付録 「おまけの話」

  • 2019.09.11 Wednesday
  • 09:00

 

しあわせって、なに?

こりゃあ、けっこうむずかしいぞ・・・な!

 

 

『河の童』の公演について

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 15:01

 

昨日はデフ・パペットシアター・ひとみ『河の童』の公演はできるのか?

このような新しい舞台芸術を楽しめる地域でありたいと願う気持ちから詳しい話を聞こうと呼びかけた説明会がシンフォニア岩国二階和室にて行われました。

あいにくの台風15号の影響で飛行機がおくれ、この人形劇の説明者が1時間おくれというハプニング。

とはいえ、いいメンバーがそろい有意義なミーティングになったとおもいます。本当はこのような機会を重ねて具体化されるべきですが実行組織が立ち上がってくるのを期待します。

実行委が立ち上がれば微力ながら全力でサポートしたいとぼくは思っているのですが、他には指定管理者(サントリーパブリシティサービス)や文化振興財団の理解を求めて自主企画にとり組んでいただくこと意外にはむずかしいかもしれません。

 

 

デフパペットシアター「河の童」公演説明会(池内)

日時 9月9日(月)  14時-16時

場所 シンフォニア岩国2階 和室

 

老齢化が進み体力を落とした岩国には実行委員会としてのとり組みはきびしい状況となっています。

ぼくはこれからの指定管理制度のあり方として、これまでの友の会の充実だけでなく越後妻有の《子へび隊》のような地域協力隊との連携で事業企画を推進する形式を検討するべきと考えています。

たとえば、山口県美展のように「みる(観客)」「つくる(企画者)」「ささえる(地域協力隊)」連携の充実で総合的な活動の普及と公演成果を果たす方法にシフトしてはどうでしょうか。

つまり、べつの言い方をすれば市民活動と指定管理を連動させるシステムとでもいうべきスタイルかな。

 

 

身辺物理学者かぁ・・・

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 09:12

 

なるほど・・・  な!

久しぶりの伊藤さん

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 14:19

 

神楽坂にあるマドモアゼル・シネマの拠点セッションハウスの伊藤さんが岩国にこられ、ぼくは今年の5月惜しまれて他界された斎藤徹さんのお別れ会で東京の田園調布にある《スタジオいずるば》以来の再会となった。 

伊藤さんは岩国にこられるのは三年ぶりと云われたが、この街の衰退した姿にはかなりのショックを受けたようだった。

三人で楽しい会食をすませたが他に話ができる場所はなく、結局のところわが家へ案内し11時過ぎまで話し込んだのはいいがそのあと市内のホテルに引き上げるタクシーがない。来るときの運転手は夜通しやっているというので安心していたのにどうしたことか。少々、あわてたがやっと事なきをえた。

翌日ホテルをチェックアウトして、伊藤さんはブラブラと街を歩いた感想を送ってくれたのだが本当に岩国は何もなくなった。映画館も本屋もレコードショップもなく話ができる喫茶店もクラシックやジャズを聴かせる店もない。だから、ないのが当たり前になったようにありふれた居酒屋とコンビニだけが目につく街になったと思うのはぼくだけだろうか。

 

後日、セッションハウスで行われた新井英一の《コンサートのDVD2枚》と彼がTBS時代に制作したラジオ番組「BC級戦犯をめぐって」と「卑怯という名の勇気−韓国陸軍兵士によるドキュメント−」の二つをまとめた《アーカイブ録音1枚》とヘンリー・ミラーが《三島由紀夫の死》について書いたものをそれぞれ送っていただいた。

ぼくは、新井英一を聴きながら20年近く前に岩国で行われた野外ライブと錦帯橋の上で歌った「チョンハーへの道」を想いだしていた。

新井英一が谷川俊太郎と武満徹の「死んだ男の残したものは」を歌っているとは知らなかったが脇にいるギター演奏も印象的ですばらしかった。新井英一のあの迫力とあたたかみのある独特の声質は変わらず何となくうれしい気分にさせてくれた。

TBSラジオのアーカイブは貴重な資料としてあらためていろいろなことを考えさせられた。

 

 

1本目の番組「BC級戦犯をめぐって」のそれぞれの証言では戦勝国によって裁かれた裁判とはいえ戦時下において経験した不条理な行動への気持ちとその思いは、2本目の番組「卑怯という名の勇気−韓国陸軍兵士によるドキュメント−」の“人間の尊厳”という点で共通する問題でいろいろなことを考えさせる貴重な資料だと思った。

それは、ベトナム戦争で韓国軍兵士として軍の命令に背いて日本への亡命を求めた兵士への対応をめぐるドキュメントだったが、結局は北朝鮮へと亡命したという。

自分ならどうするかと考えたときそう簡単にはいえそうにない。命がけで逃げる方がマシと考えるかもしれないし国に従って死を覚悟するかもしれない。また、息子に赤紙がきたらどうするかとも考える。それは直面してみないと、、、。

おそらくはべ平連と思われる若者たちの対応をめぐる生々しい声、若々しい小田実の声はそのあたりのシビアな現実を突きつけていたが、これもなつかしいもので何年たっても声質というものは変わらないものだなあとつくづく思った。

うっすらと記憶に残っていたようなニュースでもあったがこの兵士が北朝鮮へ亡命したとは知らなかった。

 

ヘンリー・ミラーの三島由紀夫の死についての論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。

そこに紹介された『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。

この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備しているように感じられるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。

確かに不可解な最後の市ヶ谷の《楯の会》の決起は滑稽としかいいようのないことかも知れないけれど、ぼくは観念論者とか狂信者としてしか理解できないほどの究極的な心境にそのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。

三島由紀夫は当時でさえ、極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて天皇論を主張していた。

だが、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするのかもしれない。

事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近がイメージされている。

いうなれば、三島由紀夫は身をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現して完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。仮に今現在がそうだとしたらそれはちょうど『暁の寺』あたりかも知れない。

だから、《覚悟の行動学》ともいえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。

確かにヘンリー・ミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるように思えてくるのだった。

 

 

バッタくん

  • 2019.09.01 Sunday
  • 12:46

 

いま、バッタくんがスダレに止まって休んでいる。けっこう、雨がふったから疲れたのかな、、、

米国代表チームのエース「アボット投手」

  • 2019.08.27 Tuesday
  • 20:39

 

米国女子ソフト代表チームの紅白試合。小さい頃、子どもたちがやっていたように至近距離でみるとさすがに凄い迫力。

とりわけ、左のアボット投手は180センチの長身から放たれるストレートは威力満点。

ほかにもチェンジアップ、カーブなど変化球も投じていた。「ス、ス、スゲー!」オレ受けられるかなぁ、などと思いながらしばし眺めていたら雨が、、、。

 

この日はスタジアムで試合観戦できる予定が雨で早々に中止となったのだろう。だが、夕刻には少しおさまったので紅白戦でもとなったのかもしれない。

 

 

試合前のストレッチ。近所なのでちょっとだけ寄ってみた。

 

 

みごとな野菜

  • 2019.08.21 Wednesday
  • 13:09

 

知人から送られてきた惚れぼれするようなみごとな野菜。

本当に美しくてきれいです。

 

 

こちらは最後に収穫したわが家のキュウリ。

 

 

これはアートか

  • 2019.08.15 Thursday
  • 14:26

植物ワイパー

 

けものみち

 

赤瀬川原平

 

BARRIER2

 

BARRIER1

 

BARRIER1

 

街を歩いているとなぜか気になる不思議な光景に出会うことがある。

もしかしてアートではないかと思うことがよくある。

何でもないものかもしれないが無視できない不思議な力を感じて気になってしまうのだ。

トマソン芸術のはじまりはそう云う事だったのかもしれない。

また、このような代物にタイトルをつけるセンスも大切で路上観察学会の一例を紹介するとこんなのが・・・

「純粋階段」「けもの道」「ワイパー」などなど。

 

純粋階段

 

これらは超有名な作品(?)だが身近なところにも不思議な作品を発見できるかもしれない。

 

 

香月のシベリアシリーズ

  • 2019.08.12 Monday
  • 22:45

青の太陽 1959年

 

朕 1970年

 

雪山 1972年

 

昨日は山口方面への墓参り。酷暑の中ではあったが午後1時には予定したとおり花岡の霊園、山口の二つのお寺をまわることができた。その後、湯田の知人宅にお邪魔して一休み。ご高齢の姉妹ふたりを訪ねるようになって何年になるだろう。ご高齢とはいえ二人ともいろいろな活動をされていて社会問題や政治や風俗など幅広い見識があって楽しいのだ。いつまでも元気でいてほしいものだが今のところ深刻な問題はなさそうだ。

 

その後、県立美術館で開催中の「香月泰男のシベリアシリーズ」を久しぶりに拝見した。

何年か前にもこのシリーズを拝見したことがあったがその時は作品「鷹」は展示されていなかった。このシリーズの特徴は何といっても独特のあのマチエールにあると云っていい。

 

湿地 1961年

 

アムール 1962年

 

香月はこのシリーズに取り掛かるにあたって、おそらく抑留生活で過ごしたシベリアのあの凍土とともに死と向き合った凍りつくような精神と身体的苦痛、その過酷な抑留体験をどのように表現できるか模索の時期を経てあのマチエールにたどり着いたに違いない。そして、「これでいける」という手ごたえを感じたに違いないのだ。

香月のシベリアは単純化された造形のほかに構図的にもきわめてシンプルなありようを呈している。

それはおそらく香月の経験した抑留生活そのものが《沈黙》の中にあったからかもしれない。ぼくはそう思う。

 

神農 1964年

 

雪〈窓〉 1963年

 

ー35° 1971年

 

もともと香月はあたたかい人間味あふれる精神の持ち主だった。子ども向けの玩具や造形作品だけでなく、日常的なモチーフを題材にしたプリミティヴな絵画や版画をみれば疑いようがない。

香月泰男ジュニア大賞絵画展はそういう香月のまなざしを意図して企画されたのではないか。

ちなみに、わが教室の子どもたちもこれまで大賞のほかにも多くの子が入選入賞をくりかえしている。そのことをきっかけに家族で香月泰男という画家に興味を持って欲しいとの願いもある。

会期は夏休み中たっぷりありますのでどうぞお見逃しなく。

 

黒い太陽 1961年

楠木の門前川

  • 2019.07.21 Sunday
  • 18:49

 

 

錦川はかなり増水していて錦帯橋の川原も隠れていた。

楠木はこの通り。




26日の楠木風景

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原田美術教室の活動


☛ 絵画のいろは展2019
2019年11月27日wed〜12月1日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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☛ グループ小品展2018
2018年10月3日(水)〜10月7日(日)
シンフォニア岩国企画展示室
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。




  

山口県美術展覧会2019


2019年2月14日(木)−3月3日(日)
9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール





ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


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『地図を広げて』(岩瀬成子著 理論社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。

『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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