮本常一生誕110年記念特別講義として行われた各種トークセッションやコンサートに出かけた。ちょうど大阪からの来客もあり楽しみにしていた企画だったのだ。

猛暑の中、三人で朝早くから出かけると会場は多くの人が詰めかけていて振り返るとほぼ満席となっていた。

前日には寺尾紗穂さんのコンサートがあったのだが、この日は彼女のわらべうたミニコンサートではじまり、そのあと民俗学者の赤坂憲雄さんと寺尾さんによるトークセッションとなった。

 

赤坂さんは学習院大の教授で東北学を提唱する民俗学者として有名ですが、ぼくははじめて寺尾紗穂さんの存在を知ることができてびっくりした。本当に大切な仕事をされている人で活動もきわめてユニーク。赤坂さんもおっしゃっていたけれど、「聞きとり」の天才宮本常一とも共通するおもしろい活動だと思えた。

わらべうたの一つ、いのこ歌にある「共同」という作業のもつ意味と可能性について示唆するところがあり、赤坂さんは午後からのシンポジウムにもこのことはつながるとも言われた。

 

昼休憩では食文化体験会による「ヒジキむすび、梅ぼしむすび、かいもち」が振る舞われぼくらはこれを美味しくいただいた。

 

午後からは宮本常一の写真を基に調査研究した小中学生の発表があり、ひきつづいて「宮本常一生誕110年シンポジウム」が行われた。

シンポジウムは中国新聞の佐田尾信作さんのコーディネートでパネリスト・赤坂憲雄、今石みぎわ(東京文化財研究所研究員)、須藤護(民俗学者龍谷大名誉教授)、新山玄雄(郷土大学理事長)によるパネルディスカッションが行われ、宮本民俗学の顕彰とともに3.11の震災復興のみならず現代社会が直面する各種問題のとらえ方や今後の地域づくりについて民俗学が示唆するものとその可能性などについてそれぞれの視点で提言された。

 

ぼくはシンポジウムを聞きながら限界集落へと邁進する地方が抱える人口流出と過疎化をふまえ、食料自給率の問題や戦後制定された農業基本法の問題、さらに工業国へのかじ取りから高度経済成長、グローバリズムの問題やスローライフの生活スタイル、かつての里山のくらしや文化、流通の問題など想像力をかき立てられ心地いい刺激と混乱の中にいたような気がした。

このシンポジウムを契機として、今後ますます宮本常一が残した民俗学の可能性と評価が高まっていくことを確認することができたように思う。

 

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因みに郷土大学では12日には新山さんのお寺で作家・池澤夏樹さんを招いて宮本常一について語る催しがあるという。すごいぞ!NPO周防大島郷土大学。

先月、7月25日には島の村マルシェの企画で武道家で思想家の内田樹さんらを招いてたいへん興味深い対談もあった。残念ながらこの講演には行けなかったのだが、いま大島があつい、本当に暑かったのであ〜る。

 

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 16:42 | category: 日記 |
# 今度は徹と一緒にくる

 

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開演時間ぎりぎりに辿り着いてあわてて会場に駆け込むとすでに黒田さんが挨拶していました。やや落ち着きを取もどすと演奏は間もなくはじまりましたが、はじめから引き込まれるように心地いい緊張感に充たされたかと思えば1ステージ1時間のパフォーマンスはあっという間に過ぎていました。それは、たとえようもない素晴らしいライブでした。

 

今回のMLT(ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、齋藤徹のトリオ)ツアー公演は齋藤さん不在の舞台となりましたが、「祈り」にも似たこの舞台は演じる側とそれを受け取る側の境界を取り払うような臨場感とまさしく齋藤さんのいう「捧げもの」の営為とも受けとれる画期的なものだったというべきかもしれません。

1999年、岩国のシンフォニアで公演したミッシェル・ドネダとチョン・チュルギと斎藤徹のトリオライブ(ペイガンヒム収録)では、ぼく自身の原体験として経験された祭りごとの記憶を重ね合わせるところがありました。そのとき、ぼくは「どこか祝祭性を感じますね」と云ったのだが、齋藤さんは「それが今回のテーマなのです」と云われたことがありました。

 

ぼくはそのCDをよく聴いていますが、そのたびに無意識というべきか意識下のところで懐かしさと同時になぜか安心できる不思議な感覚に充たされていた気がします。また、リズムや歌や踊りにしても原初的で根源的な身ぶり、すなわち身体性なるものと大自然(神)との共振について考えさせられます。さらに、今生と他生を往来する祝祭的な感謝とか捧げものの儀式のようでもあり、ぼくたちは何故そのような仕草をつづけるのかといつも思うのです。

ぼくは音楽的な知識を持ち合わせる者ではありませんが、今回の二人のパフォーマンスもそのようなことを考えさせ、「祈り」ともかさなる神への捧げもののように導かれている気がしてなりませんでした。

 

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ニンさんが奏でる楽器は通常は打楽器といわれる太鼓にほかなりませんが、それは打楽器としてではなく横向きに置かれたままで主に反響盤として機能しています。それは、打つことだけではなく擦ったり、震わせながら大きな金属板と共鳴させたりする独自の奏法というものでした。まるで原初的な音あそびのようでもあります。

舞台空間を生かした身振りや動作もありますが、それに呼応するようにミッシェルのソプラノサックスがシンクロすることになるのです。濁音や空音を含むミッシェル独特の呼吸法と奏法は凄まじい緊迫感にあふれています。

ここに齋藤さんのコントラバスが入るとどうなったか、それはとてつもない広がりと厚みのある音舞台となったにちがいないという想いを巡らしていました。

帰り際に何年ぶりかのミッシェルとあいさつを交わすと「今度は徹と一緒にくる」と握手したのが印象的で彼はとても元気そうでした。また岩国で会おうとも・・・

 

幸いなことに斎藤さんの術後の経過は良好でこのツアーの最後には参加をもくろんでいるとか。それだけこのツアー公演に寄せる彼の強い思いが伝わってくるライブだったと云うことができるのではないでしょうか。ぼくはそう思います。

 

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|comments(0) | trackbacks(0) | 15:07 | category: 日記 |
# 「竹やり」的な避難訓練

福田岩国市長は6月23日の議会において厚木基地所属空母艦載機の受け入れを表明した。この件に関する住民説明会では怒号が飛び交う中、時間切れで後味の悪い幕引きとなったがとても住民の理解が得られたとはいえない状況だった。11年前の住民投票の結果をみても有権者の約6割(投票率)のうち約9割が反対であっても地域振興策や米軍再編交付金を求めて判断したと思われる。

このことは著しく思慮に欠けたものであり目先のことしか考えない判断としか言いようがないし、縄文とまでは言わないにしても何百年もの時代とともに築いてきた岩国の歴史と文化に対してお粗末な越権行為ともいえる。

 

かつての「竹やり」防衛と変わらない避難訓練は滑稽にしか見えないけれど、こんなことでミサイル攻撃に対応できるわけがないしとても現実的とはいえない。アベ政権の改憲への布石、とるに足らない幼稚な戦略であり扇動的な操作としか思えない愚行というほかない。

そもそもこのような事態になる前に福田は知恵を絞るべきであり、事務的に調整役に徹するのではなく首長としてのVISIONを示すべきで、少なくとも先の住民投票の結果を最大限に生かすべきではなかったかと思う。使用許可の確約もない現在建設中の米軍スタジアムや各種スポーツ施設、高級米軍住宅の建設などで何を喜んでいるか知らないけれど自画自賛している場合ではない。

 

膨張し続ける米国軍事基地による騒音被害、米軍兵士や軍属の犯罪など治安の問題だけでなく、このような米国軍事戦略(エアシーバトル構想)におけるリスクを岩国は恒常的に受け入れることになった。映画「標的の島 かじかたか」をみて分かるように「標的の島」は「標的の都市」となり、嘉手納基地と並ぶ極東最大級の軍事基地となることを自ら選択したことになる。

住民説明会の怒号の中には福田良彦にこのような愚行、岩国の将来を決定する受け入れ容認で次世代の人に責任がとれるのか、との母親のきびしい声もあったがまさしく現実のものとなった。

 

<岩国基地艦載機移転>迫る有事の日 ミサイル想定避難訓練(毎日新聞) - Y!ニュース

 

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 15:56 | category: 日記 |
# ヒロさんの『笑』ライブ

今回の松元ヒロさんのライブは最高だった。打ち上げも大いに盛り上がり主催者のほかにもピースボートの関係者や絵手紙の金本さんたちともいろいろな話ができてよかった。二次会ではヒロさんとも大いに盛り上がり楽しい打ち上げとなった。

アベ・スガ政権の独裁的な振舞いから戦後70年平和憲法の下つちかわれてきた民主主義が次々と壊されていく状況からしてヒロさんの憲法くんもリストラ寸前とあれば、必然的にフルパワーで笑い飛ばすしかないと大いに期待していたのだ。

 

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憲法改正をにらんでことごとく強行採決していく暴挙ともいえるこの独裁政権へのネタは尽きることはないし、さらに森友加計学園疑惑問題など時事ネタに困ることはない。そういう状況もあって予想したとおり、今年の笑ライブはヒロポンパワー全開となって二時間近い舞台はあっという間に過ぎていった。

最後のアンコールは恒例の今日のニュースと天気予報、コミカルなパントマイムは何回みても破壊的でおもしろい。今年は小池百合子が笑えた。頭の回転がないとできる芸ではないしとにかく独特の芸質というほかない。

 

 

会場を見渡すと知っている人もちらほらと確認できたが比較的若い人が少ないことと、松元ヒロの芸のネタになる時事問題を笑うなら憲法九条の会が行う講演会や厚木からの空母艦載機受け入れに関する住民説明会、デモ集会などの関心が共有されているかと気になった。

それでも、主催者の方々は祝島にわたって島の住民と交流し原発問題に関心があることをいろいろ話してくれた。祝島への行き方も教えていただいたし、ぼくは近々島へ渡ってみたいと思っている。四階楼も楽しい建物だったがその近くから船で渡れるらしい。

 

毎年、ぼくは松元ヒロさんの芸を楽しみにしている。

 

 

 

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# 宮川淳 引用の織物etc.

 

ああ・・・やっと、『宮川淳著作集第一巻』(美術出版社)読了!

積読していたままだったり、休み休みだから結構かかったなあ・・・。

 

でも、若いころ衝撃を受けた存在論的な思索や構造主義、本著は美術史論を軸に文学や建築などその周辺を横断する記号論のように思われるけれど、どういうわけか実は書棚の横に全三巻とも積んだままになっていた。いずれゆっくり読もうと思って安心し過ぎていたのかもしれない。

 

若いころ、制作をすすめながら存在論的な確認作業や主客二元論の超克は自分にとっては大問題になっていた。そのことは、ぼくにとって絵画制作の出発点が日本のシュールリアリズムの拠点とされた美術文化協会でありその反動的な意識がつよかったということかもしれない。

もちろん、シュールリアリズムの実践は現在をみつめるきわめて有効で魅惑的な方法論として理解できるし、そのことを疑うつもりはないけれど、同時にそこには思弁的な幻想優美主義に埋没する危険性もたえずとなり合わせに存在している。事実、美術文化にはそういう作品も多々あったことも確かである。

だから、余計に意識したということなのだろうか。

 

1980年前後、この頃のこだわりは不思議と還暦を過ぎた今でも引きずっているものだなあ・・・

|comments(0) | trackbacks(0) | 18:04 | category: 日記 |
# 米軍再編と岩国

 

23日(火)はシンフォニア岩国において、岩国の将来をきめる厚木からの「空母艦載機移駐計画」について住民説明会が行われた。壇上のひな壇には市当局の幹部らと中国防衛施設局の数人がオブザーバーとして座っていた。

福田市長の挨拶からはじまり、市長は用意した資料をもとに自らひとりで説明した。〇圓離好織鵐 安心、安全対策 C楼菴橋什 す颪悗陵徊昌項など、これまでの成果として一方的にひと通りの説明をした後、つめかけた多くの市民から活発な質疑が交わされたが残念ながら時間切れというところで終了。結局、説明会は中途半端な結果となり、「こんな説明会があるか!」などと怒号が飛び交うなか一方的に打ち切られたかたちとなった。

 

岩国市の基本的なスタンスとしては騒音や安全性など基地周辺住民の生活環境が現状より悪化しないこと、着艦訓練の実施を認めないこと、などとしているが現状はどうか?

分析・検証の結果、「騒音が拡大する地域はあるものの、国や米側のも確認できたとして全体として悪化することはない」としている。また、着艦訓練においては恒常的にすることはない、できる限り硫黄島で実施するよう米側と確認している、と説明。

米軍再編に対する基本的な姿勢として、現時点において日米ロードマップに示されている以外の新たな舞台や航空機の配備はないしこれ以上の負担増を岩国にお願いすることはない、との説明を受けているとした。

 

 

だが、こんな約束がこれまで守られたためしはない。つめかけた市民からは11年前の住民投票の結果をみても当然のことながら懐疑的な質問が飛び交った。騒音被害や犯罪の増加に対する懸念のほか、治安対策や文化的な慣習の違いから考えられる迷惑行為等々の不安。

一旦、受け入れを容認すれば取り返しのつかない恒常的な不安と被害を受ける多大なリスクを負うことに対して責任がとれるのか等々、次世代に岩国としての『誇り』を伝えられるのか、などと激しい意見も交わされた。

福田市長はさらにつづける。市の安心・安全対策(43項目)の達成状況の説明としては、およそ8割の要望が達成されていると自画自賛。

市民からは今建設中の野球や陸上競技などのスポーツ施設の運用が既存の運動公園のように日米でできるよう確約できているのかなどと質問がでたが、今もってそのことは協議中で要望しているとの説明に終わった。防音工事や防犯警備体制の強化などについては防犯灯、防犯カメラ、安心安全パトロールで対応するとなった。

だが、北朝鮮の脅威、在日米軍基地を攻撃目標とする旨の発表から防災訓練の必要性、防災施設やシェルターもないという現状では不安は払しょくできないとの意見も・・・。

 

大雑把にみて岩国市の対応として感じることは、基地増強を容認する代わりに地域振興策として幹線道路、川下地区の都市基盤、中心市街地の活性化対策のほか各種インフラ整備の要望に加えて学校給食の無償化や更なる再編交付金の増額延長を国に求めるだけで、将来的な地域づくり街づくりのVISIONに欠けていることは否定できない。

日米地位協定の改正はほとんど棚上げにされたまま、基地増強と引き換えに目先のハード事業の充実にばかり偏り過ぎている気がしてならない。このままでは次世代に受け継いでもらう誇りがもてるはずもない。

 

 

日米安保を軸とした国防上の問題もあるわけだが、米国の極東アジアを中心とした軍事戦略上の問題もある。日本は奴隷のように自ら米国に従属し一方的に沖縄に基地負担を押し付けるのではなく、主権国家として地位協定の改正を求めるべきである。改憲を叫ぶ前にそれが必要不可欠の条件ではないか、ぼくはそう思う。

北朝鮮問題だけでなく、ドキュメント映画「標的の島 風かたか」を観て分かるように中国軍との戦争を限定的に行う近未来の戦争のあり方を想像するならこれほど馬鹿げたことはないしあってはならない危険性も垣間見えてくるはずだ。

わずか戦後70年、あの悲惨な状況を考えれば岩国市の対応もはっきりしてくるはずなのだが市の現状はあまりにもお粗末というほかない。

|comments(0) | trackbacks(0) | 20:42 | category: 日記 |
# 街なかのアート

 

この迫力すごいでしょう。誰がやったか知らないが云われてみれば確かにみえる。ボーダレスアートの世界がみえてくる。

 

 

何なんでしょうね。

やはり、素通りできないパワーと執念のようなものを感じます。


聞くところによれば、この家の住人、毎朝ガムテープ貼っているらしい。それも白にこだわっている感じがありますね。

 

|comments(0) | trackbacks(0) | 13:55 | category: 日記 |
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現況2012展[シンフォニア岩国]
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Wall of the bamboo[2010 周東パストラルホール]

bummei HARADA 「具体絵画の断面 part4」展/2010年1月

路地プロジェクト2010/古着、メッシュ、イルミネーション/周東パストラルホール

WORK 作品 / 1992 / 185x185 cm / 合板、和紙、鉛筆、新聞ほか [現代日本美術展]

WORK 作品 / 1992 / 230x400 cm / 合板、和紙、鉛筆、新聞、染料ほか

COUPLING/1996/秋穂産御影石、コールテン鋼/山口県セミナーパーク

Art document 2004 KINTAIKYO project (総合ディレクター、アーティスト)
祈りプロジェクト/Art document 2004 KINTAIKYO project

錦帯橋の架かる錦川の中流に美川という山間の小さな町がある。かつては川を行き来する“物資輸送の中継地”として、また一時期は“鉱山の町”として栄えた。その町で子ども時代を過ごした私はこの川で育ったといっていい。
夏は一日中、川で魚をとったり泳いだりして遊んだ。大雨の時には川は豹変し、化け物のような濁流となって恐ろしく大きな被害を残した。私が子どもの頃の冬は、まだ雪も多く降っていて、手の切れるような冷たい水の中で、和紙の原料となる楮の皮を剥いた白い材料を浸している大人たちを見ていた。川の一部は凍りつき小雪が降りつづいていた。
川の移ろいに四季を感じ、あるいはこの川と一体となっていたのかもしれない。“エンコウの話”や“かっぱ伝説”を聞かされ、川の怖さ、面白さ楽しさが原体験として身体に染みついている。
記憶の一つに、夏に行われていた“万灯(まんどう)流し”がある。当時は、わら束を円形に形づくり木の枝で三脚を立てて器を支え、たい松を燃やして川に流していたものである。儀礼的な意味としてではなく、ただ非日常的な美しさが記憶に残っている。
振り返ってみれば、この川の自然の様相も私たちの生活の営みとしての文化の「流れ」とともに変ってしまった。“祈りプロジェクト”は、そうした子ども時代の原体験が記憶の底、あるいは意識の底から起きてきたのかもしれない。それとも、これまでの「流れ」の中で失いかけていた祈りの気持ちをあらためて考えたいと願っていたのかもしれない。
平成の架け替えで、錦帯橋は2004年3月に新しく生まれ変わった。この作品は解体された錦帯橋の材料を物質として残すのではなく、錦川の流れに沿って移ろうままにつながれた水上の炎で消滅させ、生まれ変わった橋を照らしだす仕組みとなっている。
私は自らの原体験とあわせて「流れ」と「祈り」そのものに向き合い、私の現在を見つめようとしたのだろうか。それとも、炎として燃え上がる物質の消滅を見つめ精神の回復を願ったのだろうか。
眼前の流れを見つめながら・・・。 

流れ / 2003 / Art move 2003 〈IWAKUNI〉“表現の成り立ち”
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原田美術教室研究生募集中
表現の可能性を考え、個性をひきだすユニークな美術教室

受験コース

このコースでは多様化する今日的な美術の状況と受験の現実をふまえて、ひとりひとりの個性を大切にし、造形美術の基礎的な取り組みから、「見る」「感じる」そして「描く」力を育てます。また、発想の展開や表現することの意義深さ面白さを深く「考える」ことを通して、柔軟で力強い造形力がつくよう親切に指導しています。

児童コース

このコースでは遊び心を大切にして、いろいろな作品の制作に取り組みます。造形美術の楽しさは、ただ作品を完成することだけではなく、つくる過程で何を感じ、また何を考えるかということ。子どもたちと一緒にその創意と可能性について考えながらしんせつに指導しています。

一般コース

文化的な営み、活力と潤いのある生活。このコースでは、はじめての人から県美展や市美展をはじめ他の美術コンクールなどで入選入賞を果たしている人、あるいは国籍・性別・年令を問わず色々な人を対象としています。内容も油彩・水彩・アクリル画と色々ですが、人と人、表現と表現のふれあう中で、テクニックだけではなく絵を描くことで何を発見できるか、ということを問いつづけています。
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絵画のいろは展2015

2015年10月21日wed〜25日sun 10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室
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この展覧会は隔年(ビエンナーレ)形式で開催する「絵画のいろは展」と称するグループ展で、今回は第13回展となります。 本展は絵を描きはじめて間もない人から山口県美術展覧会、岩国市美術展覧会をはじめ他の美術コンクールなどで活躍している人、またこれから美大、芸大を受験する高校生や中学生を含む原田美術教室の研究生約20数名による油彩、水彩、アクリル、鉛筆・木炭デッサンなど100点で構成するものです。 今日、私たちは過剰な情報(メディア)と過剰な消費の現実を迎え、アイデンティティーの喪失感と実感(リアリティー)の質的変化の状況に直面し混乱を招いています。 「絵画のいろは展」では日頃の研究成果を発表することと同時に、人と人、表現と表現のふれあいの中で単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるのか、その可能性と意味について考えています。絵画の“いろは”とは、このように制作上の技術の問題だけではなく、日常的な生活のあり方そのものへの問いかけに他ならないのです。 この展覧会が[文化的な営みと豊かさ]また[活力と潤いのある生活]とは何か、という問いについて考える契機となり、地域文化の向上と振興発展に寄与することが出来れば幸いです。
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グループ小品展2016

グループ小品展2016
2016年9月21日(水)〜9月25日(日)
主催:原田美術教室会員

この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015

2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。
里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」

本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。
岩瀬成子の本

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ちょっとおんぶ(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。
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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞受賞作家による感動作!
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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。
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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化賞大賞受賞

クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞受賞
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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。
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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!


 『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)

大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代

基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。

偕成社から好評新刊発売中!

 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!
『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


朝はだんだん見えてくる(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。
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