衝撃の映画『息衝く』

  • 2018.09.20 Thursday
  • 17:07

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原発・宗教・家族 ― 六ケ所村から東京へ。社会と個の関わりを問い続けてきた木村文洋が描く、3.11以後の日本のすがた。

 

この間、話題の映画『息衝く』(木村文洋監督作品)を観た。この作品は核燃料再処理工場がある青森県六ケ所村を舞台に、そこに生きる家族の決断を描いた前作「へばの」(08)と対をなすものとして既に当初から構想にあったもので、田無タワーのある東京(田無)に生きる30代の青年たちの物語である。

青年たちは「種子の会」と称する大新興宗教団体に属する生育環境を共通してもっている。理想と現実の間に揺れ自らの信念を問い続けながらも団体の中で生きる則夫と大和、「種子の会」を離れ、母親となって独りで子を育てる慈。彼らには幼少期より絶対的に信頼を寄せる父親的存在がいた。「ひとは独りで生きていけるほど強くない。世界ぜんたいの幸福を願うときこそ、個であれ・・・」とそういったかつての「種子の会」のカリスマは疾走し三人から姿をくらました。

映像はそのカリスマ的存在である森山に会うためにひた走る車中のようすではじまる。背景には貧しさと差別、新宗教に救いを求めざるを得ないよるべない状況がある。

原発・宗教・家族を軸に捉え、この社会でいかにして個として生き続けることができるのかを問う大きなスケールを感じさせる衝撃的な作品といえる。それゆえに並々ならぬ監督の決意と熱情が感じとれる映像が随所にみられ強烈な印象を与える。

「地下鉄サリン事件」オウム真理教を題材にして幹部・平田信の逃走を助ける女性の実話から社会と個のかかわりを描いた「愛のゆくえ」(12)という作品もあるけれど、否応なく政治や宗教や家族の問題が浮上することになる。この映画の制作を前にして木村文洋監督は一年の間「創価学会」に入信する経験をもっている。

 

宗教と政治、個と集団、理想とする社会の実現を願い懸命に生きる姿を通してみえてくる目的と手段の転倒。まさしく日蓮宗の重要な教義ともいえる「依法不依人」の真理が問われているのかもしれない。いや、だとすれば親鸞や法然の浄土系仏教の視点でみれば捉え方も異なるはずで自然や身体性の見方も必要となるだろう。そうなればますます複雑で多様なあり方が問われていいように思う。

現代が抱える社会病理と矛盾、この閉塞した状況を真正面から描こうとする作品であるがゆえにその描き方には賛否両論あるしあっていいともいえる。一概にいい切れる単純な回答があるはずもなく、ぼくたちは大きな問と大きな課題を突きつけられることになる。

したがって、この映画に決して救いはない。あるのはこの問いに対してとことん向きあい考え続けることで個としての哲学的な命題に対峙するほかないのだ。

今の政治状況をおもえば思うほど社会が抱えるこの現実的な難問に正面から向きあった稀有な作品だといえる。

だが、このことはぼくたちの日常の淀みに心地いい新風を吹き込む力のある作品ということもできるだろう。

 

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『依法不依人』についてー『息衝く』における宗教と政治(鎌田哲哉&木村文洋 批評誌 Resurrections)

 

かまだ・てつや

1962年北海道生まれ。最近の批評文に「木村文洋のりんご」(『息衝く』パンフレット)「憤ることと物のあわれを知ること」などがある。

 

 

家族の絵

  • 2018.09.12 Wednesday
  • 13:10

あたらしい子がきて(小2)

 

 生まれたばかりの赤ちゃんを囲んでみんなうれしそうですね。ほのぼのとした感じが伝わってきます。

 

畑のお手伝い(小2)

 

お母さんの畑仕事を手伝っていますね。何が収穫できたのかな。

 

母と姉(小4)

 

なんとなくピカソ風でおもしろいです。思い切った造形的センスが際立っていますね。

 

これらはみんな家族をテーマに公募された香月ジュニア大賞絵画展に出品する作品です。このほかにもいろいろな楽しい作品が・・・

むずかしいテーマなのでみんな苦労していましたが何とかできあがりました。

 

Oくんと再会

  • 2018.09.10 Monday
  • 10:49

この春、京都精華大のマンガコースに進学したOくんがご両親と一緒に教室を訪ねて来てくれた。

この大学のマンガコースに進んだのは彼が初めてで、学部や大学の日々のようすなどいろいろ話してくれた。これまでこなした課題も少しばかり見せてくれこの休みに描いた作品も持ってきてくれた。

 

 

 

これ等の作品を見ていると楽しそうにやっていることがよく分かるし、久しぶりにみるOくんは表情も柔らかくなっていて少し自信もついてきたようにも感じられて嬉しかった。

中学時代のトラブルやいろいろな事情もあったのでちょっと気になっていたのだが充分やっていけるはずだと励ましてきたのだった。彼はこれからやることがいっぱいあるし過去のことはいいから先のことに向かって多くの経験をつんで成長していけるといいなとも思っている。

 

「後期がはじまるまで間があるけど京都に帰って何をする?」というと、課題も一つ残っているしやることもあるという。田舎にいてもやることもないし確かにそうだろうなとも思う。

 

 

 

学生という特権的身分はうらやましい限りだが4年間はあっという間に過ぎていく。さらにさらに大きく成長してほしいものである。

 

 

POOHちゃん

  • 2018.09.07 Friday
  • 20:17

真夜中の12時を過ぎると早朝ということになるのだろうか、それにしても潮目というのは本当にあるものなんだなぁ・・・。ちょうど干潮の時刻にぼくらが慣れ親しんだ愛描POOHちゃんが息を引き取った。今日の0時20分に錦蔵のもとへと旅立った。

POOHはもともとノラ猫で、以前わが家で飼っていた錦蔵を慕ってやってきた猫だった。容姿はきれいで若々しかったが臆病な奴で人の気配をいつも気にするところがあった。だが、どういうわけか錦蔵とは気が合うのか気ままに遊ぶことができた。

 

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錦蔵は息子が小学一年のときに拾ってきた猫で息子の成長を見守るようにわが家で一緒に暮らした犬のような猫だった。人懐っこい奴で近所の子どもたちからもキンちゃんキンちゃんと呼ばれていた。ぼくは錦蔵からいろいろなことを学んだような気がするのだが17で死んだ。

もう少し生きてPOOHちゃんにもいろいろ教えてほしかったのだが、それでもPOOHもいつの間にか気のゆるせるようすでぼくらとも接することができるようになっていた。たまに帰ってくる息子も「POOHは変わったな」と驚くほどになっていた。


ひと月くらい前から食事の量が減り歯槽膿漏のように歯茎が炎症して痛むのかときどき「エッ!」という奇声を発する時があったので錦蔵の主治医でもあった赤岸先生に診てもらった。エイズに感染しているのかもしれないが抗生物質と栄養剤を注射しながらようすをみることになった。家猫というわけでもなく外にも出入り自由にして飼っていたが感染する可能性もそれだけあるということらしい。二週間くらい前のときは採血して同じように注射して検査結果をみることになった。後日、連絡がありやはりエイズ感染症で毎日点滴に来てくれということだった。

だが、ぼくらは通院によるPOOHのストレスと錦蔵の前に飼っていた猫ハリコのときの経験から毎日の点滴は無理だと判断して見守ることにしたのだった。食事はほとんど食べられなくなっていた。

 

根っからの性分なのか野生の血がそうさせるのかPOOHは今年の猛暑の日でも外でゴロンとして過ごした。家の中では三種類の流動食を用意して食べさせようとしたのだがほとんど食べられなかった。食べたいのに食べられなかったのかもしれないが水だけ飲んで外へ出ていった。

最期の数日間は外といっても隣の敷地でぼくらの眼のとどく所にいたが雨の時には姿を見せなかった。どこか安全な場所があるのだろうと思っていろいろ探してみたのだが分からなかった。

一昨日の夜には少し離れたところでやや下がった場所にある柿木の傍でじっとしていた。辛そうにも見えた。POOHちゃんと呼びかけると「ゥえん」と反応するだけで振り向くことはなかった。呼びかけないでほしいという感じもしたので見守るだけだった。

夜寝る前に確認にいくとそこにはいなかったので慌てて懐中電灯を当てると隣の敷地のすこし手前でじっとしてこちらを見ていた。

一段下の柿木のところからよくあそこまであがれたなあと感心したり家の中でゴロンしていたらいいのになとふたりで話したが仕方のないことだった。今度はカミさんが見守りにでると姿がなかった。ハリコのように姿を隠すことを心配したが翌朝さがすことにした。

朝起きて7時ごろにぼくがさがしているといつものところの一歩手前でPOOHはうずくまってじっとしていた。その日は雨の予想であのまま死なせるのは可哀想だとおもい夕方には家に連れて入ることにしていたが、近所のおばさんたちが騒ぐので気にしているとまた姿を隠してしまった。だが、近所のおばちゃんが隣の床下に入るところを見てくれていた。それはPOOHにとっては安全で雨をしのげる最適の場所だった。

 

その後、ぼくは留守をしたがカミさんの呼びかけでPOOHは床下からやっとでてきてくれたという。カミさんはそのまま抱えて家の中に連れて入りぼくが帰ったころにはPOOHは静かに横たわっていた。

ぼくが三時半に帰って抱えて家の中に連れ戻すつもりでいたのだがひと通りの話をカミさんから聞いた。食事の用意をしている間、ぼくはPOOHに呼びかけいろいろなことを思い浮かべていた。よく頑張った、楽になっていいよ、安心しろ、キンちゃんが待っている、などと意味不明のことばで呼びかけた。POOHもウ―、うー、と云ったような気がした。

 

意識がもうろうとした中でのやりとりだったかもしれない。ぼくらはPOOHはもう無理かもしれないとふたりで話し覚悟はしていた。潮の干満を調べてみると福岡や大分が23時50分ごろとなっていたので24時前後がヤマかもしれないと思ったがその通りになってしまった。POOHは15分くらいの昏睡状態のあと静かになった。いい猫だった。

 

3人3様

  • 2018.09.05 Wednesday
  • 13:59

 

 

 

ブドウの絵ができあがりました。

グループ小品展2018

  • 2018.08.30 Thursday
  • 16:33

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グループ小品展のフライヤーが仕上がりました。10月3日(水)からシンフォニア岩国で開催される原田美術教室のメンバー会員による比較的小さな作品を集めて行われるもので、絵画のいろは展とともに隔年で開催されています。

だから、前回は2016年に同会場で行われ大盛会となりました。

とりわけ、各自の日頃の取りくみ方と指導者(原田)の視点を説明した「鑑賞一口メモ」が大人気となり、今回のフライヤーに一部使われています。

このブログでもすでに紹介していますが、いま現在はこの暑さにもめげずに皆さん一生懸命制作に励んでいます。

出品者の高齢化もすすみ多少の顔ぶれも入れ替わっていますが、前回に劣らぬ楽しい展覧会が予想されます。乞うご期待!

 

 

この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。

特に今回の小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。

また、研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。

 

原田美術教室メンバー会員より

 

小品がゾクゾクと、、、

  • 2018.08.22 Wednesday
  • 14:47

安永 30号

 

徳田 30号

 

小方 10号

 

玉井 10号

 

川部 四つ切り


小品展の作品がゾクゾクとできています。上から安永画伯、徳田画伯、小方画伯、玉井画伯、川部画伯、それぞれユニークなおもしろさがあって楽しいですね。

 

どうかなぁ、、、

  • 2018.08.20 Monday
  • 21:45

 

どうかなぁ、いけているかな?

ホント自信ないんだよね。いままで概念を中心に試行してきていたためかなかなか色彩を使うことが大きな壁になっていた。

これでも大冒険のつもりで制作しているのだがなかなかしっくりこない。

 

 

久々の個展というのにどうなるんだろうね。大丈夫かぁ〜ホント。

墓参り

  • 2018.08.12 Sunday
  • 14:18

土曜日は徳山と山口方面の墓参り。

 

 

先ずは徳山へ、、、

 

 

徳地の道の駅を経由して、、、

 

 

雲谷庵のわきを抜けて山口天花のお寺へ。

 

 

最後にもう一つ。

 

 

さらに湯田の知人宅でお茶をごちそうに、、、

 

 

家路につくと6時半。けっこう、くたびれたなぁ、、、。

UとNの近作

  • 2018.08.11 Saturday
  • 09:03




一般コース、中学一年Uの近作。



一般コース、愛宕のNさんの近作。

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絵画のいろは展2017


2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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グループ小品展2018


2018年10月3日(水)〜10月7日(日) シンフォニア岩国
主催:原田美術教室会員
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015


2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚


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『地図を広げて』(岩瀬成子著 理論社)
父親と2人暮らしの鈴のもとに、母親が倒れたという知らせがとどく。母はそのまま亡くなってしまい、母親のもとにいた弟の圭が、鈴たちといっしょに暮らすことになった。 たがいに離れていた時間のこと、それぞれがもつ母親との思い出。さまざまな思いをかかえて揺れ動く子どもたちの感情をこまやかにとらえ、たがいを思いやりながら、手探りでつくる新しい家族の日々をていねいに描いた感動作。

『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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