美術教室

  • 2017.12.11 Monday
  • 12:28

原田美術教室 / 案内



受験コース

このコースでは多様化する今日的な美術の状況と受験の現実をふまえて、一人一人の個性を大切にし、造形美術の基礎的な取り組みから<見る><つくる(描く)><感じる>力を育てます。
具体的には鉛筆・木炭デッサン、油彩、水彩を中心に受験対策と徹底した基礎を学びます。また、 発想の展開、表現することの意義深さ面白さを<考える>ことから柔軟で力強い造形力がつくよう親切に指導します。




児童コース

子どもたちと一緒にいろいろな活動をしていて思うのは、考えることや感じることより先に知識(情報)を得ることに関心をもちすぎる気がします。
このコースでは、絵画や粘土遊びの他に木や金属、紙、ガラス、石などといった色々な材料にふれることを通して作品の制作に取り組みます。
造形あそびの楽しさは、ただ作品を完成することだけではなく、つくる課程で何を感じ何を考えるかということ。子どもと一緒にその創意と可能性について考えながら、道具や素材に親しむことから親切な指導をしていきます。
秋のスケッチや夏の野外あそびなどのほか、定期的に展覧会「TRY展」を開催して、
教室で制作した作品を発表します。




一般コース

文化的な営み、活力と潤いのある生活。
このコースでは、はじめての人から県美展や市美展をはじめ他の美術コンクールなどで入選入賞を果たしている人、あるいは国籍・性別・年令を問わず色々な人を対象としています。内容も油彩・水彩・アクリル画と色々ですが、人と人、表現と表現のふれあう中で、テクニックだけではなく絵を描くことで何を発見できるか、ということを問いつづけています。
また、 秋のスケッチ、美術鑑賞などのほか「絵画のいろは」展「グループ小品」展をビエンナーレ形式で交互に開催し
教室での制作発表をしています。




 

 

 

 

小品展2018の日程決まる

  • 2017.12.04 Monday
  • 22:42

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グループ小品展の日程が決まりました。

先月終えたばかりの「絵画のいろは展」とともにこれまで隔年で開催されてきましたが来年は10月3日wedー7日sunまでとなりました。

 

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グループ小品展2018なので絵画のいろは展会場の1/3の会場になりますが一つの目標にしてください。

なんとか昨年以上に楽しい作品展にしたいですね。

 

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部活動はブラックか?

  • 2017.12.04 Monday
  • 11:16

ブラック部活動(内田良著 東洋館出版社)

 

昨今、いろいろな面で話題となる学校教育における部活動問題についてエビデンスで見るリアルな問題点を浮き彫りにする著作が登場した。著者は教育社会学を専門とする名古屋大大学院教育発達科学研究科の内田良准教授。日本教育社会学会、日本子ども安全学会の理事でもある。部活問題対策プロジェクトの協力を得ながら膨大な調査研究をもとにまとめたもので説得力・信ぴょう性ともに抜群の著作と云っていい。なるほど、考えてみれば見るほど不思議なことだらけである。

先ずは第1章 屮哀譟璽勝璽鵝廚鮓える化する”にはじまり、⊆主的だから加熱する自主的なのに強制される➃強いられる『全員顧問』の苦しみザ軌の働き方改革α膿佑顧問Р畩蠅蔑習、自己、暴力╂萓犬燭舛立ち上がった!未来展望図とつづく。最後は部活動のリアル、として対策プロジェクトとの座談会で締められている。

 

上京した折、偶然にも八重洲ブックセンターで行われた憲法学者・木村草太と著者・内田良の対談に居合わせることができ本著のことは気になっていた。その時の対談でも基本的には文科省教育課程における学習指導要領の観点で部活動はあくまでも自主的自発的参加として規定されていながら云々…、ということで話がすすめられたと記憶している。切実な問題を抱えていた参加者からも部活動をやめさせたいけどやめられない、“空気感”や“周囲の眼”にどのように対処できるか等々の質問もあった。

部活動は何故加熱するのか、このことは生徒のみならず実は先生の側も共有する深刻な問題となっていることをふまえて解決することが求められている。

膨大な時間を必要とする部活動は土日もない時間外労働でほとんどがボランティアと云う就労問題にもなっていて本来の学習指導にも支障をきたしているのが実情だという。部活動は補習などと同じように教育課程外の位置づけではあるが学校教育の一環に含まれる活動である。事実としてそれなりに教育的効果は充分認められるし、教育の観点からみても有効な手段であることを否定するつもりはない。

だが、部活動は法律の及ばない無法地帯であるがゆえに「グレーゾーン」として歯止めが効かないのだ。実際問題、強くなれば楽しくなるし周囲の評価も学習指導の結果以上に分かりやすいという点で地域や保護者とともに成果を共有できエスカレートしやすい状況もある。このことは運動部だけでなく文化部においても同様、高校野球やプロスポーツ、さらにオリンピック競技にまで影響が及んでいる。

それなら、部活動に時間制限を加えるとか、自主的に地域の専門的なクラブに所属すことで個々の能力を伸ばすなどして解決できそうにも思えるのだが、地域格差やコスト等々の問題もありそう簡単ではなさそうだ。

ひと頃、手段と目的ということが気になっていたものだが、部活動問題も手段と目的が転倒しているようにも思えてくるから不思議だ。学習指導要領からすれば部活動はあくまでも教育の手段であるはずのものが目的化しているとも考えられる。そうなれば本末転倒、公教育は成り立ちそうもない。

このグレーゾーンであるがゆえの矛盾、本著は現場で悩む生徒や先生たちが抱える切実な問題にスポットを当て本来的な活動のあり方を問う。部活動の現状を知る必見の一冊と云えるだろう。

 

 

同時代における霊性論

  • 2017.12.02 Saturday
  • 12:01

知る人ぞ知る「凱風館」(道場兼学習塾)の館長・内田樹氏は武道家であるとともに、フランス文学から哲学、倫理学、さらに能楽を実践する思想家として幅広い知見と現代社会が抱える様々な問題に対してユニークな視点で発言される著名な言論人である。
 周防大島で行われた講演やブログ等々の発言においても特に印象的なのは“身体性”の問題を突き詰めたところから発する俯瞰的なまなざしと危機意識に基づく強烈なメッセージである。
 そのことは本著における宗教的な霊性論のみならず、“身体性”を意識した武道や能楽を横断する形而上学的な知のパラダイムを示すものであり、きわめて魅惑的で興味深い言説として注目される。ご自身はあくまでも思弁的な域を出るものではないといわれるけれど、個人的にはそれがレヴィナス研究に起因するものなのか武道や能楽における実践的経験がもたらす思想の現れなのか定かではないが、いずれにしても縦横に突っ走るその言説は本当にユニークで説得力がある。専門的な知見のみならず「知の巨人」と云われる所以ではないか、ぼくはそう思う。
 とりわけ3.11の東日本大震災を前にして痛感された自然との根源的なかかわりと霊性を意識した“祈り”ともいえるものがこの著作に込められているように思われる。
 一方、釈徹宗氏は浄土真宗本願寺派如来寺住職であり相愛大学人文学部教授という肩書をもつ思想家でありこちらも柔軟で幅広い視点をもつ著名な言論人といえる。
 本著は2部構成となっていて、はじめに相愛大学で行われた(2012.8)内田氏の3日間集中講義「みんなの現代霊性論」と凱風館で鈴木大拙の『日本的霊性』をテキストとして行われた釈氏の講義を重ねることから同時代における霊性論をさぐる仕組みとなっている。

 

 

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日本霊性論(内田樹、釈徹宗著、NHK出版新書)

 

祈りとは人知の及ばないことについて天の助けを求める行為のことであり「この世には人知の及ばないことがある」という人間の能力についての限界がある。その感覚がなければ祈りははじまらない、と内田氏は説く。
 共身体形成や歩哨などきわめて興味深い概念を紐解きクロスさせながら、たとえば超越的な危機が切迫していることを感受できるセンサーを共有することの必要性を強調する。最終的にはレヴィナスに着地することになるけれど、とりわけレヴィナスのいう「顔」の解釈が霊性の概念に同期する示唆を示しているようで、これはさすがにおもしろいと思った。
 講義の冒頭、釈徹宗氏は大拙の霊性について“共鳴盤”のようなものを思い描いているとしている。きわめて的確で印象的な解釈だといえる。さらに霊性は「宗教や科学やアートなどの源泉」みたいなものだとも・・・
 そのことを枕にして鈴木大拙の霊性論をたどる。また、西洋の形而上学におけるキルケゴールやベルグソンらを引用しながら「純粋経験」と「日本的霊性」は主体と客体が未分である瞬間、すなわち主客未分の直覚であり宗教が説く無分別知的な世界の把握であるとしている。
 さらに、“現代的スピリチュアリティ”をめぐって宗教的なものとの相異について現代霊性論への興味へと誘う。たとえば、「知と信」の宗教的な問題から『日本的霊性』にある“妙好人”浅原才市のあり方を説きながらいわゆる現代における妙好人の姿を探求する仕掛けとなっているのである。
 なるほど、「霊性」という観点で東西南北を横断するように仕掛けられた知的ダイナミズムをもつ本著は新しい価値が求められる現代が渇望する一冊と云えるかもしれない。

第1作が完成?

  • 2017.11.22 Wednesday
  • 21:51

 

この間、はじめたばかりの上廣美月ちゃん(小6)の第1作目が完成。三ヶ所クリップがのぞいていますが、これはご愛嬌。 なかなか見事ですね。

将来的に美大を考えるということですが前途有望です。このまま頑張っていきましょう。

 

 

こちらはお母さんの作品。油彩画ですが結構こなせていますね。貝がらの瑞々しいタッチがいいです。

緑色の巻きついたホースが少し暗い感じになってしまいましたが、あとひと息で仕上がりですね頑張ってください。

念願の親子教室は理想的です。京都造形芸大の子ども芸術学科でもこのように親子で学ぶコースを考えていたようですがなかなか自由になる保護者が難しかったと聞いています。

親子でアートのおもしろさとその可能性、多様な表現のあり方について学ぶことはかけがえのない喜びになると思いますね。



次週、ここまできて完成としました。迫力ありますね❗

 

 

佐藤忠良の彫刻と素描

  • 2017.11.12 Sunday
  • 11:14

 

広島市西区井口、アルパークとなりの泉美術館で開催中の開館20周年記念企画「佐藤忠良展」はコンパクトでいい内容の展覧会だった。

最終日にもかかわらずゆっくりと落ち着いた気分で鑑賞できたのも良かった。この美術館には何回か来ているのだが、コーヒーも美味しくあらためて心地いい美術館だと思った。


彫刻家のみならず佐藤忠良は東京造形芸術大学の開学にも尽力した教授でもあり教育者としての視点にもスポットをあて、ヒューマニティーあふれるこの作家ならではの好企画となっていた。

とりわけ、佐藤が勉強のため個人的に集めた数々のコレクション(宮城県立美術館所蔵)の展示はたいへん興味深いものがあり素晴らしかった。

 

 

 

秋のスケッチ

  • 2017.11.09 Thursday
  • 15:55

 

今年のスケッチは周東町のパストラルホール近辺の紅葉を描きに行くことになった。お昼は丸太小屋のバーベキューと決め込んで早速出かけてみるとほとんど葉が落ちていた。数年前に描いた睡蓮の池には花もなく、陶芸家の田村さんの屋敷周辺のようすはどうかとおもい移動した。そこも今一つといった感じなので結局は通化寺まで行ってみることになった。

 

 

大阪からの来客を案内して2年前に来たときには、通化寺はかなり荒れていてショックだったのだがこの度はきれいに手を入れてあり、今週の土日が「通化寺まつり」とあって5、6人の人が雪舟の庭といわれている借景の庭を掃除していた。

不思議なことにそこで偶然、田村吾郎さんに出会ったのだった。「田村さんじゃないですか。岩国の原田です」というと、「おおお、お久しゅうございます」と田村さん。

田村さんは一昨年、青森で過ごしていたとのことで互いに近況を話してひと時を過ごした。

ようやくスケッチする場所も決まり一時間と少しくらいして丸太小屋に移動することになった。道具はそのままにして大丈夫でしょうと聞いてぼくらは手配してくれていたバーベキュー小屋へ・・・。

 

 

 

その日は天候に恵まれ心地いい風もあって絶好のスケッチバーベキューとなった。

食事を楽しんだ後、はじめての人もあって宿泊棟の中を見せていただいたり辺りを少し散策したいというので、ぼくはパストラルホールの館長・北野さんと話があるので「ちょっと行ってくる」とみんなと別れた。

前々からいろいろ話したいといわれていたのだが、やっとのことで久しぶりの北野さんと再会した。

北野さんには2010年の個展や10年前の「キッズパワープロジェクト2005ー大人の子ども子どもの大人ー」という地域ぐるみのプロジェクトを実施したときにもいろいろお世話になったこともあり、この文化の里構想の軸になるパストラルホールの運営のあり方についてはいろいろと悩んでいたのだった。

北野さんは展示のことを考えていたようだが展示はいつでもできる。ぼくはそれよりもこの文化会館を軸にした地域づくりが本当にどうすれば可能かという将来的な展望について考えていたのだった。

このホールは平成の合併前の旧周東町時代に新進気鋭の建築家・竹山聖とアモルフによって設計され、用田の遺跡のあったところに建設された。おそらくは当時の構想もここを軸にした地域づくりの可能性を考えたものと想像できる。

当初はそのホールの管理運営を勤労者福祉財団が担っていたのだが、何年か前に(株)共立メンテナンスに移り今日に至っている。だが、来春からは指定管理者が再々度かわることになっている。

周東パストラルホールは竹山氏の代表的な作品でもあるし何とか健全な活用が出来ないかと考えるのは当然のことであろう。岩国市は基地拡張と引き換えに受けとった交付金でコンサルに依頼するのではなく、これまでの取り組みや実績を踏まえて地域住民とともに当初の文化構想を実現しなければならない。つまり、自頭(じあたま)で考えろということだ。ぼくは本当にそう思っているのだから仕方がない。

 

由宇町文化協会

  • 2017.11.08 Wednesday
  • 13:23

 

この間は念願のドキュメンタリー映画『ふたりの桃源郷』を鑑賞できて良かった。

芸術の秋ということなのか岩国市内各地で文化の日の連休に合わせていろいろな企画があったらしい。 由宇町文化会館ではこの映画を中心に各種作品展や周防大島町在住の兄妹タレント・マウンテンマウスのライブなどがあり会場は満員御礼となっていた。

 

カミさんらはシンフォニア岩国で行われた市の文化関係者の受賞式や祝賀会でたいへんだったようだ。これには直接関係してはいないのだが、たまたまお茶の先生が受賞されたということで参加となったらしい。気がつけば知った顔はほとんどなく岩国市はいつの間にか芸術都市宣言などしていて市役所内では意味不明の展覧会が企画されているというからびっくりする。一体全体何のつもりでこんなことをするのかサッパリ分からん。どういうわけかその式典に衆議院の岸信夫もおったというから本当にお笑いである。

 

由宇町の方も岩国もさほど変わりはないが、若い人は皆無でほとんどは高齢者というのも同様にそれは深刻な問題でもありまことに奇妙な光景といえる。

『ふたりの桃源郷』は多くの人を感動させる。

『人生フルーツ』も素晴らしい作品だったが『ふたりの桃源郷』には、もっと根源的な問いが隠されているようで沈黙させられてしまうのだ。二人の心はどうして山にあったのかと考えさせられるのだ。

人は土とともにあり土にかえるとでも云えばいいのか、さらに家族とは絆とは幸福とは尊厳とは等々、いろいろな角度で現在を相対的に捉え返す契機としてこのドキュメント映画はぼくたちの内面へと突き刺さってくるからすごい。文化の日、皮肉にも「文化」の対立概念としてある「自然」ということについていろいろと考えさせられる日となった。

 

岩国市がいくら芸術都市宣言をしたところで容易くそれが成り立つはずもなく、あらためて天地の恵みとともにある人々の姿に感動を覚え、とにかく「ゆっくりコツコツ」というスタイルの大切さを感じることになった。この映画をみてぼくはそう思うのであ〜る。

 

積みかさねているもの

  • 2017.10.31 Tuesday
  • 10:35

 

 

 

 

「絵画のいろは2017展」は衆議院の選挙日程とも重なり天候もすぐれなかったにもかかわらず、多くの人に来ていただき無事終了することができました。入場者数400人超となったことは岩国の状況からみてかなりの盛会だといえるだろう。

また、中国新聞のみが告知、日刊いわくにだけが取材に応じてくれただけでこの結果ということは、ひとえに出品者各自の活動のたまものといっていい。いつものことながら、偶然にもシンフォニア会場の他の企画と重なったことが思いがけないこの結果へとつながったとも考えられる。

ぼくたちは庁舎の記者クラブを通じて新聞各社やローカルテレビ局など案内してはいたのだが、どういうわけかほとんどマスコミの反応はなくこの事は数年来つづいている。だから、最近ではむしろ口コミで出品者各自の呼びかけでご案内することにしているのだが、まさしく予想通りの結果となった。

考えてみれば元々それが活動としてきわめてシンプルな形ともいえるし、大手マスコミの記事も最近の報道を見ているとNHKに象徴されるようにあまり当てにしてもいけないし、記者の知見や力量も当然のことながら問われているわけだから無理もいえないのである。

 

 

 

 

 

 

さて、総括でもないが今回の展覧会は楽しい雰囲気の会場となったことをいろいろな人から指摘された。そのことは個々の作品のみならず展示構成という点においてもある意味で子どもたちの作品が風通しのいい効果を果たしたのではないか、と思うのだがどうだろう。実はそのことはこの展覧会の狙いの一つでもあったのだが・・・。

10数年前のこの展覧会をふり返ってみても、そこそこの力量をもった人々がある程度抜けても質的な低下を招くこともなかった、と強く印象づけられたのも各自がレベルアップしているのだと思うのが自然な見方ではないか。

普段はあまり気がつかないものだが、このことは日々積みかさねているものが意外にも大きいのではないか、とあらためて気づかされるのだった。

山口県美展でも入選入賞している人の作品もあれば以前からその展覧会の常連の実録者も揃っていて、子どもの作品にしても全国公募の香月ジュニア大賞絵画展において入選入賞している子どもたちの力作も展示されているわけだから一概にはいえないけれど見劣りする展覧会であるはずもないし展示構成も見ごたえのある展覧会であることは間違いない。

岩国市教育委員会にも後援されている訳だから少しは行政の人や美術を指導する立場にある学校関係者にも来ていただきたいものである。たまたま、会期中に市美展関係の授賞式のようなものがあって、知り合いの高校の先生が一人立ち寄ってくれたのが幸いであった。

だが、絵を描きモノを作る者にとってはそんなことは大した問題じゃあないはずで、来年は「グループ小品展かぁ〜」「頑張るぞーっ」と、気持ちを立ち上げるのだ。

 

 

 

 

 

ここで本展の狙いでもあったのだが、子どもたちの作品と大人の作品についてあらためて考えてみたいと思うのだ。例えば、最近になってとりわけ知的障害者の描く作品やアールブリュットの可能性が注目され、生活と芸術、さらにプロとアマといった境界を透明化する動向があることに注目してみよう。

山口県美展の募集要項を見てもかつてのように日本画、洋画、書などといったカテゴリーは取りのぞかれ同一線上に並べられて審査が行われる。そこに、子どもの作品を導入しさらに表現の根源的な意味と可能性について考えてみたいのだ。「絵画のいろは展」の実践的な興味は実はそこにあると云えばいささか大袈裟に聞こえるだろうか。

ひと頃、未開社会の文化に学びそれらを相対的に捉えかえす文化人類学や無意識の存在の意味や偶然の出来事に因果関係を求める超現実主義的な考え方が注目されたことがあるけれど、子どもの絵画に学ぶことがあっていいのではないか、とぼくは本当にそう思っている。

確かに、ピカソやジョアン・ミロたちも子どもの造形やアフリカの土着的な造形に注目しその可能性を高めていったプリミティヴアートの存在も戦後日本の美術に多大な影響を与えたことも周知の通りなのだ。

 

「子どもは気持ちで描く」子どもとかかわってきた者の一人として前々からぼくはそう思っている。だから、自己中心的に描く視点変更とか転倒しているような描写にしても単なる過ちとして否定的にとらえるのではなく、子ども特有の原初的な感覚としてむしろ肯定的に捉えることにしている。例えば、コップを描くにしても入り口は丸くて底はこぼれないように直線で閉じられている、と説明的に気持ちで描写するのだ。

2005年、ぼくたちは「キッズパワープロジェクトー大人の子ども子どもの大人ー」という複合的な文化イベントを行った。イベントの重要なコンセプトとして考えたことも、ぼくたちが人として持ちあわせている『子ども性』に注目したのだった。

『子ども性』とは何か・・・。

つまり、大人も子どもも『子ども性』ともいうべき無垢なる感覚をもっていて子どもはリアルタイムでその『子ども性』を生きているとすれば、大人にもそなわっているはずの『子ども性』は肥大化した情報や意識によって後退しているかもしれないということだった。「絵画のいろは展」でも子どもたちの作品に異質な[風]通しを感じたのは、その感覚的な相違に起因しているとはいえないだろうか。

絵画はどうあるべきか、どういう絵画が発見されるべきなのか、ものさしとも云えるそのキーワードは何か、なお一層そのことを考える契機となることをぼくは願っている。

 

 

 

空の王さま

  • 2017.10.30 Monday
  • 21:56

ハトよ、ふるさとのあの空からとんでこい。ぼくとエバンズさんの夢といっしょに。

 

 

『空の王さま』(文ニコラ・デイビス 絵ローラ・カーリン 訳さくまゆみこ BL出版)という絵本をご紹介しましょう。

この絵本はJBBY会長のさくまゆみこさんが翻訳したもので、遠いイタリアからイギリスの炭鉱の町に越してきた一人の少年とその町に暮らすエバンズさんのお話です。

 

ぼくのふるさとは、お日さまが明るくて、おばあちゃんの店のバニラアイスのにおいがする場所。こしてきたこの町は、けむりがたちのぼり、石炭の粉のにおいがしている。

ぼくはよそ者ー

でも、エバンズさんにであってなにかが、かわりはじめた。いっしょにハトをとばし、いっしょに夢をおいかけはじめてから。(本文から)

 

二人はハトを遠くで放して所定の場所に帰ってくるまでの距離の長さを競いひたすらに待つ競技をめざすのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご覧のように絵が素晴らしいですね。単に子どもの読みものとしてではなく絵本の可能性を信じて丁寧につくられているのがよく分かります。

別のいい方をすれば絵本文化の違いとでもいうべきかも知れませんね。

 

そしてもう一冊。

 

 

 

 

こちらは『ちいさなちいさなちいさなおひめさま』(ぶん二宮由紀子 え北見葉胡 BL出版)という絵本です。

 

さてさて・・・、

 

だれも見たことがない  

うつくしいおひめさまはーーー⁉   (小さい)

 

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絵画のいろは展2017


2017年10月18日wed〜22日sun
10:00〜18:00
シンフォニア岩国企画展示室


この展覧会は、絵を描きはじめて間もない人から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している大人に加えて、これまでTRY展として活動してきた子どもたちを含む初心者から経験者までの作品を一堂に展示する原田美術教室の研究生およそ30人で構成するものです。
アトリエや教室での日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。また、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考える契機となることを願っています。「絵画のいろは」とはこのように制作上の技術の問題だけでなく、日常生活での活力や潤いのある生活のあり方を考える実践的問いかけに他ならないのです。
特に今回は子どもたちの作品を含めてそのことについて考える風通しのいい会場構成となっています。研究生として親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさや表現の多様性について考え、アートのおもしろさを伝えることで地域の芸術文化活動のささやかな普及と発展に寄与したいと願うものです。

子どもの作品が大人気
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グループ小品展2016


2016年9月21日(水)〜9月25日(日)
主催:原田美術教室会員
この展覧会グループ小品展は、絵を描きはじめて間もない初心者から山口県美展・岩国市美展など他の美術コンクールや個展などで活躍している経験者までを含む原田美術教室の研究生で構成され、絵画のいろは展とともに隔年で開催するものです。 今回のグループ小品展では、日ごろの研究成果を発表すると同時に、人と人、表現と表現のふれあうなかで単に技術の習得のみならず、絵を描くことで何を考え、何を発見することができるかということ。そして、「文化的な営みと豊かさ」あるいは「活力と潤いのある生活」とは何か、という問いについて考えることを目的としています。 また、グループ研究生として互いの親睦を兼ねたコミュニケーションを大切にし、互いの作品を認める楽しさを発見すると同時に表現の多様性について考え、アートの楽しさを伝えることで地域の芸術文化活動の普及と発展に寄与し貢献したいと願うものです。
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原田文明展 ドローイングインスタレーション2015


2015年12月2日wed−6日sun 10:00−18:00
シンフォニア岩国企画展示ホール
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ドローイングインスタレーションは、ここ十数年にわたって絵画表現の可能性について考えてきた一連の仕事をとおして、偶然とも必然ともいえる結果として発見されたものです。私はこれまで「具体絵画」と称して、物質(素材)が表現目的の手段として扱われるのではなく、物質のあり方それ自体を色彩やフォルムと等しく絵画の重要な構成要素とする一連の作品を制作してきました。そこでは行為と物質がもたらす一回性の出来事をも絵画を成立させる重要な要素として捉え、作為的な感性によって空間へと展開されています。
つまり、そのことによって生成される新しい意味と存在の可能性をリアルな世界として位置づけ、その意味を問いかける主知的な営為と考えてきたのです。したがって、その作用のあり方は平面的な二次元の世界から室内空間(場所)を構成する三次元的な世界へとその機能性を拡張し、ドローイングインスタレーションともいうべき様式へと変容させ意識化されてきたとも云えるのです。
私にとってもはや絵画は物理的な意味においても多元的な空間へと自在に移ろうイリュージョンの世界へと変容してきたと云うべきかもしれません。それは身体として、あるいは存在そのものとして、確知されるべき対象として見えかくれするもの。換言すれば、世界を包み込む現存(リアルな世界)への希求の現われと云えるものかもしれません。 本展はこれまでの多岐にわたる活動をふまえて辿りついた新作ドローイングインスタレーションで構成する原田文明の現況を示すものです。

里の芸術一揆「里山 ART Project 吉賀」



本プロジェクトは隔年式のアートビエンナーレとして、将来の「地域」「文化」「くらし」を考える文化的なムーブメント(運動)をつくることを目的とするものです。また、地域の農耕文化や伝統に学び、芸術文化の振興発展と普及のみならず、「生活と芸術」「過去と現在」「人と地域」の交流を軸とする文化による地域づくりについて考えるものです。 このことは、吉賀町がこれまで取り組んできた自然との共存共生を願うエコビレッジ構想と合わせて、人間の営みとしての文化と里山の自然について考えることであり、里山に潜在する魅力とその可能性を再確認し文化意識の変革と活性化を推進するものです。 今回は、現代アートの最前線で活躍する8名のアーティストによる最新作を現地で制作し、地域住民とともにワークショップや生活文化など多方面での活発な交流が実現されるものと考えています。 2010年10月開催予定。

岩瀬成子話題の本棚



『ともだちのときちゃん』(岩瀬成子作 植田真絵 フレーベル館)
フレーベル館【おはなしのまどシリーズ】として出版された岩瀬成子の新刊『ともだちのときちゃん』は、イメージの広がりとこの年頃の子どもが経験する瑞々しい出会いにあふれています。(略)著者はそういう細部をみつめる子どもの感情をとてもよく描いていて、このお話しの最後のところでたくさんのコスモスの花にかこまれて青い空と雲をみつながら「ぜんぶ、ぜんぶ、きれいだねえ」とふたりの気持ちをつたえています。

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『ちょっとおんぶ』(岩瀬成子作 北見葉胡絵 講談社)
6才のこども特有のイノセントな感覚世界。この年ごろの人間だけが経験できる世界認識のあり方が本当にあるのかもしれない。あっていいとも思うし、ぼくはそれを信じていいようにも思います。名作「もりのなか」(マリー・ホール・エッツ)が普遍的に愛読されるのもこの点で納得できる気がするのです。
この本の帯にあるように、絵本を卒業する必要はないけれど絵本を卒業したお子さんのひとり読みや、読みきかせにぴったり!といえるかもしれません。どうぞ、手にとって読んでみてくださいね。

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『マルの背中』(岩瀬成子著 講談社)
父と弟の理央が暮らす家を出て母と二人で生活する亜澄は、駄菓子屋のおじさんから近所で評判の“幸運の猫”を預かることに。野間児童文芸賞、小学館文学賞、産経児童出版文化大賞受賞作家による感動作!

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『ぼくが弟にしたこと』(岩瀬成子著 長谷川修平絵 理論社)
成長の予兆を感じさせるように父と再会した麻里生には、次第に人混みにまぎれていく父の姿は特別な人には見えなかった。著者は帯にこう書き記している。どの家庭にも事情というものがあって、その中で子どもは生きるしかありません。それが辛くて誰にも言えない事だとしても、言葉にすることで、なんとかそれを超えるきっかけになるのでは、と思います。

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『きみは知らないほうがいい』(岩瀬成子著・長谷川集平絵、文研出版)
2015年度産経児童出版文化大賞受賞。
クニさんの失踪、クラスメートの関係性が微妙に変化するいくつかのエピソード、昼間くんの手紙、錯綜するその渦の中で二人の心の変化と移ろいを軸に物語は複雑な展開をみせる。
最終章、米利の手紙にはこう書いてある。それはぐるぐると自然に起きる渦巻のようなものだった。「いじめ」という言葉でいいあらわせない出来事があちこちで渦巻いている学校。
それでも明るい光に照らされている学校。そして苦い汁でぬるぬるとしている学校。学校よ、と思う。そんなに偉いのか。そんなに強いのか。そんなに正しいのか。わたしは手でポケットの上をぽんぽんとたたいた。

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『あたらしい子がきて』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
前作『なみだひっこんでろ』の続編のようでもあり、“みき”と“るい”姉妹のお話となっているけれど、ストーリーそのものはそれとはちがうまったく新しいものである。 ここでは、お母さんのお母さんとその姉、つまり“おばあちゃん”と“おおばあちゃん”という姉妹がいて、知的障害のある57歳の“よしえちゃん”とその弟の“あきちゃん”の姉弟が登場する。 このように“みき”と“るい”姉妹の周りにもそれぞれの兄弟が重層的に描かれている。
第52回野間児童文芸賞、JBBY賞、IBBYオナーリスト賞を受賞。

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『くもりときどき晴レル』(岩瀬成子著、理論社)
ひとを好きになるとどうして普通の気持ちじゃなくなるのだろう。誰でもこのような不思議な感情に戸惑いを感じることがある。恋愛感情とも云えないやりきれない気持ちの動きと戸惑いをともなう心理状態のことだ。 本著は、「アスパラ」「恋じゃなくても」「こんちゃん」「マスキングテープ」「背中」「梅の道」という6つの物語で構成された短編集であるけれど、思春期を向かえる少し前になるそれぞれの子どもの現在としてそのやわらかい気持ちの揺れを瑞々しいタッチで描いたもの。

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『なみだひっこんでろ』(岩瀬成子著、上路ナオ子絵、岩崎書店)
今年度第59回課題図書に決定!

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『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子著、偕成社)


大人になっていく少女たちをみずみずしく描く
「最後の場面のあまりのうつくしさに言葉をうしなった。私たちは覚えている、子どもからゆっくりと大人になっていく、あのちっともうつくしくない、でも忘れがたい、金色の時間のことを。」 角田光代
基地の町にすむ小学6年生の楓と中学1年生の紀理。自分をとりまく世界に一歩ずつふみだしていく少女たちをみずみずしく描いた児童文学。
偕成社から好評新刊発売中!

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 『だれにもいえない』(岩瀬成子著・網中いづる画、毎日新聞社)

小さな女の子のラヴストーリー。
点くんをきらいになれたらな、と急に思った。 きらいになったら、わたしは元どおりのわたしにもどれる気がする。 だれにも隠しごとをしなくてもすむし、 びくびくしたり、どきどきしたりしなくてもすむ。(本文より)
4年生の女の子はデリケートだ。 せつなくて、あったかい、岩瀬成子の世界。 おとなも、子どもたちにもおすすめの一冊。

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『まつりちゃん』(岩瀬成子著、理論社)
この作品は連作短編集という形式で構成され、抑制の効いた淡々とした表現で描かれているところが新鮮である。各篇ごとにちがった状況が設定され登場人物(老人から子ども)たちはそれぞれ不安、孤独、ストレスといった現代的な悩みを抱えている。その中で全篇を通して登場する“まつりちゃん”という小さな女の子は、天使のように無垢なる存在として現れる。その女の子と関わることによって物語は不思議なこと癒しの地平へと開示され、文学的世界が立ち上がるかのようだ。 岩瀬成子の新しい文学的境地を感じさせる魅力的な一冊ともいえる。

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子著、集英社)
■ 1966年、ビートルズが日本にやって来た!14歳の少女が住む町にビートルズファンは一人だけだった。 ■ 「オール マイ ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろいろなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。 ■ 岩瀬成子の新刊、1月31日集英社から好評発売中。“あの時代”を等身大の少女の目でみつめた感動の書き下ろし長編小説 『オール・マイ・ラヴィング』 ■ ビートルズ ファン必見の文学はこれだ!

51dCgDlcLQL._SS500_.jpg『そのぬくもりはきえない』(岩瀬成子著、偕成社)
■ 日本児童文学者協会賞受賞


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『朝はだんだん見えてくる』(岩瀬成子著、理論社) ■ 1977年、岩瀬成子のデビュー作。本書はそのリニューアル版で理論社の『名作の森』シリーズとして再発行されたもの。

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