紫陽花とサンショウ

  • 2018.06.17 Sunday
  • 13:14

 

わが家の紫陽花が満開になっています。紫のガクアジサイですがとても綺麗です。

 

 

サンショウの実を収穫。これも綺麗です。

 

牛窓の港町

  • 2018.06.14 Thursday
  • 10:03

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相田和弘監督作品観察映画の第7弾「港町」を横川シネマにて鑑賞するため広島へ。

今回、相田さんの作品にはじめて接したのだがすばらしい作品だと思った。岡山の牛窓といえばぼくには馴染みのあるところでもあり何となくうれしい気分。

それというのも若いころ倉敷にいて牛窓の海水浴場へ行ったこともあったし、絵画研究所のみんなでオリーブ園に絵を描きに行ったこともあるがそのころは港町に興味もつことはなかった。

息子がまだ小さかったころ、作家・灰谷健次郎さんのクルーザー「NAIWAI号」で瀬戸内海をあちこちクルージングして牛窓の桟橋につけ、岡山市内で行われた山下明生さんと灰谷さんの講演を聞いたこともあった。

 

この映画をみて登場する人たちの生きいきした表情と笑顔、その生活の営みにまず感動する。

網を繕い置き網を仕掛けて水あげして市場へおさめる村田のおじいちゃん。手際よくセリをするその市場の雰囲気。朝早く市場で魚を仕入れて販売する高祖鮮魚店を営む夫婦。アナゴ、ハゲ、チヌ、エビ、石鯛、鯛、メバルなど内海の小魚が水あげされ手際よくさばかれる。軽トラで馴染みの家に魚を届ける後期高齢者のおばちゃん。耳が遠くなった村田のおじいちゃんは「最近は魚はやすいしあわんようになってしもうた」という。ひとり暮らしだが中国電力を25年間勤めた娘さんがいる。自転車に乗せて犬と散歩するおじちゃん。その周辺には魚めあての猫たちがたむろしその猫たちに餌をつくって与える他所から移り住んだとおもえる夫婦。猫たちの表情も穏やかで幸せそうだ。墓を守りつづけるおばちゃん。そういう人々のようすを相田監督は愛おしむように丁寧に描いている。

 

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そういう港町の人や移り変わる町のようすをみながら声をかける一人のおばあちゃんがいる。

この作品はそのおばあちゃんの映画ではないが監督はかなりの時間を要してその人の心情と人となりを丹念に描いていく。真実とも妄想ともとれるそのおしゃべりに寄り添って撮りつづけるところがすごい。

そのおばあちゃんは他界されたと字幕で知ることになるが、ラストシーンの雲のあい間から光が差しこんでいる異様な空の映像には追悼の意が込められていたように思えてならなかった。

 

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衰退していく漁業や町並み、この映画はそこにいろいろなメッセージ性を読むことは可能かもしれないが、そんなことより人々の生活の営みそれ自体に愛おしみと感動を覚えることに驚嘆させられるのだった。

この映画はまさしく現代映画の一つの到達点といえるのかもしれない。観察映画おそるべし・・・。

 

 

ことばと音楽

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 14:00

 

昨年7月に軟禁状態のまま獄中で他界された中国の人権活動家でノーベル平和賞受賞者である劉暁波(リウ・シャオポー)さんをささえ続けた妻劉霞(リュウシア)さんに寄せた詩人谷川俊太郎の詩作「劉霞に」が朝日新聞(6月12日付)に掲載されていた。

 

もううんざり 見えるだけで歩けない

もううんざり 汚れた青空

もううんざり 涙を流すこと

 

劉霞さんの「毒薬」という詩集の中に収められた「無題ー谷川俊太郎にならいー」という詩の一節。谷川さんの「無題」という詩の形式にならって軟禁により自由を奪われ続ける心情がつづられている。

 

これを読んだ谷川さんはその日のうちに一編の詩を書き上げたという。<言葉で慰めることも/励ますこともできないから/私は君を音楽でくるんでやりたい…>と。

また、言語は、世界を「善と悪」「美と醜」といった二項対立で捉えがちだが、音楽は世界を隔てることなく丸ごと包み込むー。「ぼくは詩でそういう世界をつくりたいと願ってきた」という。

 

なんとかこの詩を本人に届けることができたということだが詩人の凄まじい魂に圧倒されるばかりだ。

迫真のひとり舞台

  • 2018.06.12 Tuesday
  • 21:32

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この間の日曜は大島文化センターで行われた坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」を堪能した。あいにくの雨の日となったにもかかわらず会場はほぼ満席となった。それというのも周防大島町出身の著名な民俗学者・宮本常一さんの著作『忘れられた日本人』におさめられたあの「土佐源氏」の一人芝居というのだから肯けるというもの。宮本常一のご当地、大島だからなおさらであろう。

開演前のプレトークとして、この日東京から駆けつけた劇作家の長田育恵さんから宮本常一との出会いとその影響などについていろいろなエピソードやこの「土佐源氏」についてその背景や‟馬喰”という仕事や差別、当時の女性のおかれた立場や様々な想いなどについて貴重な話を聞くことができた。また、役者・坂本長利さんのこの一人芝居の楽しみ方その見どころについて話され、舞台終了後のアフタートークでさらに詳しく坂本さんご自身から聞くこととして開演となった。

年老いた盲目の馬喰の色話と云ってしまえばそれまでだが、ここでは上級の身分とされるお役人のお方さまとの話と県会議員の奥さまとの話と二つのエピソードが語られ当時の身分や女性の置かれた立場を背景にして身分の低い馬喰の正直な心情が語られている。まさしく、『源氏物語』の主人公、あの光源氏と土佐源氏が重なる所以がそこにあるということなのかもしれない。

長田さんご自身も井上ひさし氏に師事し劇団「てがみ座」の旗揚げとともに精力的な活動をされている演劇人だ。宮本常一を題材にした「地を渡る舟」にて2015年文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞を受賞された経緯もある。

 

坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」は1967年初演以来2017年で50周年となる。国内外で高い評価を受け絶賛されているという。現在1190回を超えるほど上演回数を伸ばしているというから本当にすごいというほかない。

ぼくは4年前にも、岩国公演を拝見しているけれども今回はそのときとはひと味ちがう深みを感じたように思えた。面白いものだなあと本当に感動してしまった。88歳という高齢でありながら迫力満点のその舞台は凄味すら感じさせる圧倒的するものだったとおもう。

風の中に消えていく演技が最後となるのだが本当にすばらしい舞台だと感動する。

アフタートークでは「なぜ、土佐源氏だったのですか」という観客からの質問から、坂本さんの話は海外公演のことや演技のことなどあちこちに話題が飛び交いおおいに盛りあがって最高に楽しいトークとなった。本当に有難い舞台でした。

それは何回みても見ごたえのある舞台といえるのではないか、ぼくはあらためてそう思った次第であった。

 

舞台には高台とろうそく一本だけ背後には大黒一枚のシンプルな設定。

ふたつの夏

  • 2018.06.07 Thursday
  • 17:56

ふたつの夏(谷川俊太郎 佐野洋子著 小学館)

 

本書は1995年光文社より刊行された同名の単行本を再刊したとある。再刊に際しては大幅に挿画を改め、巻末に「佐野さんの手紙」を初収録。

冒頭の「釘」の初出は中央公論社の「海」臨時増刊号『子どもの宇宙』に「ふたつの夏」として1982年に収録されたものを改題したもので、他の二篇「安心してここにいる」「トンチャンノオハカ/トンちゃんのお墓」はその単行本のために書き下ろしたものらしい。

 

つまり、20数年ぶりに再刊されたわけだが、その隔たりを感じることもなく大変おもしろく楽しむことができた。

装丁も美しくむしろきわめて新鮮な印象を受けたのはどういうことだろう。

蜥蜴

  • 2018.06.03 Sunday
  • 13:20

 

庭の紫陽花のところでみつけた蜥蜴。じっくり観察すると本当にきれいな生き物だとおもう。

新緑に葉に映えて姿も模様も見ごとである。「美しいものだなぁ」とおもわず感心してしまうのであった。

 

なにをみているのかな?

  • 2018.06.01 Friday
  • 21:41

 

POOHちゃん、なにをみているのかな。

 

そろそろムカちゃんの出番となる季節⁉

 

・・・・・ まっ、ままままま、まさか❗

ジャポニスム論の草分け

  • 2018.05.16 Wednesday
  • 14:14

ジャポニスム(大島清次著、講談社)

 

「学術をポケットに・・・」講談社の野間省一氏は学術を巨大な城のように見る世間の常識に反して学術の権威をおとすものと非難されるかもしれないが、それは学術の新しいあり方を解しないものといわざるをえないと明言する。また、開かれた社会といわれる現代にとって、このことはまったく自明である、としてこのシリーズの刊行意図について述べている。

 

19世紀後半のフランスにおける印象派美術は芸術至上主義の名のもとにいきづまり大きなまがり角にさしかかっていた。

そのような時代において成立条件も美意識さえも異なる日本の浮世絵、とりわけ北斎や広重、歌麿たちの肉筆画や版画表現や価値観がモネをはじめゴッホやロートレック、ゴーガンなど当時の印象派の画家たちに驚きをもってむかえられたという。

「ジャポニスム」はシリーズ刊行にあたってその意図を述べた野間氏のまなざしともかさなっているようにみえる。そもそも芸術や学問の世界自体が既成の価値観や美意識を相対化する作業と営みであることを思えば自明であることを疑う余地もない。

だが、日本の浮世絵の成り立ちが江戸町人の生活に根差した行為であったことはヨーロッパの芸術至上主義の状況下において重要な意味をもったにちがいない。

本著「ジャポニスム」の原本は1980年に美術公論社から刊行されたもので、その核をなす論考はさらに10年前にさかのぼる雑誌「萌春」に連載されたものである、と著者自身「原本あとがき」に記述している。

「ジャポニスム」とは何であったか。

その研究の“草分け的こころみ”となる本著では、とりわけエルネスト・シェノー、テオドール・デュレという二人の美術批評家をはじめサミュエル・ビングや林忠正らが果たした役割に注目している。このことは日本美術のみならず、茶道や禅といった粋やわびさびに通ずる美意識をもつ「総合芸術」ともいうべき江戸町人の生活文化に根をおろす「民衆芸術」など広範な比較文化論として受けとられ注目されたとしている。

モネやロートレック、ゴッホやゴーギャンならともかく、ルノアールさえも「非均衡」説にあわせるように「不規則主義宣言」等々こうした日本文化に影響されたというのも不思議に思えたのだが、シェノーの論考に刺激されたのだろうか。

 

日本美術における装飾性と工芸的要素の問題は個人的にもきわめて興味深い論点でもあるけれど、「ジャポニスム」論それ自体が構造的に近代やアイデンティティ論をともなう学問としての可能性をもつ体系的な文化論として構造主義的まなざしをもって注目されたことに驚かされた。

パリ万博といえば明治維新、西洋啓蒙主義と富国強兵につきすすむ日本の歴史と逆行するようなフランス美術界におけるジャポニスムという文化現象のあり方も不思議でおもしろいと思えた。

歴史はくりかえされるというけれど現代が直面する政治や経済産業問題、さらには地球環境規模の問題を考えるヒントが「ジャポニスム」論の中に見えかくれしているような気さえしてくるからなおさらである。

 

そういえば、デイビット・ナッシュやエコロジー美術の動向に注目し日本に紹介してくれたのも著者・大島清次氏であったことを思いだしたところである。

シュールレアリズム

  • 2018.05.03 Thursday
  • 20:23

今年はどういうわけか台湾の映画『日曜日の散歩者』(ホアン・ヤーリー監督作品)をきっかけにシュールレアリズム(超現実主義)に縁がありそうだ。読みかけの宮川淳著作集で知ることとなった福島秀子や本展作家となる阿部展也、今年の錦帯橋まつりで偶然にも骨董市で遭遇した木喰仏と円空仏、木喰研究家として知られる画家猪飼重明と彫刻家見崎泰中と繋がってくればそれこそシュールというほかない。それというのも若いころぼくが所属したシュールレアリズムの団体「美術文化」の大先輩ということになることを思えばどこか因縁めいたものを感じてしまうからかもしれない。

とはいっても阿部展也の作品にふれることはこれまでなかったし絶好の機会でもあり楽しみにしていたのだ。それも身近な広島市現代美術館で開催されるというのも何かの縁のようにも感じていたのである。 会場におかれていた本展図録をみても当館関係者の執筆もなかったし本当にどういう契機で実現したのか不思議な気がしていたのだ。

 

 

 

阿部展也のことはいろいろと美術文化の人からも聞かされていたので絶好の機会となった。

久しぶりの広島市現代美術館はとても気持ちのいい緑に囲まれていて嬉しい気分、新緑がとりわけ美しかった。

 

 

この日は程よい風にも恵まれて新宮晋の作品もいい感じで動いていた。ヘンリー・ムーアの前で遊ぶ家族連れの子どもたちも何となくのどかで気持ち良さそうにみえた。

 

 

それはともかく、はじめてみる阿部展也の作品は特に初期のころの鉛筆画やタブローが印象的だった。瀧口修造との詩画集『妖精の距離』(1937)にはとりわけ圧倒された。

阿部展也はおどろくほど多才な人で写真から評論活動のほかにも日本美術家連盟を設立たり、新しい欧米美術の動向を紹介したり、さらには西洋の中世における石仏の研究などその活動はきわめて多岐にわたる。

60年代のはじめからはアンフォルメルや具体、アクションペインティングなどの動向と歩調を合わせるようにエンコースティックを用いた抽象作品、さらにはアクリル絵の具によるシンプルな<カタチ>を主題にした作風へと転ずるが、具体美術や斎藤義重のオリジナリティと比較するとややインパクトに欠ける気がしたのだがどうだろう。

だが、同時代の作家として文学から美術、音楽をはじめ多様な表現活動における渇望ともいえる時代状況を感じさせるひとりであることは間違いないようにも思えた。

 

 

また、同館コレクション展「女たちの行進」に展示されていた福島秀子の一点にふれる機会にめぐまれたのもなんの因果かうれしいサプライズとなった。

この企画では展示された個々の作品自体はすばらしいのだが展覧会のコンセプトてしてはタイトルからは程遠いなんとも中途半端な内容というほかないように思えた。

 

キズナスタジアムの阪神戦

  • 2018.04.23 Monday
  • 18:52

 

 

米軍キズナスタジアムではじめて行われたウェスタンリーグ公式戦は阪神が勝利。朝早くから観客が詰めかけてスタッフは駐車場の整理でターイヘン。

 

 

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絵画のいろは展2017


2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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グループ小品展2016


2016年9月21日(水)〜9月25日(日)
主催:原田美術教室会員
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015


2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚



『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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