かろうじて生き残っているだけなのかもしれない

  • 2020.08.06 Thursday
  • 12:04

 

元米国防長官は朝日新聞に語ったという。核戦争がおきそうになる。そんなことがこれまでに何度もあったと。(2020.8.6天声人語)

 

 

江戸絵画の冒険者たち

  • 2020.08.05 Wednesday
  • 13:54

 

 

江戸絵画の冒険者たち 

2020.7.7〜8.30 入館には事前予約が必要

山口県立美術館

 

 葛飾北斎〈弘法大師修法図》江戸

 

北斎、蕭白、若冲、応挙、光琳ら江戸時代の奇才絵師35人が集結!

円山応挙、尾形光琳など《主流》とされる絵師たちの前例にとらわれない奇才ぶりに注目し、全国各地から自由な発想に富む作品を一堂に集め、《奇》の追及こそが江戸絵画の主流であったことを提示。

 

絵金《伊達競阿国戯場 累》高知

 

コロナ禍中ではありますが、奇才35人による個性の競演をどうぞお楽しみください。

 

 

 

 

 

愛宕NOW7.31

  • 2020.07.31 Friday
  • 17:32

 

 

 

今日はめずらしく無機的なモチーフが相手だったためかけっこう時間がかかったな。

終わったのがちょうど16時だったから3時間はバッチリ描いたことになる。

ぼちぼち風景を描きたいとも思っているのだが、たまにはこういうのもいいだろう。

皆さん、よく頑張りました。


 

 

蜥蜴

  • 2020.07.30 Thursday
  • 19:17

 

蜥蜴が2匹、戯れていたのかなぁ、しばらくしたらもう居なくなっていた。

 

屈折と欺瞞の謎

  • 2020.07.27 Monday
  • 17:53

日本戦後史論(白井聡 内田樹共著、徳間書店)

 

本著は話題となった白井聡著「永続敗戦論」が刊行されたばかりの頃に企画され、白井氏とともに幅広い知見で知られる文学者で哲学者、武道家でもある内田樹氏との三度にわたる対談をまとめたものとある。帯には「この国を覆う憂鬱の正体」「戦後70年、“敗戦の否認”の呪縛を直視せよ!」とあり、たいへん興味深いフレーズがひときわ読者の眼をひく。

冒頭、白井氏は政治を学問的に取り扱う際の手続きとして、二十世紀前半の二つの世界大戦をふまえ二十世紀後半の人文・社会科学は、ナショナリズムとしての愛国主義に対する批判的解明の作業を進めることになった、として次のようにいう。

 

これらを踏まえたうえでなお、内田さんと私の対談は愛国主義を打ち出すものとなりました。その理由は、一つには、ならず者たちの愛国主義が猖獗を極めているという事情があります。上は内閣総理大臣から下はヘイトスピーチの市民活動家に至るまで、郷土への愛着は何ら感じられない一方、幼稚な戦争趣味と他国民への攻撃性だけが突出した悪性のナショナリストたちが、愛国主義の旗印を独占しています。これらの輩が、愛国者面をした単なるならず者であることを徹底的に暴露しなければなりません。(p6−7)

 

本著では日本人にとって戦後とは何だったのか。いま起きている問題の根底にあるものは何か、として四章に分けてまとめてあるけれど、対談は両者の深い見識と歴史文化を包括しながら俯瞰的なまなざしでこの国のアイデンティティにかかわる屈折と欺瞞にみちた謎の解明に明晰なロジックで切り込んでいてたいへん分かりやすくおもしろい。とりわけこの国の戦後史において、世界中の国々が日本はアメリカの属国だと思っていても日本だけが自分は主権国家だと思っている。これほど奇妙な敗戦国は世界史上類を見ないという。この国の支配層が敗戦の責任追及から逃れる術として、冷戦構造の中においてアメリカ陣営に付くことで、かつての敵をこれからは仲間と思い込むことにした。これが敗戦の責任を有耶無耶にするメカニズムだと白井氏はいう。さらに、「永続敗戦」という概念について次のように述べている。

 

第二次世界大戦が終結し、日本にとっては敗北という形で終わりました。この純然たる敗北、文句なしの負けを、戦後の日本はごまかしてきた。これを私は「敗戦の否認」と呼んでいます。(p90)

 

また、戦後の日本は民主的な国家になったと言われますけど、それは虚構だという。

 

対国内的には敗戦をごまかし、アメリカに対しては無条件降伏しました。お手上げです。日本の保守政治勢力はアメリカの許しの下で権力の座に留まった訳ですから、彼らがアメリカに対して頭が上がるわけがありません。これが対米従属と呼ばれる構造を形成した根本原因です。こうやって日本はアメリカに永遠に負け続ける。(p92)

 

一方、内田氏はこの国の文化的特殊性というか、日本社会がもっている固有の人間関係の特殊性から、この「対米従属と対米自立」構造についてこれを「のれん分け戦略」と説明する。われわれ日本人にとってはそんなに違和感のあるものではなくなじみやすいものだとし、いうなれば忠義を尽くし利害の完璧な一致を誇示することで独立を獲得する、という考え方だとしている。

しかしながら、第二次世界大戦後の世界秩序を見れば、ソ連の子分になるか、アメリの子分になるか、選択肢はなかったことを考えれば単に対米従属そのものを批判しても仕方がない。また、55年体制を前提にすれば、アメリカべったりの自民党とソ連寄りの社会党の構造だからこそ、国家主権や相対的な自立性が確保されたという。さらに、平和憲法の立場の問題もあった。だが、55年体制は崩れ冷戦終了後も対米従属が続くのはなぜか。とりわけ統治システムにおいて、戦前の天皇が占めていた位置にワシントンが入る形で永続敗戦の構造を戦後の国体とすることになった。

だが、内田氏は次のように分析する。

 

東西冷戦構造が解体して、世界が液状化したことによって今まで日本人が使ってきた「ワシントンの大御心」を忖度するという戦略が機能しなくなってしまっている。そのせいで、日本の外交は右往左往している。アメリカだって複雑な外交戦略を展開しているわけですけど、その複雑な変数を処理できるだけの演算能力がもう当のアメリカにもない。(p101−102)

 

これはじつに由々しき事態であるけれど誰もその責任を取ることはなく非決定的な「ことなかれ主義」が蔓延する。安倍政権が主張する《戦後レジュームからの脱却》《美しい国、日本》とは何か。

ますます劣化する国状とともに憲法改正をとなえ対米従属を強化するベクトルとなっているのは誰の目にも明らかだろう。この理解しがたい矛盾にみちた美しさとはこれこそ大いなる欺瞞以外の何ものでもない。

けだし、国体という観点からみても日米合同委員会で承認された地位協定は主権国家としての権利を侵害した不平等な協定にもかかわらずそのことを主張することは一度もなかった。それこそ属国でありながら主権国家、民主主義、平和主義などと《ごっこ遊び》に明けくれ経済発展を遂げることで状況を受入れる他なかったのかもしれない。おしまいには「日本人の中にある自滅衝動」という第四章、話はついに安倍首相の人格乖離にまで及ぶことになり、内田氏は次のように分析する。

 

政治家になる過程で、彼はかなりいろいろなものを切り捨ててしまったんだと思います。優しくて、人の話をよく聞いて、穏やかな人物では政治の世界を生き抜けない。別人のペルソナを借りるしかない。生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なんです。生身の身体をひきずっていると、言葉づかいはもっと曖昧になるし、もっと深みも出てくる。(p202−203)

 

これに対して白井氏はついにインポ・マッチョという性質の悪さ、すなわち自分がインポであるということを何がなんでも否定することになり、換言すればこれが「敗戦の否認」だとしている。

だが、どこの国でも「不都合な事実」は否認されるものだとしてそれが統治や社会システムの歪みの原因となると内田氏はいう。

アメリカにおける原住民虐殺と奪略の歴史、フランスのヴィシー政権の隠蔽、ドイツはどうかといえばナチスにすべての「穢れ」を押しつけて、「一般ドイツ人はナチス独裁の犠牲者だった」という物語を基礎づけた。とりわけ、日本はその意識がきわめて強いけれどもドイツになれなかったのは天皇の訴追ができなかったことで独自の否認を考える他なかった。そのことは歴史修正主義へと姿を変え《敗戦の否認》、すなわち《永続敗戦レジューム》へと帰結していくことになった。

日本の「占領時代」何があったか、アメリカの情報開示を待つまではその事実が明かされることはない。だが、岸信介も賀屋興宣も正力松太郎もCIAの協力者リストに名前があることは明白だ。その末裔たちが今も政権中枢にいることを思えば、強行してまで特定秘密保護法制定を急いだ理由も事実を隠蔽する目的があったということなのか。この対談を通じて白井氏は自ら打ち出した《敗戦の否認》という概念をさらに深めていくヒントを得たという。否認という概念はフロイトの精神分析学を起源とするもので明白に病的な状態だといえるがこれを治すことは簡単ではないともいう。だが、これを認めることからしか話は始まらない。また、永続敗戦レジュームの中核層やその支持層こそその病気を深く患っているとしている。

本著は大胆なロジックと的確な言葉によるきわめて良質の戦後史論となっている。まずはご一読を!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちりもつもればもとどうり

  • 2020.07.25 Saturday
  • 18:08

なお

模様(もよう)がおもしろいね。

 

プチはる

次回からの新メンバーで三原に転居した森釉ちゃんの友だちだ。

 

えま

あれっ、こんなになったよ。

 

めぐ

おおっ、これはすごい。きっちりやるときれいだなぁ。

 

みこ

はじめは細かくやっていたんだよね。そこがおもしろいぞ!

 

かえ

きれいにできています。隙間の方が白く感じるね、面積対比が効いています。

 

ここ

あれっ、残りは??? 重なりすぎたのかなぁ、これはおもしろいオチでした。

 

はる

とてもきれいだす。

 

《ちりもつもればもとどうり》、現代アートの作家で60年代のスーパースター高松次郎の「単体」をもじってパズルのような作品をつくってみたよ。単体色の折り紙を「ちぎり戻し」するのだ。

石の彫刻家ウルリッヒ・リュックリームの《割り戻し》のようなものだ。

それができたら今度は擬音語「パラパラパラ」「フワフワフワ」「ころころころ」の音が聞こえるような絵にすることに、、、これはむずかしかった。

どこかに正しいやり方がありそうで皆目わからない。は、は、は、そんなのないよーだ。困惑気味なので「○○さんのパラパラパラ」でいいことにしてみると。

すると何となくできた。動きが感じられると音になりそうだ。変化とひろがり、余白の変化。

ふつうのモノが普通じゃなく感じられることのおもしろさについて考えてみよう。

 

 

おしまいにはこの通り、ハルさんにツルとカエルの折り方を教えてもらって解散。 



   


 

教室 NOW 7.22

  • 2020.07.22 Wednesday
  • 15:10

 

 

安永さんの《自画像》なかなかのものですな、は、

 

 

はじめての抽象、やっぱりむつかしいものですな。徳川

 

 

《里の空》雲ばっかりでむずかしかったあぁあぁ!玉井

 

 

中澤

 

 

藤本

 

山本

 

最近はどういう訳かみんなの絵が早くできてしまう。

早くできたので「もう一枚」とはならないのも不思議です。だれが早くできるか競争していることもないのにおよそ2時間でできてしまうから「あら不思議」なのだ。

 

早くできた人から一位中澤さん、二位藤本さん、三位山本さんの順でした。

そういう競争ではありませんでしたな、いつも子どもたちに言っていることでした。

 

 

 

 

 

  

途中下車

  • 2020.07.20 Monday
  • 10:40

 

クリックしてね!

 

久しぶりのマドモアゼル・シネマのダンス公演、これまでの活動のあり方が難しくなった状況(コロナ渦中の生活様式)においてオンライン劇場というスタイルで新たな実践が試みられた。

このグループのライフワークともなってきた「途中下車」は、言葉と映像が切れのいいダンサーたちの身振りとともにブリコラージュされ、それぞれの記憶とともに今を歓喜(喚起)させる見事な構成となっている。この楽しさはむしろ可能性にあふれているのではないか。

 

きのうはマドモアゼル・シネマのオンライン劇場「途中下車」がありました。YouTubeのセッションハウスオンライン劇場「途中下車」を検索すると見ることができます。

 

今回は岩瀬のいくつかの作品の中から文中の言葉を抜粋してマドのダンスとコラボレーションした形になっています。公演のあと、オンラインで舞台に集まった直子さんやダンサーたちとチャットでリアルタイムの会話(やり取り)もできました。

コロナ渦中、マドモアゼル・シネマもこれまでとは違った試みの中から新たな可能性を探ろうと頑張っています。

 

魔よけのオブジェ?

  • 2020.07.18 Saturday
  • 17:07

 

 

 

 

金属アルミ板をたたいてヘンテコどうぶつをつくってみたよ。へぇーっ、ハサミでも切れるんだぁ・・・

《ゲームあそび》も楽しいけれど、工作少年少女になって《作るあそび》も楽しいぞ。消費と生産のバランスかな?

 

 

 

 

 

 

ペンチでひねったりクギや金づちでブツブツした感じにしたりで久しぶりの金属工作を楽しみました。

扱いにくいものを工夫して頑張ると思いがけない《宝もの》に出会うことがある・・・・かも。 

 

 

帰る途中に錦帯橋に立ち寄ってみると確かに支持柱部分の筋交が一部流されていた。

 

 

 

この間、スケッチしたばかりだったのになぁ。


 

ヘビの工作

  • 2020.07.11 Saturday
  • 16:51

 

子どものクラスはしばらく絵画制作が続いていたので今日は久しぶりの工作。

 

 

最近はプラスチックでできたものが多いけれど、出店やどこのお土産やにもあった。

昔は竹細工の代表格だったなぁ。動きのカラクリについて考えてみよう。

 

 

教えてくれたり手伝ってくれる子どもの関係はとても大切だ。

 

 

少しのミスはおもしろさでカバーする。カラクリ好きの子どもになってほしいものだな。

 

 

夢中になるとこんな顔になってみんな静かになるね。

 

 

いつの間にかこんなすわり方にもなっている(無意識の正座)。

 

 

誰がもってきたかは分かっている。

 

 

帰りの途中に錦帯橋に立ち寄ってみるとこんなになっていた。

けっこう降ったんだなぁ、いつもの錦川とは大ちがいだ。

 

 

 

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原田美術教室の活動


♛ グループ小品展2020
2020年10月21日(水)〜10月25日(日)10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール

この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。









  
♛ 絵画のいろは展2019
2019年11月27日wed〜12月1日sun10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール






この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。


子どもの作品が大人気








♛ 山口県美術展覧会2019 2019年2月14日(木)−3月3日(日)9:00−17:00(入館は16:30まで) 
休館日:2月18日(月)、25日(月)
観覧料/一般:500(400)円 学生:400(300)円( )内は20人以上の団体料金
*18歳以下は無料 *70才以上の方、中東教育学校、高等学校、特別支援学校に在学する方等は無料 *障碍者手帳等をご持参の方とその介護の方1名は無料
山口県立美術館

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優秀賞 藤本スミ

入選 玉井康子

入選 中村みどり



佳作賞 浜桐陽子

原田文明の現況2021展


2021年5月19日wed−5月23日sun
10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール



当初はここ数年とり組んできた『ドローイングインスタレーション2021』としての新展開を考えていましたが、現況2012展の続編みたいな構成で具体絵画とともに現況2021展としてまとめてみたいと思っています。

原田文明展 ドローイングインスタレーション2018


2018年11月21日wed−25日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール











ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の営為の中で、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。
私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。
ここでは行為と物質がもたらす一回性の出来事さえも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。いうまでもなく、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな知覚的世界として位置づけ、形而上学的な意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。
さらに、その表現形式のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えます。
私にとってもはや絵画は多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体性を意識したメタフィジカルな実践として存在論的に見えかくれする場面への接近であり、換言すれば世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われというべきかも知れないのです。
本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえてたどりついた新作ドローイングインスタレーションの様式にさらに色彩的要素を取り入れることによって新境地への挑戦と可能性を探求する原田文明の現況とその一端を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」




本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚



『もうひとつの曲り角』(岩瀬成子著 酒井駒子表紙絵 講談社)
野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化賞大賞、IBBYオナーリスト賞など数々の賞を受賞する岩瀬成子氏の最新長編作品。

柵には半開きになった木の扉がついていて、その扉に「どうぞお入りください」と青色のマジックで書かれた板がぶらさがっていた。 「いやだ。あたしはそんなところへは、ぜったいに入らないから」ときこえた。 えっ。どきんとした。 庭木のむこうからだった。わたしにむかっていったんだろうか。 わたしは耳をすまして、木々にさえぎられて見えない庭のようすをうかがった。 しんとしていた。 だれがいるんだろう。 わたしはぶらさがっている板をもう一度見た。 それから足音を立てないようにして、そっと扉のあいだから庭に入っていった。しかられたら、すぐににげだすつもりだった。ちょっとだけ、のぞいてみたかった。──本文より。 小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の東側から西側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・。

日本絵本賞、講談社出版文化賞、ブラチスラバ世界絵本原画展金牌、オランダ銀の石筆賞など受賞の酒井駒子氏による美しい装画にも注目!

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『地図を広げて』(岩瀬成子著 理論社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。


『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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